悩んでつらいときは、ペンと紙を取り出そう。

わたしには昔から、書くことで気持ちや思考を整理する習慣がある。

頭の中をぐるぐると同じ悩みが回っていることに気がついたら、ペンを取り、紙に書き出す。思っていること、一見関係ないような思いつきもそのまま書き連ねる。自分と会話をするように。

日記と呼べるほど、毎日決まった時間に書くわけではない。そんなことを思っていたら、アメリカで「ジャーナリング」という言葉に出会った。

Journaling is a personal record of occurrences, experiences, and reflections kept on a regular basis(ジャーナリングとは、出来事や経験、それらに対して思ったことを個人的、日常的に記録すること)

「なるほど、ぴったりな言葉を見つけた。」そう思って以降、趣味を聞かれたらジャーナリングと答えている。日本では、書く瞑想なんて呼ばれていたりもするそう。

ジャーナリングはストレスを減らす

書く瞑想なんて名前がつくゆえんは、ジャーナリングにストレス軽減の効果があることが、研究でも証明されているからだ。

心理学者のJames Pennerbakerが行った実験では、暴力や最愛の人の死などのトラウマについてたった一時間程度文章を書くことで、ストレスホルモンが軽減し、免疫力が向上し、精神科に通う頻度が減ることがわかったそう。

同様に、ストレスを感じている人が、好きな人(家族や友達も含む)に関するポジティブな気持ちを言葉にして書くと、回復が早くなったという研究もあるらしい。しかも、好きな人のことを考えるだけでは何もしないのとあまり変わらなくて、言葉にすることが、回復力を上げるポイントだという。

ジャーナリングは、あとで心の支えになる

このように、書いているその瞬間からわたしを助けてくれるジャーナリング。でも最近、書いたものは二度、書いている瞬間だけではなく、あとで読み返すときにも、わたしを助けてくれるんだなとあたらめて思った。

自分が実感したこと、これが正しいと思ったことをきちんと言葉にしてまとめると、あとから見たときに自分らしさの指針になる。

私のnoteも、ジャーナリングに近い。日々感じたことや、考えたことを、日記よりはわかりやすさを意識して、他の人に向けて書いている。

その時の感情より、その時の発見に重きを置いているからこそ、noteは特に心の支えになっている。

悲しいことが起こったとき、私は「人の三倍生きる、人の三倍悲しんで、喜ぶ」と決めたときのnoteを読む。

人との付き合い方がわからなくなったときは、「裏切られても、その人に期待し続けることを信頼と呼ぶ」と学んだときのnoteを読む。

自分がしてきたことが正しいのかなんて、すぐにわからなくなる。

だからこそ、ここまでで見つけた正しいのかけらを見返すことで、少なくとも今自分が正しいと確信できるものを思い出すことができる。


人の数だけ正義があって、人の数だけ正しさがあって。

だから私たちはよく、自分とはぜんぜん違う誰かの正義や正しさに触れたとき、自分のことがわからなくなる。

そんなとき、過去の自分って、今の自分が一番わかりあえる相手だったりする。

今の自分を理解するためにも、過去の自分を残すためにも、騙されたと思ってジャーナリングをしてみてください。

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