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【翻訳ウラ話vol.2】有名すぎてどう訳すか悩んだ名言の話

2021年9月に出版された本『feel FRANCE100〜言葉と写真で感じるフランスの暮らしとスタイル〜』で100の言葉の翻訳を担当させていただいた。

フランスの偉人の名言やことわざをよりわかりやすく訳すのが私の仕事。なかには誰もが知っているような名言もあり、「そのままでもいいのでは?」と思うものもあったのだが、だからこそ新しい訳をつけてみようという話になった。

無事に本が出版されたので、ちょっとウラ話的なことをシリーズで書いていこうと思う。

第2回目は「ある有名すぎる名言」のお話。


われ思う故にわれあり

フランスの哲学者ルネ・デカルトが『方法序説』で記した命題。

「われ思う故にわれあり」 Je pense, donc je suis.

ご存知の人も多いだろう。この名言は今回の翻訳本『feel FRANCE100』にも掲載されている。

あまりにも有名すぎて、「われ思う故にわれあり」以外に訳してもいいものなのだろうか?と私は大いに悩んだ。そこをあえて別の表現で伝えるのがコンセプトだったため、どう訳すかに試行錯誤した。

超訳にすると原文の良さが失われる。かといって、少し変更しただけではつまらない。その結果として、こう訳した。

私は考えている。つまり、わたしが存在している証(あかし)だ。

自分を含めてすべてのものは果たして存在しているのだろうか?そう考えていることこそ、自分が存在していることを証明している。
哲学的な意味を深掘りをすると違う部分があるかもしれないが、一般的な考え方としては広まっているのはこんな感じだろう。

この言葉の真理を探ろうと考え始めると、哲学者でもない私はだんだん頭がごちゃごちゃになってしまう。だから、単純に「奥が深い名言」に留めておく。

あえて注釈を入れなかった理由

第一回目のウラ話では、訳文とともに言葉の意味を捉えるためのヒントとしてカッコに注釈を入れた。詳しくはこちらのnoteをどうぞ。

だが”Je pense, donc je suis.”には、周知の「われ思う故にわれあり」という言葉をあえて注釈に入れなかった。新しい訳をつけたいという出版社の意向もあるが、注釈を入れてしまうと「あぁ、デカルトの名言ね」で完結してしまうからだ。

どんなに有名な名言でも翻訳が変われば、受け止め方も変わる。おこがましいけれども、誰もが知っている名言を載せないことで読者が新たな気づきを得られるかもしれない。なんて、思いながら訳文を考えたわけである。

今回のような名言の翻訳は、語学力よりも日本語力が試される。ライターの経験がなかったら、思いつかなかったかもしれない。そう考えると、翻訳家は語学さえできればいいというものではない。ライティング力も非常に重要な要素なのだとあらためて気づかされた。

〜完〜

翻訳に必要なスキルについては、こちらのnoteをどうぞ。



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