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「日常の学びを書く」ことが、自分にとっては『良い習慣』だったことに気づいた話。

2021年1月31日から日報を書き続けて561日。

日報を「なんのためにやっているのか?」と思わされることがあった。


もともとは、PDCAが回すことが苦手だったから
PDCAを回せるようにするため、
PDCAを習慣づけるために日報を始めた。

561日も継続して書いていたら
さすがに日報を書くことは習慣になった。

もはや歯を磨くのと同じくらい生活の一部になり、
頑張るとかやる気とかそんなモチベーションに左右されることなく、
日常的に書けるようになった。


ただ、本当にPDCAが回せているか、と考えると
そうではないときもある気がした。

1日の作業記録のようになっているときもある。


1日の作業記録を残すのは、
それはそれで行動記録として
自分の振り返りに役立つかもしれないが、
PDCAを回すという目的は達成されない。


大事なのは1日の行動から何を得て、
どうやって未来や目標に繋げるか。
どう改善するか。
どう活かすか。

その辺りが最近、希薄になっているように感じた。


毎日、仕事や家族と過ごす中で、
いろんなことを考え、学びを得たりしているが、
それが生かされていないように思えた。

なんだかモヤモヤしていた。

大したモヤモヤではなくて、
気にもならない程度のちょっとしたものだったから
ないがしろにしていたが、

ふとしたことがきっかけで、
3ヶ月もの間、モヤモヤを抱えていることに気づき、
モヤモヤと向き合ってみた。


原因は、アウトプットをし切れていないからかなと思えた。


日報には、
ある程度、インプットしたことから
次のアクションを書き出してはいた。


でも、それでは足りていなかったのかもしれない。
消化不良みたいな感じになっていた。


なにかを学び、インプットしても、
それを使わないとただのゴミになってしまう。

使い切れていないインプット、学びが
蓄積していて詰まっているような感覚。


多くの先人が言うように、
やはりインプットとアウトプットはセット。

インプットよりもアウトプット、
世に出すことが大事だと気付かされた。


思えば、4月までは
「毎日noteを書く!」と決めて、
アウトプット前提で
過ごしていたこともあった。

その期間は自然と日常から学ぼうとしていたし、
それをアウトプットして、
自分自身に言い聞かせていた。


それが自分の行動を促すには良い習慣だったのかもしれない。


人は習慣の生き物だから、
良い習慣をたくさん持っている人が
成功を収めたり、
幸せを感じていたり、
生き生きとしていたりする。


良い習慣は先人がたくさんシェアしてくれている。


その中でも合う合わないはあると思うが、
自分にとって
「これは良い習慣かも!」
と思えるものが見つかったら
それをやり続けるのが良い。


それが自分を動かすガソリンになる。



日常からの学びをアウトプットすることが、
自分の目指す目標
「家族みんなが"したいことを自由にできる"生活にする」
に直結しているかというと、
そうではないかもしれない。


でも、自分が大切にしている

「毎日生きているな〜と感じながら過ごす」
「笑って過ごす」
「どうせ生きるなら楽しむ」

ということを実現するには必要な行動ではある。


3ヶ月もの間、書くことから離れていたけど、
一度離れてみて、
日常からの学びや考えたことを書く、アウトプットする、
ということが、
自分にとって大事なことだと気づいた。


誰かの役に立つ情報発信だったり、
有益な情報をアウトプットしている訳ではないが、
自分のためにもう一度書いていってみようと思う。


書くことによって、毎日、
「今日も生きてんな〜」
とか、
「つらいこととか、しんどいこともそりゃああるけど
なんだかんだ今日も楽しいな〜おもろいな〜」

なんてことを感じながら過ごしていきたい。

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