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言葉の企画2019

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言葉って何だろう?企画って何だろう?半年間、考え続ける。形にしてみる。BUKATSUDO連続講座「言葉の企画」にまつわるnoteです。
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#エッセイ

ラブリー前後。

5月18日。 #ことばの日 そして #言葉の企画 2019初日 あれからちょうど一年が経ちましたね。 初回の講座を受けて書いたnote。 本当に久しぶりに読み返しました。 初心に返るなあ・・・ たった一年前なのに。 「わたしに任せて!」 って言いたかった一年前の私。 確かにあの頃は、 正直本当に何にも自信が持てなかった。 自分のこと嫌いすぎて毎日苦しかった記憶があります。 でも、そんな自分を変えるきっかけにしようと思って言葉の企画に通い始めたんでした。 だんだん

生きている限りバッドエンドはない。だから明日も走り続ける。

ひたすら部屋の中にいてもわかるほどに、季節はめぐった。 部屋着に降格したTシャツに着替え、生ぬるい空気を外に放つ。窓を開ければもう、すっかりと夏のにおいだ。 感性が死ぬ危機感というのはこういうものかと、宙を見つめていた数日前。 もう久しく、自分のための文章を書けずにいることに気づいてしまった。 仕事で書くこととは別に、溢れ出す感情を好き勝手に言葉にして残してきたこのnoteも、最後の記事を書いてからもうすぐ半年がたつ。書けなくなったのは、書きたいことがなくなったということ

なんでもない日常に戻らない。

10月も半ばを過ぎて、すっかり街は秋の装いだ。しとしとと降る雨には少しうんざりするけれど、ときおり漂ってくる金木犀の香りに気分がやすらぐ。 ついこの間まで春だったのになぁ。 「言葉の企画」の振り返りをすると、時の流れの早さに気がついてしまう。 先日ついに、半年間の講義の最終回が行われた。 最終講義は、立候補した26人の企画生が前に立ち、「自分の企画」〜どんな企画をする人になりますか?〜をテーマにプレゼンするというもの。 わたしはちょっと悩んだものの、立候補をしなか

飛び越えた先には、何があるかな。

学んだことはたくさんあるのに、いや、ありすぎてなのか、どうにも消化できていなくて思いっきりnoteの締め切りを過ぎてしまった。ごめんなさい。 最近、わたしは第二次思春期なのではないか?と馬鹿みたいなことを思ってしまうくらい、自分について考えつづけている。 でもまずは、学んだことをちゃんと自分の言葉にしないと。そこからまた、ヒントが見つかるかもしれないから。 *** 言葉の企画第5回では、映画をテーマにした「NAVERまとめ」をつくるという課題が出ていた。 わたしは映

ルールに縛られるのではなく、ルールで広がりたい

制服は学校に着て行くものだからこそ、制服ディズニーは楽しい。 学校は昼間に行くものだからこそ、夜の学校はわくわくする。 枠(ルール)があるから、枠をはみだしたときの楽しさがある。 それは「あの人はこういう人だ、と思っていたら、そうじゃない部分が見えて嬉しくなる」ということと、すこし似ているかもしれない。 「やっちゃいけない」こともないし、「こういう人だ」と一言で言える人なんていないと思う。 物の新たな使い方や、人の新たな一面って、探せばまだまだあるはずだ。 「ルール」って

お願いだから、もう少しだけ。

「真夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた」 フジファブリックが歌うこの曲が、9月に入ってから頭を離れない。 先週の土曜日の最高気温は33℃。去ったと思った夏は、意外としぶとく居座っている。まだまだ終わりたくないらしい。 この日のみなとみらいは、アカペラを歌う大学生や、よさこいの衣装を身にまとった人たちがたくさんいて、にぎやかだった。先月来たときは、ピカチュウがたくさんいた。月に一度来るだけだけど、この街はいつも楽しそうだ。 いつも通り崎陽軒の炒飯弁当を買い

わたしは、何に怯えているのだろう。

「素敵な人」がわからなくなってしまった。 素敵だなと思う人はたくさんいるはずなのに、「素敵な人」は誰かと聞かれると、さっきまで浮かんでいた顔たちはぼんやりと霞み、思うように言葉が出ない。 胸がざわざわとして不安になる。 わたしはいったい、何に怯えているのだろう。 ◆ ◆ ◆ 第4回目の「言葉の企画」の課題で、「あなたの素敵な人について書いてください」というお題が出たとき、思い浮かんだ人は何人かいるのに、いざ書こうとすると誰についてどう書いたらいいかわからなくなってしま

嬉しくて泣いた日。

わたしは、めったに嬉し泣きをしない。 嬉しいことがあっても、心のどこかに「冷静にものごとを見ようとする自分」が鎮座しているからだと思う。 おそらく、自分の心を守るために。 ただそれは、自分の心の奥底の気持ちにちゃんと向き合えていない、ということの証左でもある。 今回の「言葉の企画」の講義。 わたしはこっそりと泣いていた。 ほんとうに嬉しかったからだ。 冷静な自分は、そこにはいなかった。 *** 「私の素敵な人」をテーマにエッセイを書くという課題。 わたし

素直な自分の気持ちを受け止めて

いま、どうしてもあなた自身の、 感じたこと、素直なままに書いているというより、 どこかセーブして書いているような印象も受けて、 そのリミッターを外したらどんな、 文章になっていくのかも知りたいと思った。 言葉の企画第4回目、テーマ「エッセイ」 私のエッセイに対する阿部さんの講評。 中島さんはなんだか、着ぐるみを着ているみたい 先日言葉の企画生Yさんが、私を心配してかけてくれた言葉。 本当に自分の言葉で、自分の言いたいことを言っているのかな、 と疑問に思うときがあるとのこ

誰にも伝らないと思っていた。

伝わるって、こんなにうれしいんだって、久しぶりに思うことができました。 それは企画生からのコメントやいいね。直接言ってもらえた「印象的でした」「共感しました」という言葉。そして、会ったことはないけど、この記事を見てくださった方からの「いいね」にとっても励まされました。 私のnoteをみてくださり、ありがとうございます! 4回目の言葉の企画は「私の素敵な人」についてエッセイを書くというもので、私が書いたのは実家にいる愛猫の風(ふう)ちゃんのこと。 コピーライターは向いていな

わたしは引き算が苦手だ

台風が近づいている。 一日、部屋に引きこもって本を読む。こんなお盆の過ごし方も、穏やかで良い。 一昨日くらいから、友人に勧められたエッセイを読んでいた。 その中に、 「先日、パリを歩いていて、クリュニーでモンテーニュの像にばったり会った。(中略) 『エッセー』を読み返し、堀田善衛が書いた評伝を改めて読みたいと思った」 とあって、何だかちょっと、嬉しくなった。 言葉の企画第4回の課題は、『あなたの「素敵」な人について』エッセイを書くこと。 言葉の奥にある気持ちや、言葉に

一言で語れないからこそ、 「素敵」と言いたい。

大学に入学してから院を卒業するまでの6年間。 僕は軽音サークルに所属していた。 活動は三ヶ月に一度LIVEをする程度で、もちろん参加は自由。 常に200人以上が所属している大きなサークルだったから、 本当にいろんな人がいた。 オリジナルバンドを組んで本気で音楽をやる人。 飲み会にだけ顔を出す人。 オレンジの服しか着ない人。 いい意味でもわるい意味でも とにかく個性的な人が集まっていたけど、 その中でも一際目立っていたのがKさんだった。 留年しまくっていたKさんは、出会っ

「愛」をそそがれ

私は徳島の田舎で育った。そして、双子の兄のいる三兄妹の末っ子長女。待望の女の子が生まれたと近所の人も喜んでいたとか。もちろん両親も私にベッタリだったと思う。 私の育った町はお母さんが育った町。自営業をしている関係でお店をお母さんが引き継いだからだった。お母さんはお店もあるので家にいることがほとんどで、お父さんはサラリーマンとして外に出ていることが多かった。 自営業ということで、家には誰かがいる状態あったので寂しいと思ったことはなかった。 小さい頃と今も気持ちは変わらな

わたしの思う「素敵な人」

「素敵な人」をテーマにエッセイを書く、というお題をいただいた。 ただ、私は「素敵」という言葉を頻繁に使うので、今その定義に困っている。 【素敵】[形動]...自分の気持ちに合っていて、心を引かれるさま。非常にすぐれているさま。程度がはなはだしいさま 引用:goo国語辞書 何かにつけて「素敵です」と言って「素敵だった」などと書いてきた。とても便利な言葉で“素敵な” 言葉だと改めて思うけど、本当に「非常にすぐれている」ときに使っているだろうか。 「言葉の企画」初回の講座