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わたしは引き算が苦手だ

台風が近づいている。
一日、部屋に引きこもって本を読む。こんなお盆の過ごし方も、穏やかで良い。

一昨日くらいから、友人に勧められたエッセイを読んでいた。
その中に、

「先日、パリを歩いていて、クリュニーでモンテーニュの像にばったり会った。(中略)
『エッセー』を読み返し、堀田善衛が書いた評伝を改めて読みたいと思った」

とあって、何だかちょっと、嬉しくなった。


言葉の企画第4回の課題は、『あなたの「素敵」な人について』エッセイを書くこと。
言葉の奥にある気持ちや、言葉にならない気持ち、場の雰囲気を言葉に落とし込むことが求められる。
わたしの最も苦手とすることで、でも書けるようになりたい、乗り越えるべき課題だった。

冒頭で、阿部さんからエッセイと随筆の違いを伺った。
まずは、語源から調べる。

エッセイ:
フランス語のessai(試み、企て)から。
自分自身が何者かを知ろうとする態度から発して、思索を展開するもの。
自分の内面を外に向けて発信するもの。
モンテーニュ(1533-1592)の『エセー』から来ている。

随筆:
文字通り、「筆に随う」
筆にまかせて、書く。
外の世界を、自分の内面へ。

学生の時、5年程フランス語に触れていたのに、何にも知らなかったな、という気持ちと、モンテーニュってこんな像ができるくらい偉大な人なんだ!という発見があった。

実は去年、『企画でメシを食っていく』という講座に通っていた時の初回の自己紹介にも、自分の憧れている彼女のことを書いた。
主催の阿部さんは、その彼女と知り合いのようで、「どういうところが好きなの?」と聞かれて、うまく言葉を紡げなかったこと、今でも鮮明に覚えている。

まず、講座の講師(本当はモデレーターなのだけど、阿部さんのことを崇高な講師の方…!と思っていた)と、こんなフランクに会話できる機会のある講座なの!?!?と緊張でパニックになっていたし、自分自身、言葉をうまく選べず、的確に説明できなくて悔しかったこと、今でも脳裏に焼き付いている。


今回わたしは、素敵な人として、ずっとずーーーっと憧れているモデルの菅野結以さんについて書いた。

一番嬉しかったことは、本人にメンションをつけて呟いたところ、ご本人に読んでもらえたこと。本当に本当にだいすきで必死で言葉を尽くした結果だったから、それが本当に一番嬉しかった。

そして、わたしと同じように結以ちゃんに励まされた結以ファンの人たちから、「同じ気持ちです」とコメントをもらえたことや、わたしがずっとずっとすきだったことを知ってくれている友人が「本人に届いたのがすごい、おめでとう」と言ってくれたのが本当に嬉しかった。


悔しかったことは、自分の書きたいことをまとめきれなかったこと
阿部さんからのアドバイスにも、

ひとつの軸を明確に意識しながら、 書き上げていくといいと思う。
菅野結以さんと自分の重なるところを、 どうテーマ設定をしてまとめていくのか。
そこを意識するといい。

とあった。

気持ちが先行し、彼女の魅力を語り尽くしたいが故に、あれもこれも詰め込みすぎてしまった。軸を一本にして、彼女の「言葉」に着目して書くのが良かったかな、と今では思う。



今回改めて、「良い文章とは何か」について考えた。

阿部さんから、「まず自分が書いていて、嬉しいことが大事」と教わった。そして、その上で「受け取った相手も嬉しいこと」
全力で熱量を込めて書いたし、これ以上ないくらい言葉を尽くしたし、そしてご本人に気持ちが届いて、ありがとうと言ってもらえたので、ここは及第点かな、と思う。

その反面、「誰に届けたいか」をイマイチ明確に決めて書けていなかった
そのため、自己満足に近い文章になってしまった部分もあり、それで詰め込みすぎてしまい…。

わたしは、引き算が苦手だ。気持ちが強すぎるあまり、そして言葉が足りないかもしれないと不安になるあまり、詰め込み過ぎてしまう。

毎回言われている、「伝える」ではなく「伝わる」ように書く。
これはまだまだだなあ、と思う。初回に、「短く、強く。」と言われたっけ。

「絶対にこの人にだけは」というのを決めて書き始めるのが良いのかもしれないな。
いろいろ、試してみる。

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