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365日あつめ中。
365のエッセイと詩を、まとめようと決め、かれこれ10年以上。
毎日書く、続けるというのはなかなか難しいことで、
それはダイエットや資格試験の勉強によく似ている。
書く気が起きなかったり、書き忘れたり、
書くことが見つけられなかったり……
でも、なかなか進まないながら、やっと365個に近づいてきたので、
あっちこっちバラバラに書かれた彼らを、ここに集合させる計画。
そもそも、なぜ書きはじめたか。
きっかけは、数ヶ月に及ぶ長期入院の日々に。
毎朝9時。
入院していた大きな病院で、アナウンスが流れる。
「今日は「○○○の日」です。この日は……」
今日がなんの日であるかと、その由来の説明がなされる。
そして「今日も1日、よろしくお願いします」と結ばれる。
初めのころは、聞き流していたけれど、
だんだんとアナウンスの言葉が、心に留まるようなっていった。
入院の毎日というのは、とにかく単調で「同じ顔」をしている。
曜日の感覚もあまりなくなり、季節感覚も失せてゆく。
変化といえば、自分の体調や感情、あと看護婦さんの交代くらい。
世間から遠く離れ、取り残されたような気持ちにもなる。
そんな中、この朝9時のアナウンスを聞いているうち、
「今日は何かの日」であるということに、興味が湧いてきて、
同じような顔した日に名があり、個性があるような気がして来た。
「昨日とは違う今日」を生きている感覚になることができた。
朝のアナウンスの言葉は、
身体が底から辛くて、ひたすらそれだけの空白の日々に、
ペタンと小さく付けられた、カラフルな付箋のようだった。
外の空気に触れて、ひらひらとなびく、小さな換気扇のような。
○年○月○日の、○年先の地続きの今を、生きているのだと。
退院してからも、定期検診で朝9時に病院にいると、
アナウンスが外来にも流れる。
日々の生活が忙しくなって、
違う意味で季節感を失いつつある時も、
このアナウンスを聞くと、入院の日々を、季節を思い出す。
「今日」という日を、感じて生きようと思える。
やがて、自分でも「顔のない毎日」に、目や鼻や口を描き入れるような、
「何の日」にまつわる作品を、書いてまとめたいと思うようになった。
まずは、これまで書いたまま、ここに集める。
それから、言葉や構成を、直したりの作業。
ひとまず、
12ヶ月分のマガジンを完成させることが、
このnoteの目標。
(注:内容など見直さず、ブチこんでいます)
2021年 小谷ふみ☺︎
追記:「何の日」に加え、
病や健康にまつわるものも多々あり。
別冊マガジンに保存してゆくつもり。(2022年)
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