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余白は、きみの味方に。
余白があると、何かが生まれる。
そんなことを思ったのは、ブログを書かなくなってからだ。#情報発信はしない と言い始めてから、ブログで何を書けば良いのか分からなくなった。考えるのがめんどうくさくなった。かと言ってブログを閉鎖するまでの事はしたくないので、またいつの日にか自分に余白が出来たら再開しようと思う。
何が言いたいかと言うと、ブログに費やしていた時間は、そのまま僕の余白になった。
一生懸命悩んで、考えて書いたブログ。収入のひとつの柱になればな…なんて思っていたけれど、書いてみた結果そんなに好きじゃない事が分かった。
いっそのことやめてしまえ!と書かなくなったのだけれど、書かなくなったから、その時間漫画を読んでいるかというと、そういうわけでもなかった。
ブログをやめてから約3カ月。ブログの時間は読書に変わった。ウクレレに変わった。noteに変わった。旅になった。そして、写真に変わった。
ブログをやめて、違うことをしよう!と思っていたわけではなくて、自然とそうなったのだ。空き時間が増えて、今まで頭の中に無かった、もしくは忘れていたやりたい事が湧き出てきた。
正直なところ、ブログ頑張ろう!SEO!PV数!なんて思っていた時よりも充実していて、楽しい。やっぱり好きな事をやっている時間は幸せだ。
何かをやめて出来た"余白"が、新しい事を生み出すのだと思う。その新しい事というのは、何もクリエイティブでアートで…なんてものじゃない事でもいいのだ。
自分と向き合うだったり、本を読むだったり、コーヒーをゆっくり飲めるだって良い。物理的な時間のゆとりは、そのまま心の余白を広げてくれる。
そしてそこには必ず何かが自然と入ってくるのだ。
逆に言えば何かを始めたい時、その余白が無ければ、何かが入ってくる隙間が無ければ、スタートを切ることは出来ない。
一杯のコーヒーを飲む時間もない毎日の中のどこに、新しい事を始める余白があるのか。
「時間が無いは言い訳。時間は作るもの。」とよく言うけれど、この言葉を聞くと、今の生活の中に無理やりこじ開けて時間を作るイメージをしてしまう。忙しい日本で過ごしていた時は特にそうだった。
なんとかして余白をこじあける。
そんなのすぐ疲れるに決まっているのに。
でも24時間は24時間なのだ。増えないし。だったら自分の何かをやめて、余白にするしか無い。
始めることよりも、辞めることの方が勇気が必要だ。でもその勇気は余白に変わる。
何をやめたっていいのだ。自炊している時間をお惣菜に変えてもいい。週末の1時間の掃除を、平日に10分ずつやってもいい。何かを少し変えるだけで、余白は生まれる。
そこから、新しい日常が始まる。
その新しい日常は、刺激を運んでくれるのだ。
日々の生活に疑問を持ったり、疲れてしまっていたら、今やっている何かを辞めて、余白を作ろう。
その余白は必ず、いつでも、きみの味方になってくれるから。
こーた
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