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人生の物語は、書き直した軌跡が醍醐味かもしれない。

なかなか自分の道筋が見えずにモンモンとした日々を過ごしている今日この頃。

写真に本気になろうと、写真を軸に生活を組み立てる。好きだし、やる気もあるし、よっしゃ!やってやる!って毎日思う。

だけどそれは見えない未来に蓋をした仮初の頑張りのような気もするのだ。未来もしっかり考えることは大切だ。今を生きる事と未来を考えるのを放棄する事は違う。

僕らは今しか生きられないし、今の連続が人生なのだと、過去も未来も無いのだと、そう思っているのだけれど、果たして写真でどこまでいけるのか、不安はつきない。

そんな時に読んだサカエさんのこのnote。

人生100年時代を生きる僕ら。
30代を手前にした僕の人生の物語は3割にも満たない。サカエさんも言っているけれど、物語で言う3割ってまだ起承転結の「転」には到底差し掛からない。

だったら面白くなるのはこれからなんじゃないか。
そう言うサカエさんに勝手に勇気づけられた。

映画でも小説でも、物語は中盤から後半にかけて盛り上がる。前半の伏線を1つ1つ回収して、物語はエンディングに向かう。

そう思ったら今は伏線を張る時期。
いわゆる種まきの時期なのかなって思う。

火がないところに煙が立たないように、種を蒔かないと綺麗な花も、美味しい野菜も育たないように、最初の種まき程重要なものはない。

種をまかないと、物語は始まらない。
種を蒔いていないのに、何者でもないと嘆くのは滑稽だ。

僕の物語は、まだ「起」なのだろう。
何が芽を出すか分からないから、好きな事畑に、興味のある事畑に、やりたい事畑に、種をまく。

双葉が出たら「承」かな。
綺麗な花が咲いたら「転」。
それを引き継いだら「結」。

そんな気がする。
綺麗な花じゃなくて枯れてしまったら、また種を蒔く。人生はゲームと違ってやり直しはきかないと言うけれど、死ななきゃ何でもできる。いくらでも物語は続けられる。

なんなら書き直した軌跡まで分かるのが人生っていう物語で、それこそが醍醐味なんじゃないかって。

うん、なんだか今日もやる気が出てきたぞ!

サカエさん、ありがとう。

こーた

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