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自分にとっての本物に、自分のモノサシで価値をつけてみること。

今日もすごく共感できるnoteがあったので、紹介させてください。プロ無職 るってぃ さんのこちら。

Twitter、ブログ、YouTubeやってて、るってぃさん知らない人はあまりいないと思うけど、僕にとっても前々から気になる存在で、とりあえず片っ端からフォローして活動を見てました。1番おもしれぇなと思ったのはルーレットで旅先を決めてホントに次の日行っちゃうやつ。笑

noteを僕なりに要約してみます。

絵をお客さんの「言い値」で売る。
それはなぜか?↓↓

1. 絵を売るやりとりも含めて、そこにストーリーが生まれる。それもアートの一部。体験やストーリーを仕入れて行くことが大切。

2. 金額を決めてしまうと、「それ相応の絵」として見てしまう。10万円の絵と100万円の絵だと、あたかも100万円の方が素晴らしいかのような。それは資本主義が生み出した錯覚じゃないか。「自分は目の前にあるこの作品が好きかどうか」で見たい。子供心で。

3. 絵はお金持ちのためだけじゃない。大衆にこそ受け入れられるべきもの。高い金額をつけてしまうと、払える層にしか届かない。これはアートじゃない。

4. お客さんが絵を選んでいるようで、実はるってぃさんが選んでいるという視点もある。いくら金額を積まれても売りたくない人には売らない。

絵だけで食べていくわけじゃないから出来ることで、絵を生業にしている人を否定しているわけじゃない。
「人との繋がり」が目的なので、これがいい。

僕なりの解釈も少し入ってますが、こんな感じでしょうか。僕は絵ではなく、写真なのですが商用写真ではないのですごく共感しました。

自分の"好き"の軸で、人の作品をフラットに見て、自分の世界観を創っていきたいと思ってるんです。

そんな事を考えながら写真を撮っているので、特にこの部分に共感しました。

「自分は目の前にあるこの作品が好きかどうか」で見たいんですよ。子供心で。

これって中々出来ないと思います。
僕がいつも思うのは先入観が邪魔をするってことです。

例えば世界的に認められていて、オファーは殺到、お金もたくさん稼げる売れっ子写真家がいるとします。

たしかに腕は良くて、素晴らしい写真を撮れる、その事実は事実としてあるでしょう。
でもその事と、自分がその人の写真を好きと思うかは別のはず。なのに、その肩書きによって良く見えてしまう。

「売れっ子写真家」という先入観のために、その写真の価値を自分自身の軸で見ることがができなくなる。

ビジネス的な話はどこかで絡んでくると思いますが、あくまでアート作品の1つとして見た場合ですよ。

これは100万円の値札がつけられた絵を見るときと同じじゃないですかね。

Instagramでフォロワーが20Kとかいる人のポートレートを見て、「すごい!」と思うものもあれば、「これはどーなの?」って思うものもあると思います。

「でもそれだけの人にフォローされているから」という先入観から、目が曇る。綺麗に並んでいるフィードに、投稿されている全てが良いものだと思ってしまう。

これはフォロワーが多い人を否定しているわけでも、僻んでいるわけでもないです。羨ましさはありますが。笑

たしかに素晴らしい写真は多いと思います。
でもそれが自分の好みで、温度感で、世界観なのかって点で見たら果たしてそうなのか?

この見方がアートには大切なんじゃないかなと思います。

絵を言い値で売る。
めちゃくちゃ面白いですよね。

たくさんの情報が溢れて、僕らは考えることが少なくなったと言われます。これからもテクノロジーの進化でどんどんと便利な世の中になり、脳みそは退化していくかもしれません。

そんな世界で、自分の軸でみる"本当の好き"ってものすごく価値のあることなんじゃないでしょうか。そして、それを養う機会というのは、ものすごく貴重なのではないでしょうか。

人類総クリエイター時代。
良くも悪くも、たくさんの"モノ"が溢れ出してきます。

その世界の中で、自分にとっての"本物"に自分自身の"本当の価値"をつけてみる。

んー、面白い時代ですね。

こーた

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