【エクリチュールの囚人】誰しもが選択をしていると思い込んでいる
寝ながら学べる構造主義

【エクリチュールの囚人】誰しもが選択をしていると思い込んでいる

ーあなたは自分がどこまで「選択」をしていると考えていますか?

例えば、あなたが選んで使っている数々の言葉は、本当にあなた一人の個人的な判断によって選ばれた言葉なのでしょうか。

普段はビジネス書等から使える知識を紹介していますが、今回はちょっと毛色を変えて、現代思想の入門書を参考に、そんな「言葉」についての考え方をご紹介します。

ついでにちょっとだけ現代思想の専門用語と人の名前が出てくるので、「私最近現代思想の勉強してるんだ~」と自慢できるかもしれません。

出てくる単語

・ラング
・スティル
・エクリチュール
・ロラン・バルト

言葉を構成する3つの規則

まずは単語の説明です。

退屈ですね。

ですが、単語を理解するということは、その短い言葉に隠れた「概念」を理解するということですから、結構馬鹿にできないわけです。

というか単語の説明がメインでちょろっとそこから得られる考え方を話す、という感じなので、できるだけ退屈にならないように書いていきます。

まずは話している対象をはっきりさせるために、言葉の3つの規則について考えます。

先に名前を言っておきます。

・ラング
・スティル
・エクリチュール

ラングとスティルは無意識的なものであり、エクリチュールは一部意識的なものです。

ということで、ほとんど無意識的に言葉を選択して使っているのですが、それについて話すのは最後にします。

外部的な「ラング」、内部的な「スティル」

ラングとはこの分野でとても有名なロラン・バルトさんによると

ある時代の書き手全員に共有されている規則と習慣の集合体

なんですが、とっても難しいです。これだけでは全然ぴんときません。

ざっくりいうと、「日本語」とか「スペイン語」とかをラングといいます。

ただし、「国の言葉」に限りません。共有されている言葉ならラングです。

このラングは自分の「外側」から与えられているものです。

例えば日本に生まれたから日本語を話している……みたいな感じです。

一方「スティル」は自分の内側の規則です。

スティルとは、ざっくりいうと個人的な好みです。

例えば話すときなら、速度、リズム感、音感、韻律、息つかい……など、何故そうなのかと説明がつきにくい、個人的な好みとしか言いようがないような感覚で決まるものをスティルといいます。

ということで、外側から決まるラングと、内側から決まるスティルです。

残る言葉の規則はエクリチュール。

集団的選択―エクリチュール

エクリチュール」とは、ざっくりというと「言葉づかい」のことです。

あれ、スティルと変わらなくない? と思った方は鋭いです。

スティル個人的な好みから決まるもの
エクリチュール集団的な好みから決まるもの

という大きな違いがあります。

例えば子供のころ、男の子であれば誰しもが経験する「僕から俺への変化」。もちろん僕で突き通す人もいますが、いつのまにかみんなが「俺」と言っていて、なんだか僕って言っている自分がダサい! みたいなノリで「俺」と言うようになる人が多いと思います。

この場合「俺」と言う「選択」をしていることにはなりますが、あくまで「俺」は集団の好みです。

ちょっと整理すると

・ラングとスティルは無意識的なもの
・エクリチュールは選択はしている

という違いがあります。

もちろん「俺」という言葉に限らず、おらおらした感じとか、おしとやかな感じとか、カタカナ用語ばかり使う感じとかは、参考にしている集団に結構左右されるものです。

エクリチュールの囚人

エクリチュールとは集団的な好みから決まる言葉の規則でした。

そして、エクリチュールは一応自分で選択をしているという点で、ラングやスティルとは異なります。

しかし、そのエクリチュールもすべてを選択しているわけではありません。

例えば、「俺」という言葉を使うようになった少年は、「俺」にふさわしいような行動や言葉づかいをするようになります。

可愛らしかった少年は、いつのまにかおらおらしてみせたり、口調が荒くなったりするかもしれません。

このように、一度参考にする集団を選択すると、その後はその集団の好みに流されて、その集団の一員になってしまいます

このことについてラング・バルトは

エクリチュールが自由であるのは、ただの選択の行為においてのみであり、ひとたび持続したときには、エクリチュールはもはや自由ではなくなっている

と言っています。皆エクリチュールの囚人なわけです。

そして、ほとんどの人は自分が自由でなくなっていることに気づかず、あくまで自分で選択していると思い込んでいます。

中立的だと思っていることこそ疑おう

ラング、スティル、エクリチュールがだいぶ馴染みある言葉になってきたのではないでしょうか。

さて、エクリチュールの囚人である私たちは、それゆえに気をつけなければならないことがあります。

普段の何気ない言葉は、どこかの集団の好みであり、それを使うということはその他のエクリチュールもその集団の好みに左右される可能性がある、ということです。

もしかしたら、たとえ意識していなくとも、選択した言葉を持つ集団が好む偏った思想等も反映されてしまうかもしれません。

そして特に注意すべきは、一見中立そうに見えるものです。

その言葉自体は中立に見えても、その集団が中立的でない可能性は十分に考えられます。

一度エクリチュールを選択し持続すれば、選択したものが中立的でもその後はその集団の好みに「気づかずに」流されてしまいます。

このように簡単に、そして無意識的に人は流されてしまうので、どんな情報を信じればいいかは、きちんと吟味する必要がありますね。

幸い、考えないよりはちゃんと論理的に考えた方が正しい選択はできる、という研究があるそうです。

疑ってばかりでは大変かもですが、何か自分の核となるものを意識して、取捨選択できるといいですね。

ということで今回は現代思想の一端に触れたわけですが、

・ラング
・スティル
・エクリチュール

という言葉はぜひ覚えていってください。そして今度ぜひ「それが君のエクリチュールなんだね」と言ってみてください。(どうなるかは保証しません)

それと、正しいものを見極めるための方法として、自分の中に核となるものを持っていた方がいい……という話をしましたが、そういった「シンプルなルール」は人生の様々なところで役に立ちます。

シンプルルールについて詳しく書かれた本も紹介しているこちらの投稿もぜひ参考にしてみてください。

参考書籍

ps

人は無意識的な部分で多く左右されるといいますが、科学的にはそもそもみんなが思うような「意志」というものは存在しない方向だそうです。

私はそれをよく「りんごが木から落ちるように思考する」と言ったりします。

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