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怒られることの無視できない作用

久々に「厳しい指導」を見ました。

1つは、ラーメン屋でいいおっちゃんが、普通に怒られてました。
中身は、人数の確認をしっかりしとけよといったこと。時間差で二人組のお客さんが入ってきたんですね。
それについて怒ってました。まぁ大したことではないような気がしますが、店主にとっては大事なことなのかもしれません…
そういえば、お店で店員が店員に怒っているところを見るのは実に久しぶりでした。なにせ、人が怒られているのを見るのとか、人が怒っているのを見るのとか基本不愉快ですもんね。
怒られている店員は怒られた後も必死にお客さんに優しく丁寧に接してくれました。
ちなみに最後は店主も目を見て、ありがとうございました。またぜひいらしてください。と忙しいと部下を叱責しながらも大切に接客してくださいました。

もう一つは、部活でです。
中身はよくわかりませんが、怒ってました。休憩時間、ずっと怒ってました。その次の試合は、最初は出ませんでした。その試合の時もなんだかずっと出るはずの選手たちに怒っているようでした。そのあと、ダッシュさせられていました。罰?のような感じでした。
その次の試合では、怒られていた組が出てきました。何やら、気合を注入されたような感じで、ものすごい勢いでプレーしてました。

店主も監督も愛情あっての指導であることは間違い無いのかなと思います。
ですが、やはり怒って、頑張らせるという指導に違和感をどうしても覚えてしまいます。
もちろん、
怒られてはじめてその問題に気付き、すぐに改善した。怒られたから頑張ったわけではない。そういう構造の可能性もありますが、怒らなければ伝わらなかったのかとも考えてしまいます。
もし、そのことがこれまでにも何度も気づくチャンスがあったり、すでに何度も怒られているのだとしたら…そういう可能性もあります。
ですが、その場合、そもそも修正する気がない。あるいは伝え方が悪いのでは?とも考えてしまいます。

半強制的に先生のもとへ集まって怒られているようなこともあれば、かたや呼んでもいないのに、もっとどうすればよかったですか?と自ら聞きにくるようなケースもあります。

練習や仕事が終わっているのにもかかわらず、自ら選んで自主練習をするようなケースもあります。

やはり、モチベーションの差を感じます。そして、怒られる作用にモチベーションの低下は無視できません。
決して怒ることの全てが悪だとは思いませんが、怒られなきゃ頑張れない状況は思った以上に深刻な状況のように感じました。

わたしが、モチベーションというのを大切に指導しているんだなと、人が怒っているのを見て改めてそう感じました。

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