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カウンセリング

昨日は週に一度のカウンセリングの日だった。

19歳の頃から精神科(心療内科)に通い、具合が良くない時は週1、安定してきたら2週に1回、月に1回まで減る事もある。

現在かかっている先生は歴代2人目の先生で、私と同じトラウマから鬱病を発症した叔母もまた同じ先生にかかっている。

現在は心療内科とかメンタルヘルスクリニックだとか色んな言い方があるが、私が19歳の頃はそんなものではなかった。いわゆるバリバリの精神科が主流で、最初の主治医に辿り着くまで4、5軒あらゆるクリニックを探しては先生との相性を確かめた。

最初の主治医、権先生(以下ゴンゴン)のクリニックは当時では珍しく街中のビルのワンフロアに”心療内科”と大きく看板を出し、院内は白を基調としたどちらかと言うと無機質なインテリアで、モンドリアンやカンディンスキーの絵が飾られ、大きな観葉植物があり、椅子はどれも一方方向を向いていた。
通院している人は、いかにもバリバリの精神科の患者さんという人たちではなく、一見ごく普通のサラリーマンや学生、OLさんや主婦、高校生くらいの子など、比較的”普通に働いてそうな人”がたくさん居てそれにも驚いた。

ゴンゴンは大きなフクロウのような感じで、いつも違う蝶ネクタイをしていた。患者が座る椅子が丸椅子なのはおかしい!と唱え、患者の椅子も先生が座るとても立派でリラックスできる椅子であった。
私はゴンゴンのもとに約25年通った。ゴンゴンの精神治療は私にとても合っていた。時には話したい事がうまく言葉にできず伝わらない…と思いきや、即座にポンポンと的確な答えが返ってきて気持ちが良い、恐ろしく頭の回転の速い先生だ。不思議な事なのだが、治療が終わると必ずお通じが良くなっていた。(しかもその場で!)
いつも便秘に悩まされていたが、治療を終えるたび毎回お手洗いに行きたくなる。ある時ゴンゴンにそれを話すと、リラックスして自律神経が整うのだろうと言われ納得した。

若い頃一度ストレスで爆発し、教員を辞めた事がある。復帰するまで数年間ありとあらゆる仕事をしていたが、クリニックに通院したり処方箋をもらうお金が段々と重荷になり、それもまたストレスになった。恥ずかしく思いながらゴンゴンにうちあけると、精神通院に適用される自立医療支援制度を勧めてくれた。この制度のおかげで、ゴンゴンのクリニックでの診察料、処方箋が1割負担となり、とても助かった。

結婚して他県に引っ越したのだが、通えそうな先生を探すのに非常に苦労し、新幹線に乗ってゴンゴンのもとに通った。ゴンゴンは『都会だからいくらでも優秀な医者はいるだろうにねぇ…僕のこと黙って病院を訪ねてみなさいよ』と言われた。

というのも、私が知らなかっただけで、ゴンゴンは私が通う20数年の間に、日本にいる精神科医の中でとても有名な先生になっていたらしい。
ある時実家でメンタルが崩壊し、地元にあるクリニックを緊急的に受診した際、『あ〜、あなた権先生にかかってるのね、そしたらどこの先生に行ってもきっと物足りないよ、あの先生の所に行く患者さんは皆信者みたいなもんだから…』と嫌味を言われた。とても不快な気持ちになったがそれもまた納得した。ゴンゴンは確かにカリスマ性があり、人を惹きつける独特のオーラを持っているが、患者の事を信者だとかそんな言い方しなくてもいいじゃないか…。

他県に引っ越し、現在の杉浦先生に辿り着くまで10年以上かかった。どのクリニックに行ってもこれまでの経緯を話すと、どこのクリニックにかかっていたのか必ず聞かれる。その際、ゴンゴンのクリニックに20年かかっていましたと言うと、また同じ答えが返ってくるか受診拒否された事もある。

医者には医者の都合があるのだろう。
私のような難しい(面倒くさい)患者を引き継ぐのはウチでは無理だと言われた事も多々ある。私ってそんなに重病人なの?今どき心療内科に通う人なんて、世の中にごまんといるじゃない、自分は精神科医が引き継ぎたくないほどメンドクサイ患者なのか?と落ち込んだ日も多い。

新幹線でゴンゴンのもとに通うのはあまりにも経済的リスクが高すぎた。迷いに迷い、叔母が通うクリニックに行くと、想像していたより遥かに穏やかで、嫌な顔ひとつせずよく話を聞いてくれる杉浦先生に出会った。精神通院(自立医療支援制度)もそのまま移行してくれるらしい。何よりも同じ家庭で育ち、鬱病を発症した叔母が先に通院しているので、色々と話す手間が省ける。これだけでもとっても楽だ。

20数年お世話になったゴンゴンのもとを卒業し(涙)、新しく杉浦先生の門下生になった気分だ。
ゴンゴンのことは大好きなので、これからも旅行などで遊びに行った際、ふらりと立ち寄ってみよう。

心療内科、メンタルクリニック、精神科…というと、だいたい人に隠れてひっそりと行く場所、その事を話すと大概怪訝な顔をされるか可哀想にという顔をされる。アメリカではカウンセリングなんて10代の学生でもサクサク受けているくらい気軽なものなんです。
もっともっと、風邪をひいたら内科にかかるような気分で、気軽に行けるハードルの低さを皆が持つようになり、社会に浸透してほしいと願うばかりだ。


さて、長くなったが昨日杉浦先生にこのnoteで自分の過去の事をblogみたいに書いていること、何だか知らないけれどアクセス件数が増え、私自身が1番驚いている事などを話した。

先生は『それはあなたが自分の過去のことを整理して昇華するために、何より自身自分のために書いている事だから続けたらいいね。誰に何を言われようが、個人発信のInstagramと変わらない、好きなように、自分の事を吐き出せる場所としてその作業を続ける事はとても適切だ。何なら僕の悪口書いてくれてもいいよ!』と笑いながら話してくれた。とても気が楽になった。週一度のカウンセリングがとっても楽しみなルーティンになっている。

そして楽しみにしている事がもうひとつある。

杉浦先生に初診の診察を受けた際、『もしかしたらあなたも勘づいているかもしれないが、ADHDと自閉症スペクトラムがベースにあるかもしれない。その後に実家で受けた2次的被害などで別の病気を発症して色々と重複している可能性が高いので、僕のよく知っている水野先生を紹介するから、発達障がいの検査を受けてきて。そのデータを基に病名も治療内容も変わるかもしれないし、処方箋の内容も変わるかもしれないからね。』と言われた。

水野先生は日本の中でも発達障がいの検査を専門にするスペシャリストみたいな精神科医で、検査待ちに数ヶ月かかるのはザラだそうだ。色んなテスト、検査、その人の症状などを多方面から検証し、徹底的にデータ化しとても正確な診断をしてくれるらしい。

杉浦先生から水野先生への紹介状を受け取り、先月水野先生のクリニックを訪れた。
敬虔なローマカトリック教会のクリスチャンで、聖書やそれに纏わる書物、絵画、彫刻、小さなシャンデリアがあり、ラヴェルの水の戯れなど、“水“をモチーフにしたピアノ曲が静かに流れていてとても気に入った。
初診なので簡単な問診とテストを受け10分ほどで診察は終了したが、先月はピアニストの例の一件でメンタルがぶっ壊れていたので、会計が済んでも中々帰る気が起こらず、流れてくるラヴェルの曲を鼻歌混じりに歌いながら、置いてある書物を読んだり、絵画を見たり…そう広くない院内をかれこれ1時間くらい散策した気がする。受付の人も慣れているのか何も言わない。とても病院とは思えない、心の中が洗い流されるような空間であった。

水野先生の検査は最短で2カ月待ち、来月末に決まった。今更どんな診断結果が出ようが出まいが、どんな病名が新たにつこうが、もう何も怖くない。
自分がどんな特性を持ち、何に気をつけて生活していくか、それを知るだけだ。

ワクワクするのが、私のアタマん中をその道のスペシャリストが診てくれるというのも何だか楽しみなのだ。そんな機会って一生のうち一度あるかないか、くらいだ。

現在何らかの不調があったり、生きにくさを感じていたり、もしかしたら自分は…と心あたりがあったり、自分の子どもがもしかしたら…と思う人がいたら、気軽に診察を受けてみる事をお勧めする。

世間の目なんて気にしなくていい。

例え何らかの障がいや疾患がわかったとしても悲観的に捉えないことだ。誰しもが本来ならば自分、または自分の家族や大切な人は五体満足であってほしいと願うだろう。しかし何らかのボタンのかけ違いで、あるいは私のように過去に受けた虐待などから何かが判明するかもしれない。でもそれはあなたのせいでも誰のせいでもないのだ。
一人ひとり性格が違うように、ちょっとだけ何かがあらぬ方向にズレてたりするのかもしれない。普通の人なんてきっと1人も居ない。

きっと私はこれから先一生お薬と共に共存していくことだろう。今更全てが完治するとは思ってない、完治する時は自分が死ぬ時だと思っている。

これ以上自分を傷つけないように、心穏やかに生活するために、人に迷惑をかけないように、少しでも生きやすくするために、何よりも自分自身の人生のために、来週もカウンセリングに行ってこよう。

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