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研修旅行-京都教育大学、関西大学- 2

もうひとつ印象に残ったのが、「STEAM教育」というワードと、それを取り巻く状況である。二日目の関西大学初等部では、盛んにこの「STEAM化」という言葉が使われ、公開授業においてもキーワードとなり、「STEAM化」された授業とはどういう授業なのか模索されていた。

ここでは「STEAM教育」の是非というより、それを取り巻く状況について考えたい。そもそも、「STEAM」とはなんだろうか。一般的には、以下のように説明される。

STEAMとは、科学、技術、工学、芸術、数学のそれぞれの頭文字(Science,Technology,Engineering,Art,Mathematics)を合わせた造語であり、米国、中国をはじめ世界の様々な国で進む、第4次産業革命等の潮流を意識した教育改革において、非常に重視されている概念である。STEAM教育は、各教科等での学習を実社会での問題発見・解決に生かしていくための教科横断的な学びのことである。云々。

……

オーケー。何だかアルファベットが多くてよくわからなかったけど、要は「主体的で対話的な深い学び」、「アクティブ・ラーニング」と同じ路線だな多分。一方的で知識をただ生徒に詰め込む旧来の学習観から新しい学びへと。世界もやってるのかふむふむ。あと、教科横断的ね。カリキュラム・マネジメントだよね。教科教育に捉われないでやっぱり探求型の学習だよね。そういう文脈でしょ?

教育に携わる人たちであれば、これくらいの文脈はすぐに分かる。でもそれ以上は?じゃあ具体的に授業にどういう風に落とし込んだらいいの?実社会での問題解決に生かすって理念は分かるけど具体的にどうするのよ?実際、公開授業で見た授業も、授業する先生方は手探り状態という感じであった。

「私たちもSTEAM化というのは意識しているんですけど、現実は難しいことも多くて、試行錯誤の毎日なんです。だからここにいる先生方と一緒に考えていければなと思います」

STEAM教育を研究している学校の先生方ですらこうなのだ。言葉だけが先行している面は否めない。

さて、そんなこんなで公開授業見学を終えた最後に、経済産業省で働いていた浅野大介氏の講演があった。経済産業省から文科省へと出向していた氏は「自分がSTEAMという言葉を作った張本人」であるといい、その意図を率直に極めて明快に語ってくれた。

私たちはよく、「国は~」「文科省は~」という言い方をするが、結局解像度を上げていと、「国」を動かしているのは最後は「人」であり政治家であり官僚だ。しかし日々過ごしているとついついそのことを忘れてしまう。何か別世界でもやもやとしたところが何かやってんだろなと。教育業界を動かす政策を打ち出した張本人の話を、直接顔を見ながら聞けたのは貴重な経験になった。

氏は云う。「学びの探究化、STEAM化とは、要は「いいシゴトをする大人になってね(失敗するシゴトって何か知ろう)」ということなんです」

あらゆるシゴトは、社会課題や生活課題に応えるものです。だから、様々な社会課題、生活課題を題材に、思考ツールなど使える武器は駆使しながら総合的に解決できるような大人になってほしい。いわばその予行演習なんです」経済産業省で働いていた彼は実体験を交えて続ける。

「震災があって支援に行ったとき冬の長野で、避難所となっている体育館を温めないといけない。自分が被災地の現場に到着した時、現場では天井が高くだだっ広い長野の体育館で、石油ストーブをガンガンにたいていた。しかし中々温まらない。刻一刻と状況は悪化していく。そういう状況で何ができるのか、目の前の問題を解決しなくてはならない。

その時、じゃあいくら石油ストーブをたいても暖かい空気は上にいっちゃって下で寝ている人たちに暖気は届かないのなら、体育館ではなく人を個別に温める手段に切り替えましょうよ。そのために毛布、カイロなど別の手段に切り替えることはできないかまずは動いてみましょうよ。石油ストーブたいて下に二酸化炭素がたまっている状態で気持ち悪くなる人も出てくるかもしれないから、段ボールベッドで寝床の高さを上げる工夫もしましょうよ。これだけ体育館の中に人がいて入るか分からない?体育館の長さを測りましたか?段ボールベット一つにあたり長さはどれくらいか、その長さで体育館の長さを割れば何個並べられるかわかりますよね。まずは計算しましょうよ」

と被災地で指示した当時を振り返る。

これこそがSTEAMなんです。目の前の問題を解決したいと思ったら、勝手に総合化する。STEAM化する。教科がどうとか、いつまでも言ってないで、そういう訓練を学校からやりましょうよと」

さらに氏はこう続ける。

「あるいはこの例は、スポーツや芸術などあらゆる分野に関しても全く当てはめることができるでしょう。優れたアスリートは、目の前の目標を達成しようとしたとき、自分を勝手にSTEAM化しているのです。一流の人間は、みなサイエンティストであり、エンジニアであり、アーティストである。大谷翔平や、三笘薫が、非合理的なトレーニングをしているとは思えない。「いいシゴト」をしている彼らの学びは、自然と総合化しているのだ。STEAM化とは、そういうものなのだ」、と。

講演は大体以上のような内容を氏が何度も主張し、終えた。

1時間を超える講演の最中、彼が椅子に座ることは一度もなかった。


……

冒頭でも述べたが、自分は「STEAM教育」の是非について語りたいわけではない。教育業界だけではないかもしれないが、国の打ち出す政策と、現場の意見がかみ合わないことはよくある。それにかこつけて「これだから国は~文科省は~」と愚痴を言うのは簡単だ。理想と現実はいつも食い違い、お互いがお互いの主張をしあう

しかし、国には国の意図がある。役所には役所の狙いがある。それもつかめず、ただ言葉に踊らされ、不平不満を言うだけの大人は、かっこよくない。

自分に指示を出している存在の顔を見て、何でそんなことを言うのか、自分に何を求めているのか、ただ鵜吞みにせず意図を知ろうとすることは、常に大事な営為なのではないだろうか。

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