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昨日のもやもや。何が正解だったかな。

昨日、noteには書かなかったけど、実はこの件に関して少しやもやしていた。

無理矢理ではないけどちょっと強引にポケGOから公園遊びにもっていったことに対して。

まあ結果的に子どもたちがいい顔していたから、これはこれでひとつの正解だとは思っているけれど、今日はこのもやもやを少し整理してみる。


子育ては一瞬一瞬で判断が必要となる。

その際、大切にしているものが明確だと判断しやすいし、

間違った場合も気づきやすい。

間違ったかもと思ったら、軌道修正すればいい。

答えは目の前の子どもの姿(中)にしかない。


瞬間瞬間の判断は間違ってもいい。

大切なのはそのあとだと思う。

もやもやが正解に導いてくれる。


■判断できるようになってから判断させるのでは遅い!

人生は選択の繰り返し。

自分で判断することで、自分の人生を生きられるようになる。

他人の選択に委ねるのは、他人の人生を生きることになる。

失敗していい。転んでいい。

もちろんサポートはするけれど、

自分で選択することを大切にしてほしい。


と私は思っているのだが、昨日、最終的な選択を長男に任せなかった。


■再び同じ場面になったとき、どうするだろうか?

「ゲームより走り回ってほしい」とお友だちのママは思っているだろうな。

あのときを振り返ってみて、子どもはどっちみち楽しめるから、それよりママの気持ちを優先しようと考えていた。

実際、この時期はゲームに没頭するよりは5感や体全体を使った外遊びを優先したほうが一般的にはいいだろう。

そして、きっとあのままゲームを続けていたら「ゲーム楽しかった!」になっていたと思う。「また公園でポケGOやろう!」がしばらく続くと思われる。

考えた結果、「走り回ってよかった!」という体験を得る確信をもって、みんなのところへ戻すことにした。

イヤイヤ戻った感じではなかったけれど、親のこうしてほしいに子どもを誘導しているとも考えられる。

それはコントロールともいえるのではないのか?


私の価値観としては、

『本人たちがやりたいならそのままゲームを続けさせてみて、子どもがどう感じたか?』を大切にするのが正解だろう。

そもそもゲームが悪とは限らないし(良い面もたくさんある)、きっとゲームに満足したら外遊びもする。

ただ、その結果、失敗とは言わないけれど貴重な外遊びの時間が減ることも事実。また、ママたちにその選択が歓迎されるとは思わない。

う~ん・・・

結局、今回同様にみんなで走り回って遊ぶようにしむけると思う。長男はそれが好きだし。ママたちの精神をむしばんでまで今ここでゲームを楽しむ必要はない。

ただ、「子どもがどう感じたのか?」と「想いや考えを子どもに伝えること」は大切にしていきたい。

あと、ママたちの考えも聴いてみよう。







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