人生の優先順位 子供と仕事

 大家になって一年。
 1号物件の戸建てが完成して賃貸に出した。

 1号物件が完成する少し前に2号物件の戸建てを買っていた。

 何も分からず買った1号物件。
 夫に言われるがまま、夫と内見して購入を促され一緒に迎えた決済とは違い、2号物件は1人で内見し購入を決断した。
 230万の売値に200万の指値をして、仲介手数料や登記費用含め230万持って1人で決済に向かう。

 震えていた気がする。200万なんて大金を動かす決断を初めてしたのが24歳の時。
 緊張するとワクワクしてくる。

 コレから、どんどん物件増やしたい!

 2号物件の決済を終えてリフォーム開始。
 少し壁と床を直すくらいで、ほぼそのまま貸せる家だった。

 順調に思えたリフォーム2ヶ月目に生理が来なかった。

 妊娠したっぽいよな。どうしよう。子供今産んだら物件ストップするよな。

 そんなことを考えながら産婦人科の予約を入れた。

 産婦人科に行く前日の6w6日。
 生理並みの出血があった。
 取り敢えず産婦人科に電話したが、検診しないとわからないと言われた。
 あぁ、多分これはダメだろうな。

 翌日、流産と診断される。
 複雑だった。いま子供が生まれたらリフォームが出来ない、と思っていた。困る、とさえ。でも産まれてくるもんだと勝手に勘違いしていた。

 胎児が見えないが妊娠反応は出ていたので、念のため翌週も来てと言われた。
 何のためだろう?と思ったが指示に従った。

 後々知ったのだが、稀に流産後に体が妊娠ホルモンを出し続けてしまうことがあり、その検査のためだった。
 産婦人科では先生が少し気まずそうにその後変わりはないですか、と問診してくる。
 少し遅めの生理くらいに考えてます。と言うと明らかに顔に安堵があり、一ヶ月は妊娠しないように気をつけて下さい。と言われた。

 物件のリフォームは相変わらず続ける。
 心拍確認前の初期流産だった。
 生理と変わらず1週間くらいで出血も終わり、つわりもなく物件に通った。

 2号物件はその1ヶ月後、リフォーム期間3ヶ月で完成した。
 その2ヶ月後に入居が決まる。
 1号物件はリフォームも客付も大変だっただけに拍子抜けした。

 私の誕生日を迎える。
 年を一つ重ね、所有物件も満室。
 落ち着くと第二子の事を考える様になった。

 子供、つくろうか。と夫と相談して妊活を始める。
 そこから3ヶ月経つが全然兆候がない。

 第一子は結婚して4ヶ月でできたのに。

 リフォーム期間中の流産から半年が経っていた。

 今年中に妊娠しなければ、検査しよう。
 夫にそう伝えると焦りすぎだと言われた。

 子供なんてすぐできるもんだと思ってた。
 今すぐ妊娠して出産して、また物件買う。
 そう計画を立てたのに妊娠しなかったら全てがずれていく。
 妊娠しないのなら物件を買いたい。
 いやいや、子供が先。妊娠を待とう。

 それから一年が経つころ、ようやく生理が遅れた。
 1週間を過ぎて検査をすると陽性だった。
 妊娠したかもしれない。
 でもまだ分からない。
 前回の事があるから、心拍確認までは安心できなかった。

 7wの検診で無事心拍が確認され、母子手帳を貰う。
 心拍が確認されればこっちのもん。
 次は鶏の餌小屋を建て始めた。

 予定日前日。
 陣痛が始まった。
 産まれた次男を見て、これで私の出産ノルマは課した。
 あとは仕事をすればいい、と考えた。

 物件増やして仕事したい!の一心で次男が生後半年になった頃、一棟の木造アパートを買った。

 子供が沢山欲しいと言う夫と仕事がしたい私。
 子供は可愛いが自分の人生を生きたい。
 そもそも、私の人生とは何だろうか。

 物件買って資産増やしてお金持ちになる?
 子供を沢山産んで家族で幸せに暮らす?
 うーん、どっちもいいなぁ。

 少し年上のお子さんがいる宮崎の先輩大家さんに子供を産むか物件を買うか迷っていると相談に行った。
 子供は宝だから、欲しいんだったら産めるときに産んどいた方がいいよ〜と言われた。

 子供が欲しいのかどうか。
 自分の未来ばかりに目を向けて、今の自分がどうしたいのかを見ていなかった気がした。

 長男と次男を見る。可愛い。もし3番目が女の子だったら楽しそうだな。

 よし、3人目を産もう。
 それから一年後に妊娠した。

 妊娠16wの検診で性別が男の子だと判明。女の子も欲しいと思ってはいたが、こればかりはどうしようも無い。

 陣痛が来て出産に向け婦人科に向かう。
 陣痛室で立て続けに2件、不動産から電話があった。
 この電話でアパートの空室が全て埋まり所有物件が満室になった。
 なんとなく、子沢山の道が間違いでないと誰かから背中を押された様な気分になる。

 その後無事に出産を終え、第三子の顔を見た時に皺くちゃの顔が可愛いと思えた。

 1人目は何が何だかわからずひたすらに大変だった。

 2人目は1人目の経験から少し楽になるが、2人育児という新しい経験があり大変だった。

 3人目は何をしても可愛い。
 泣いても、赤ちゃんはそういうもんだと余裕があった。

 ある日、夫に3人目が夜中泣いてるのにあんた起きないよね。と言われた。

 1人目の時はふぎゃ、とかゔー、とかの少しの唸り声で起きてた。
 様子を見て、静かに寝かせないといけないと思ってオムツ変えたり授乳したり、立って抱っこして揺らしてた。
 でも3人目ともなると変わる。
 そんくらいの声なら大丈夫なんよ。ほっときゃ寝る。

 3人目を出産して一年。物件は増えていない。

 仕事か、子供か。
 今の私は子供を選択した。だって可愛いもん。
 仕事出来ない事への葛藤がない訳じゃないけどね。

 そうそう、こんな言葉も先輩大家さんに貰った。

 物件は60歳になっても買えるけど、子供は産めないよ。
 自分たち夫婦は今は不動産を初めて生活に余裕ができたけど、もう年齢的に子供は産めない。
 もう1人欲しかったと思っても無理なんよ、だから後悔だけはせんようにして欲しい。

 自分が後悔しない人生の送り方を考える上で、子供を産むか産まないか、産むとしても何人なのか。

 仕事もしたい、子供も欲しい、そう思った時に優先順位を付けないといけないと教わった。

 確かに、バリバリ不動産だけをやれば60歳で凄い資産を持てるかもしれない。
 子供を産まず、自分だけの為に時間を使えればずっと走り続けることが出来るかもしれない。

 反対に子供を産んで、子供と時間を過ごすことで60歳の時の資産は前者より少ないだろう。
 走り続ければ子供を置き去りにする事になる。子供と自分と仕事、全てのバランスをとるには仕事の手を止め、もどかしい思いだってする。

 それでも私は、子供を産んで資産を増やす道を選んだ。

 自分が教えてたはずの後輩がどんどん物件を増やして、家族を養っている。

 悔しいと感じる時もある。
 自分も男だったらなら、もっと自由に時間を使えたなら、と考える時もある。

 でも私の性別は女で、男と同じ戦い方は出来ない。

 男女平等、なんて有りはしないときっと幼少期に気付いてた。
 だからこそ男に生まれたかったと憤ったし、男のフリをして親に心配をかけた。

 仕事か、子供か、なんてそんな事を男が悩むという話は聞いたことが無い。

 だって役割が違う。
 戦いの場に女が上がる事を許されるようになり、選択肢が広がった。

 しかし男と肩を並べて戦うことは出来ない。
 戦うフリは出来るし、支援くらいは出来る。
 でも決断は出来ない。開戦も、降参も、たくさんの命が散る決断をしたがる女はいない。

 選択肢が広がった現代。でも選択を間違えたままに時間を過ごせば元には戻れないのが女の人生。

 本当にやりたい事は何かを考え、自分が憧れる生活をしている人に会いに行きアドバイスを貰う。

 一度きりの人生、欲しいものは全て手に入れたい。

 悩み、考え、葛藤に苦しみながらだした決断は自分の軸となる。

 子供が欲しい。お金も欲しい。キャリアも、幸せも、あれもこれも。

 時間軸を長く持て。
 そう言われても難しいんだけどね。

 今やるべき事から逃げずに、一つずつ積み重ねろ。
 言葉にすると簡単なんだけどね。

 今日も私は子供の世話をして、物件を買えるのはきっと早くて2年後。

 映画みたいにスキップは出来ないから、一日一日を過ごすしかなくて。

 楽しい日もあれば、他人をうらやましく思う日もあって、もどかしく思う日もあれば、これで良いんだと幸せを噛み締める日もある。

 自分のやりたい事、自分にできる事、そして優先順位を考えること。

 いつか、全力で仕事に没頭したい。

 長男7歳
 次男3歳
 三男1歳
 四男10月出産予定

 いつになったらできるやら。
 でも、私は60歳で後悔しない選択を続けていきたいから今は子育てを楽しむよ。

【男のフリして親に心配をかけた】
男に生まれたかった子供の頃は荒れていた話。
をご紹介。
中2の時に母から問われた。手術して男になると?
そこから自分の人生と真剣に向き合ってきた。
男に生まれたかった。でも女として生きることに決めた。こんな子供時代は荒れていた話。

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