男に生まれたかった。でも女として生きる事に決めた。そんな子供時代は荒れていた話。思春期の乗り越え体験。
トランジェンダー
この言葉がまだ普及していない時代。
2008年に中学2年生だった私に母はこう聞いてきた。
「手術して男になると?」
ニューハーフタレントのはるな愛がミス・インターナショナルクイーンで優勝しテレビではニューハーフタレントの姿を見る様になった頃、外国では手術で体の作りを変え戸籍も変更出来るとテレビで放送されていた。
いずれその波は日本にも来る。との噂もあった。
私の住む地域の中学校は制服がセーラー服だった。
制服を着ないのではないか、それを理由に不登校になるのではと心配した母がとった行動はとても奇天烈で自身が母になった今とても感心する事であった。
サイズを計りに中学校に行き、その後制服を受け取りに行く。
サイズを測る時には学校の見学だと言われ、制服を取りに行く時には教科書販売があるからと言われていた。
受け取った制服の箱を触りもしない私に母は何も言わなかった。
数年前に両親が離婚してから、母の実家でお世話になっていた。
その日は祖母の習慣でいつも通りに17時に夕飯を食べのんびりしていた。
不意に、間借りしている2階の部屋から母が私を呼ぶ声が聞こえる。
「さとー!!きてー!」
部屋に向かうとそこには今日受け取ったばかりのセーラー服を着た母がいた。
「?、?!、」
想像もしなかった光景に思わず頭に血が上る。
「それオレの!脱げ!」
いそいそと脱ぐ母。それを腕組みして睨む私。
別に欲しくなかった。要らないとすら思っていたセーラー服でも、自分のものだ。それを母が着てるという衝撃に怒りが湧いた。
脱いだそばから母は私に制服を着せる。
着たい訳ではない。だけど自分の物だと強く認識させられた今は黙って着せられていた。とても癪だった。
せっかくだからと煽てられて叔父家族の前にセーラー服姿で立つ。
「おー。似合うやん。」
「さとこも中学生かぁ。」
「早いなぁ、もうそんな年かぁ。」
誰の顔も見れなかった。
スカートなんて女の象徴だ。履きたくはない。
でもこの制服は私のものだという矛盾する思考がぐるぐると頭を回る。きっと苦い顔をしていただろう。
その後、母が制服を着たと聞いた従兄弟が見たい!もう一度着てよ!と言っている声を聞いた。
私はすぐに部屋に戻り四苦八苦しながら制服を脱いで丸めて隠した。
次に見た時にはハンガーにかけられていた。
母の戦略にまんまとハマった。その自覚はあったが、いまさらやっぱり制服はいらないと言えるほど大人では無かった。この制服は私の物だという怒りが執着となった。
無事入学式を終え学校に通う事になる。
友達にはさとこが制服着てる〜!スカート姿初めて見た!と言われるがシカトした。
中2になった。母と買い物に行くために玄関を出て車に乗るまでの間に唐突に問われた。
「手術して男になると?」
「--は???」
何を聞かれているのか分からなかった。
「ほら、日本では難しくても海外ではそういう事もあるんでしょ?」
そこまで考えてなかった。
自分が女であるという事が気に食わなくて男の様に振る舞ってはいた。
だがなぜ男に生まれたかったと思っているのかは理解していなかった。
男になれるの?男になったら何が変わる?
私は、どうしたいのか。
すぐには答えが出ない。
思えば幼少期、幼稚園の頃は可愛いと言われても恥ずかしさこそあれ嫌では無かった。
いつからだろう。可愛いと言われるのが嫌だと考え始めたのは。
女は弱い生き物だと、社会的弱者であると、女というだけで生きて行くのは不利だと思い始めたのは。
本当にそうなのだろうか。
教科書には男女共同参画社会基本法が出来て男女は平等である社会を作ると書いてあった。
女性でも働いている人はいて、男の様にお金を稼ぐ事が出来る。男と女は何が違うのか。
社会的地位が弱い?でも教科書には女性が政治家になれるとも書いてあった。お金持ちにも頑張ればなれるだろう。男と同じ様に。
何が違うのか、ひたすらに考えた。
その歳の夏。
お盆の親戚の集まりでは、今年はいつもより皆の顔が緩んでいた。
初孫が来ていたのである。
まだ寝返りも出来ないくらいだったと思う。
皆が集まり食事をする和室の角に、赤ん坊がいた。
これだ。と思った。
男と女の違いは子供を産むかどうかでは無いのか、と。
お金も地位も何もかも、男でも女でも手に入る社会がこれからやってくる。
人が作ったものには男女の差を無くすらしい。
だか、手術しても生物的な機能は変えられない。
男になっても子供を残せないのだと気づいた時、勿体無いと思った。一度きりの人生、どうせなら出来る事を全てやってみたいと。
この頃に子供を産む為には手術せず女として生きる必要があると考えだした。
高校生になった。
勉強の嫌いな私は公立で家から近い高校にした。
高校の制服はブレザーだった。
高校を選択する際に将来の夢を問われるが、今の自分さえブレブレな状態で将来なんて想像も出来なかった。
今後の人生手術して男として生きるかこのまま女として生きるか、どうしたら良いのか分からなかった。
とりあえず大人の引くレールに乗って高校受験をした。
高校三年生の時。
祖母の葬式に従兄弟が大きくなった女の子を連れて来ていた。
面白いと思った。あんなに小さかった生き物がこうなるのかと興味が湧いた。
祖母の死と新しい命の成長。
いずれ死ぬのなら子供を育ててみたいと思った。
私にとっては男と女の違いが筋力や性といった体の作りしかないと考え、手術では見た目は変えられても機能は変えられないのだと気づいた。
手術してしまっては後戻り出来ない。
ならより選択肢の多い今のままで人生謳歌しようと。
気が変われば手術すれば良い。
そうして女として生きる事を決意した。
トランジェンダー。
男だとか女だとか、そんなものにこだわるのは本人が1番気にしているからだ。
男に生まれたかった。でも女だった。
だからこそ敏感に周囲の目が気になるし、ちょっとしたことで嫌な気持ちになる。
中学の制服を着た私を親戚は可愛いとは言わなかった。緘口令が敷かれていたらしい。
周りの配慮は必要かもしれない。でもそれは大事に思う人からの配慮で満足すべきだと思う。
とことん悩んだ。とことん悩んで関心を広めて自分で決断したなら、人生は楽しくなる。
私は小学生の頃は自身を俺と呼んでいた。男に生まれたかったからと女である自分を否定し、毎日イライラしていた。全てを否定し周りも敵だらけだと思っていた。人生で1番楽しく無い時代だったかも知れない。
どんな自分になりたいかを言語化し、その為に何をすれば良いかを組み立てればあとは進むだけ。
簡単そうに見えるがそれが難しい。いっそ何も考えない方が楽で、思考を放棄して逃げ出したくなる。
私は男に生まれたかったと気づいてから10年、男になれると知ってから5年間ひたすらに悩んだ。
周りを観察して、自分に当てはめてはコレは違う、コレは興味がある、とひたすらに考えていた。
なぜ逃げなかったのか。きっとどの選択をしても母親が私を見捨てないと言う確信があったからだと思う。
だって、手術して男になると?と聞くくらいだ。
親にとって最も最悪と言える選択肢を候補に入れてくれるなら、何があっても何とかなりそうじゃないか。
自分の人生は自分で組み立てる。
それが出来る環境が私にはあって、女でも選択出来る時代に生まれた事が私にとって最大の幸運だった。