お金は共同幻想
需要があって、供給が少ないと、ものの値段は高くなる。
供給が多くて、需要が少ないと、ものの値段は安くなる。
最近経済学を、ほんのすこーしだけかじって、覚えたことだ。
まぁ、たしかにな、と思う。
コロナ禍だった頃は、それまで数百円で買えていたマスクが、数千円になっていたのが、わかりやすい例だ。
そういや、僕の周りにも、
なんて人がいた。
需要が高くて、供給が少ないから、マスクの値段は高騰した。
では、供給が多くて、需要が少ないものはなんだろう。
これ、よく考えると、日本のビジネス全般に言えることなんじゃないかと思う。
現在はものが売れない。
ミニマリストが流行っていたり、FIREが流行っていたり、なにかとお金を使いたがらない人が多いからかもしれない。
そもそも、みんな無駄なものにお金を使いすぎているんですよね。
僕はこれを、UFOキャッチャーで取ったぬいぐるみに対してよく思っていた。
…まぁ、そんなことはやっている最中には思っちゃいないけど。
お金を使わないと、経済は回らない。
みんながお金を使わないと、日本経済は良くならないらしい。
お金は、人間の体で言う、血の役割がある。
血が体を巡らないと、人間は死んでしまうように、経済もお金が回らないと、不況になるらしい。
…お金が血?
なんとも人間社会というのは、がめつい社会なんだな、と思う。
お金は、幻想らしい。
お金というのは、みんなが価値があると思いこんでいるから、本当に価値があるものになっているだけで、お金そのものに価値はない。
そもそもの価値をいうと、1円玉の原価は2円で、1万円札の原価は20円らしい。
なんていう原価厨なら、1万円札よりも、1円玉をたくさん持てば良い。
原価で考えるなら、1円玉を5000枚持てば、1万円になる。
まぁ、そもそもこの原価自体が、共同幻想の一部なのだけど。
幻想に振り回されている。
僕らはお金に振り回されることが多いが、これはただの幻想らしい。
銀行に預けたお金は、ただの数字になり、実態は持たない。
そして、その実態のない数字をまた銀行は、企業などに貸して、利子を得る。
それもまた、ただの数字だ。
こうなると、実際のお金ってなに?ってことになる。
幻想に振り回される僕たちは、また幻想に生きているのかもしれない。
経済の話をすると、賢くなった気がする。
…多分、これも幻想だ。
おしまい。
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