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死に至る病、視野狭窄

視野が狭い。

という言葉がある。

意味としては、

  • 緑内障などの視野が狭くなる、目の病気

  • 物事に対する、判断の範囲が狭いこと

前者は物理的で、後者は精神的なものだ

僕は視野が狭い人間だ。
もちろん、精神的な意味で。

精神的に参っている人、精神的に追い詰められている人がなりやすい、精神的な視野狭窄しやきょうさく

今回はこの、精神的な視野狭窄について考えてみる。

ただ生きているだけで追い詰められる人たち

僕はただ生きているだけで、追い詰められていたようだ。

追い詰められると、視野が狭くなる。

なぜ追い詰められていたかは、よくわからない。
僕のような、HSP気質の神経過敏な人間は、ただ生活しているだけで、なぜか追い詰められてしまうことが多い。

他人に必要以上に、気を使いすぎるからだろうか。
自分が気を使わないと、その人に嫌われてしまうと思うからだろうか。

まぁ、どちらもだ。
自意識過剰で、他人に嫌われれるのを過度に恐れる。

だからこそ、僕のような人間は、生きているだけでなんとなく追い詰められてしまいがちだ。

視野は広くならないと、広くできない

僕のような人間に出会った時、健康で視野が広い人間は、不思議でしょうがないだろう。

  • なぜこの人は、こんなどうでもいいことに固執しているのだろう…

  • いやいや、その考えでは絶対上手くいくわけないじゃないか…

  • 解決法はたくさんあるのに、どうして気づかないのか!

なんて気持ちになる人は多いと思う。

しかし、視野狭窄に陥っている人は、わからない。
そんな人に、「もっと視野を広くしよう!」なんてアドバイスをしても絶対に理解ができない。

視野が狭い人が、その狭い視野を広くするには、自分で気づくしかない。

「あれ?落ち着いて考えれば、こうでいいじゃないか…」
「以前の僕は、どうしてこれに気づかなかったのだろうか…」

視野は自分で気づくことで、ようやく広くすることができる。
そして、視野が広くなった時始めて、その視野を更に広くすることも可能になる。

視野は広くならないと、広くできない。

近所にいるのは、雀とカラスだけ

僕は最近、メンタルの調子が良くなりかけている。

そうすると、以前の自分がどれだけ、視野狭窄になっていたかが、わかるようになってきた。

「どうして僕は、こんな当たり前のことに気づかなかったのだろうか…」

と思うことが日々増えてきた。
そんななか、最近一番の衝撃があった。

それが、近所の野鳥についてだ。

あなたは、近所でなにげなしに飛んでいる鳥を、意識して見たことがあるだろうか。

僕はどうやらなかったようだ。

なぜそんなことを思うか。
僕は、近所に飛んでいる鳥の種類は、

雀と、カラス、たまにつばめ。

上記の3種類くらいしかいないと思っていた。
冗談ではなく、本当にそう思っていた。

視野狭窄だ。
以前の僕は、深刻な視野狭窄なのだと思った。

そして、以前より少しメンタルの調子が良くなった今、気づいた。
野鳥はたくさんいた。
白い鳥、青い鳥、少し大きな鳥、不思議な鳴き声の鳥。

驚いた。
こんな町中に、こんなにも色々な種類の鳥がいることに、僕はカルチャーショックを受けた。

死に至る病

視野狭窄に陥った人間は、そこから抜け出すのがとても困難になる。

  1. 視野が狭くなる

  2. 視野が狭いことで、何事も上手くいかない

  3. 上手くいかないことで、更に視野が狭くなる

無限ループだ。
負のスパイラルの無限ループはきつすぎる。

以前の僕はどうやらこの、負のスパイラルの無限ループに陥っていたようだ。
しかも、この無限ループから抜け出すために必要なのは、自分の力だけというのが厄介だ。

いくら他人から、「こっちに抜け道があるで!!」と言われても、自分がその抜け道を認識しなくては、絶対にそのループからは抜け出せない。

負のスパイラルの無限ループは、死に至る病だ。
死に至る病から抜け出すためには、自己認識が必要だ。

結論。

『死に至る病から抜け出す、自己認識』

ということで、以上です。
ありがとうございました!

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