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怒りとハサミは使いよう

こんにちは、コーシローです。

『怒り』

あなたはこの言葉にどんなイメージを持ちますか?

  • あまり持ちたくない

  • 負のイメージ

  • 不必要な感情

このように、『怒り』には否定的なイメージを持っている人が多いかもしれません。

アンガーマネジメントなんて言葉も最近使われますし、『怒り』は現代人には不必要な感情とされています。

しかし、それはどうなのか。
頭ごなしに「怒らないことは正義」とするのはどうかと思うんです。

そして、日常にはどうしても怒らなくてはいけない場面はある。

たとえば、子供が駐車場で走り回って遊んでいたとする。
そんな時は、怒らなくてはいけない。
駐車場で走り回ると、車に轢かれてしまうおそれがあるので、怒ってでもその行為をやめさせないといけない。
どうしても、怒りを使わなくてはいけない場面はある。

上記の例は、怒りを仕方なく使った場合だ。

しかし怒りの使い方はそれだけではない。

怒りは使いようによって、自分を成長させるものになり得るからだ。

怒りとハサミは使いよう

怒りとハサミは使いようである。

もちろん、こんなことわざはこの世に存在していないが、雰囲気だ。
雰囲気は大事だし、なにより語呂がいい。
少しだけ韻を踏んでいるような気がしないでもない。

怒RI、とハサMI、は使いYOU!!!
である。

怒りは使いようによっては、自分を成長させる原動力になりえると思うんです。

僕はこれを最近実感しました。

愛のない上司に怒りのダンベル

僕の職場にはたまにやってくる、愛のない上司がいる。

以下の文は上司がどんな風に、愛がないのかをただ綴っているだけ。
なかには愚痴も含まれているため、読むことで不愉快な思いをするかもしれない。
読み飛ばしても問題はない

その上司とは、一年に一度ほど顔を合わせる機会がある。
上司は営業ということもあり、喋るのが好きだ。黙って聞いていればいつまでも、自分のことばかり話している。
基本相手の話しは聞かない。
営業が自分のことばかり話すのは、どうかと思うが、上司はそんな人間だ。
特に自分より立場が低い人に対する、話の聞かなさ加減は尋常ではない。

たとえば、上司が僕に話しかけてくるとする。

上司「あの仕事はどうなんだっけ?」
僕「その仕事は〇〇が今進めているところです」
上司「…(無言でスマホイジイジ)」

返事くらいしてほしい。

他にも上司は質問が異様に下手だ。

上司「仕事とはなんだと思う?」
この質問の答えはなにか。

・お金を稼ぐもの
・人を喜ばせるもの
・自分を成長させるもの

仕事はなにか、という質問にはいくつも答えはあるし、一概にこれが答えというものはない。
言ってしまえば人それぞれだ。

仮に上司の答えが『仕事はお金を稼ぐもの』だとして、
僕が、『人を喜ばせるもの』だと答えたとしても、それが間違いだと言うことはできない。
しかし、上司はそれを間違いだという。

人の話を聞く余地がゼロだから、自分の意見が全てだと思っているのだ。
仮に求めている答えを出してほしいのであれば、もう少し質問をピンポイントでする必要がある。

基本、自分のことしか考えていないのだ。

結論、上司には愛がない。

完全に愚痴だ。しかも長くなってしまった。
愚痴は言いたくない
自分が汚れる気がするし、上司の愚痴を言うことで、上司のことを思い出す時間が増えるから。

とはいえ今回は、この怒りを利用したいという話しだ
上司のことを思い出して、この怒りを原動力にしている話しをしたいのだ。

副題の『愛のない上司に怒りのダンベル』とは、ダンベルで上司を殴るわけではない。

  • 怒りの力をダンベルを上げる力に変えようということだ。
    そう、この副題は筋トレの話である。

怒りは最も強い原動力

怒りは最も強い原動力になり得る。

怒りで人は人を殺める、というのが何よりの証拠だろう。

「カッとなってやってしまった…」

なんて言うのは、古畑任三郎の冒頭で殺人を犯してしまう犯人の典型だ。

要は、この強過ぎるほどの原動力を自分のために使おうという話しだ。

たとえば、先程の『愛のない上司に怒りのダンベル』は、僕が日々行っている筋トレの思考プロセスだ。

僕は5キロのダンベルを3分間上げ続ける、という筋トレをしているのだが、これが辛い。
大体始めて1分もすれば、腕はパンパンになり、やめてしまいたいと思うのが日常だ。

「まだ、2分もあるのか…無理かもしれない…」

なんてことは毎回思う。
しかし、ここで怒りだ。怒りのダンベルはここで登場する。

「筋肉を鍛えて、上司より強くなる!!」

なんてことを思えば、先程まで無理だと思っていたダンベル上げは継続できる。

ここで辞めたら、上司に負けたのと一緒だ!!

というわけのわからない理由、もつけられればもっといい。
どんなに辛かろうが、ダンベルは上がる。

とかなんとか、怒りをダンベルにぶつけているうちに、3分は過ぎる。
これが怒りのダンベルの正体だ。

怒りを自分の成長に使おう。

他にも使用例をいうと、

  • あのクソ上司より、偉くなってやる!

  • あのクソ上司より、金持ちになってやる!

  • あのクソ上司より、幸せになってやる!

なんてのがそうだ。

もちろん、この方法が良くないと言う人もいるだろう。
そんな人を否定する気はないし、怒りはない方が極力いいものでもある。

しかし、あるだろう。怒ることは。
悟りを開いた人間でない限り、怒ることは必ずある。

ならばそれを原動力に変えてやろう。
怒りを原動力にして、自分の能力を高めるのだ。

怒りは他人にぶつけるものではない。
怒りは自分の能力を高めるために使うものだ。

なによりそうすれば、誰にも迷惑はかからない。
怒りを原動力にするコツは、それが自分のためになるかどうかだ。

そして、自分の能力がたかまったことで結果が出れば、怒っていた相手に感謝すら生まれる

「あの時あなたが言った言葉が忘れられなくて、ここまで努力ができました。僕を高めてくれたのは紛れもなくあなたです。」

なんてこともいつか言えるかもしれない。

結論として、怒りを原動力にすることは、怒りを納める方法にもなり得る。

毒で毒を制するように、怒りで怒りを制しましょう!

なんていう良いオチがつきました!
やりました!これもなにも、あの上司が嫌なやつだからです!

ありがとう上司!あなたのおかげで今日も記事が書けました!

これも、怒りを原動力にする、という例のひとつです。

ということで以上です。
お目汚し失礼しました。

お疲れ様でした!

サポートされると、僕が喜びます。僕が喜ぶと、文章のノリがポジティブになります。