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『リア充』なんて言葉を使うと損をする

リア充、という言葉に違和感を覚える。

いや、正確にはリア充という言葉を使う側の人間に違和感を覚える

リア充という言葉を使う側の人間とは、どんな人間か。

端的に言えば、

リア充をねたんでいる人

ということになる。

自分はこんな、しみったれたつまらない生活をしているのに、あいつは毎日楽しそうだ。

「リア充っすね!」

という言葉には、皮肉めいた意味があるのではないかと思う。

リア充っすね!(皮肉)

という人間は、自分がつまらない生活をしているから、他の人が楽しそうにしているのがたまらなく悔しいのだ。

そして、リア充という言葉を使い、揶揄することで、なんとか自分のアイデンティティを保とうとする

悲しき存在。
それが、リア充という言葉を使う側の人間だ。


リア充は忙しい

非リア充に対して、リア充は、

「お前は非リア充だからなぁ!笑」

なんて、言葉は使わない。

なぜなら、リア充はそんな非リア充を馬鹿にするほど暇ではないからだ。

リア充はリア充として每日を楽しむのに忙しいので、非リア充に構っている時間はない

「非リア充?そんなことより合コンだ!」

なんて感じで前を向きまくっている。

まったく、健全ですよね。


リア充は嫉妬しない?

では、リア充は誰かに嫉妬することはないのだろうか?

非リア充がリア充に嫉妬するように、リア充は誰かに嫉妬したりしないのか?

多分そんなことはない。
リア充は、さらなるリア充に嫉妬している。

たとえば、地方のリア充は、都会のリア充に嫉妬しているだろうし、都会のリア充は、海外勢のリア充に嫉妬しているに違いない。

ということは、地方のリア充は、都会のリア充に、

都会のリア充っすね!(皮肉)

なんて言葉を使うのかもしれない。


『深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ』

上記の言葉は、

『哲学者と言えばこの人!』

で有名なニーチェさんの言葉だ。

この言葉を今回の件に当てはめると、

リア充になろうとしている時、非リア充にもなろうとしているのだ。

ということになる?
…いや、訳分からんし、多分間違ってる。

まぁ、あれです。
要は、

上を目指してもきりがない!

ということです。


リア充なんて言葉は口にしない方がいい

今回は、職場の同僚の会話に『リア充』という言葉が出てきて、なんとなく違和感を覚えたので、思うがままに書いてみました。

同僚A「最近知り合いが野球観戦に行ってさ」

同僚Bリア充!!

同僚A「え?…あぁ、うん…それでさ…」

という会話を傍から聞いていて、

「…なんでそんなこと言うん?」

と思い、この違和感を言語化してみたいと思い書いてみた。

コミュニケーションの一部なのかもしれないが、そんなこと言う意味なくない
だって、その同僚Aが話したい事柄の、邪魔でしかないから。

言うなれば、その同僚Bは『空気を読めない言葉を放った』ということだ。

それに、『リア充』という言葉を使ったって、自分に得はない。

リア充という言葉を使えば、自分が非リア充と認めているようなもんだし、なにより誰かに嫉妬するという行為は、全くもって生産性がない。

リア充という言葉を使う人は、他人と自分を比べ過ぎているのだ。

そんな人がたとえ努力して、リア充になったとしても、またまた上のリア充と比べて嫉妬し、終わりのないリア充煉獄れんごくに陥るだけだ。

結論。

リア充なんて言葉、使わない方がいい

でした。

他人と比べずに、自分なりの幸福を追い求めたいもんだなぁ、と思いましたまる

では、以上です。
駄文にお付き合いいただき、ありがとうございました!

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