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「かーしーて」「いーやーだ!」

幼稚園くらいから、お友達との遊びの中で、よく聞くセリフ。

「かーしーて」

「いーいーよ」

お友達におもちゃ貸せて、えらいね〜!と微笑ましい光景が浮かぶ。

「かーしーて」

「いーやーだ!」

ちゃんと貸してあげないと、ダメでしょう〜。と親や先生は促す。

私達の多くは、そんな風に育ってきている事と思う。
「貸して」と言われたら「貸す」ものなのだ、と。

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最近、同じ種の相談を留学生から受けた。

それは、ルームメイト(他国からの同じ留学生)が図々し過ぎてイライラして、もう一緒にいるのが苦痛、どうしたらいいか分からないという話。

詳しく様子を伺ってみると、

充電器貸して、シャンプー貸して、傘貸して、ついでに私の分も洗っといて、ホストに出かけるって伝えておいて 等等

日本人留学生的には「え、私、こき使われてる?なめられてる?」という気持ちがじわじわ湧いてきたらしい。

そのくせ、こちらがたまに「貸して」と言った時、相手は平気で「やだ」と断ってくる。いつも人から物を借りているのに、自分が聞かれた時は貸さないってどういう事!?自分勝手すぎない!?

という事らしい。そう感じる気持ちも、もちろん分かる。そう思うよね。思いやりが無いって感じるよね。

「最初は別に良かったんですけど、なんかずっとそんな風にされると・・・」と言う。

次第に彼らは、「なんで私がいつも貸さなくちゃいけないんだ」とモヤモヤし始める。

モヤモヤが積もってきて苦しくなる。

本当は貸したく無い。でも「笑顔」で貸す。

話を聞いて客観視してみると、見えてくる光景は、「相手側には全く何も伝わっていない」という事。だって言葉では「いいよ」って言って貸してるんだもん。

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お気付きですか!?!?

これ、自己決定が出来てない!!!!

「かーしーて」と聞かれたら「いーいーよ」って言わなくちゃいけない、が染み付き過ぎて、「貸さない」という自己決定が出来なくなってしまっていて、心と言動がチグハグしちゃっているから、モヤモヤしてる!!んだと私は思う。

「貸したくないなー」とどこかで思っていても(相手のために)「貸してあげなくちゃ」が先行してしまう。自分の気持ちを無視して貸しているもんだから、だんだん「貸して」ばっかり言ってくる相手が「悪」になっていく。

相手が「貸して」というから私は「貸す」んだ、という他責の念

そして「貸す」ことを選択しているのは、他でもない自分である事に気付かない。

結果、一人で勝手に苦しんじゃう事になる。相手に苦しめられている、という解釈になってしまう。そして相手はまさか、本人がこんなに苦しんでいるとは思ってもいない。完全なるミスコミュニケーションが出来上がってしまう。

日本人留学生あるある、です。

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そう考えると、海外に出た時に上手くやっていく術というのは、英語力よりも他にあると私は思う。英語力なんて後からつければいい。いや、むしろ、後からついてくるから大丈夫。

それよりも、自己決定する機会を小さい頃からたくさん作って下さい。

「かーしーて」「いーいーよ」

そもそも、「どうぞ」という気持ちがある上で貸すべき。
そこで初めて対等なコミュニケーションが成り立つ。

「かーしーて」「いーやーだ」

ってなったら、「そっか、今は貸すのが嫌なんだね。いつだったらかしてあげれそう?」

これでいいんですよ、きっと。本人に決めさせる。

これは、わがままにさせるのとは違う。

じっくり向き合う。

時間はかかります。でも安心・安全な環境下で自己決定してみる、というのはいいじゃないかなぁ。


こうして私は留学生を目の前で見ていて、「あーなるほどー」って思う瞬間がたくさんあって、最近よく耳にする「自分軸」や「自主性」における重要性の具体例を現場でたくさん見ているなぁーと思う。

ヒントは日常の中にたくさんあると思う。

こちらも良かったら読んでみて下さい。いつもありがとうございます。


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