見出し画像

諦めない姿勢が明るい人生を創る。勇気をもって一歩踏み出すことの大切さ。

今回は生命の危機を乗り越えて自らの可能性を信じチャレンジに挑んだ方のお話をしていこうと思います。

パラアスリート 〈谷 真海(まみ)さん〉

走り幅跳びでアテネ、北京、ロンドンと3大会連続でパラリンピックに出場。2013年にはIOC総会の東京大会招致最終プレゼンテーションでのスピーチによって、パラリンピアンを代表する存在に。結婚・出産を経て、2016年からパラトライアスロンに転向し、翌年の世界選手権で優勝を飾る

Wendy-Net

僕自身、面識があるわけではありませんし、情報誌の一部に取り上げられているのをキッカケに初めて存じ上げた方です。

元々、僕自身スポーツに熱中していた時期もあり、トライアスロンにも出場したことがある経験から目に留まりました。

読んでいく中で生きていく上で生じる様々な困難や立ちはだかる壁、一見不幸だとも思えるような状況でも、自らの人生に責任を持ち、前に進んでいく姿、それに加え、周りの方たちへ勇気と希望を与えている存在というところに感銘を受けてこの記事を書こうと思ったのがキッカケです。
何か前向きに人生を送りたい方、悩んでいる方、不運なこと、困難だと感じていることがある方には読んでいただきたい記事です。



人生がガラッと変わった瞬間

骨肉腫という病気が分かったのは、早稲田大学に入学し、チアリーディング部の一員として、野球部やラグビー部など運動部の応援に情熱を注いでいたころでした。まさか自分が命にかかわる病気になるなんて、ましてや明日を生きるために右足ひざ下を切断する選択をするなんて思いもよらなかった。主治医からは「義足を使えばまたスポーツはできますよ」と言われたものの、「これから私の人生はどうなっていくんだろう…」と、正直、不安でいっぱいでした。

Wendy-Net

大学生の時に突然引き起った現実。
まだまだ人生これからという時期にこのような現実が自分の身に起こったとしたらどうするだろう?と思います。



限界の蓋を外してチャレンジ

10カ月におよぶ入院生活の末、何とか転移もせずに治療を終えて大学に戻ると、みんなが「おかえり」と温かく迎えてくれ、うれしかった半面、心は晴れないまま。表面的には笑顔でも、以前とは違う自分を私自身が一番感じていたのです。しばらくはすっきりしない状態が続きました。

Wendy-Net


そりゃそうだと思いました。今までの普通が普通ではなくなってしまったのですから当然です。複雑な気持ちだったんだろうなということは伝わります。
一般的にネガティブになって、何もかもが終わった、車いすの生活しか送れないような状況下で谷さんはこんなことをおっしゃっています。


ただ、「せっかく助かった命なんだから、大事にしなきゃ」という自分もいて。何かしら体を動かし始めれば、また情熱のようなものを取り戻せるのではないかと、障がい者スポーツセンターに足を運びました。

Wendy-Net


普通に生きているとこのような感覚というか、考え方、捉え方をなかなかしないのではないかと思います。強い人だなと感じさせられます。

と同時に、「脚を切断して失い、今までの身体ではなくなった」という事実は変わりませんが、「自らの捉え方次第で解釈は変えられる」ということは誰しもが学ぶ必要があると感じさせられます。


一人の出会いが人生を前進させるキッカケとなる


スポーツセンターに足を運ぶ中である人との出会いが人生を前進させます。

そこで出会ったのがスポーツ義足をつくる義肢装具士の臼井二美男さんです。日本における第一人者で、運よく臼井さんと巡り合ったおかげで、足を失ってから一番難しいと感じていた「走ること」にもう1度トライでき、知らず知らずのうちに自分でつくっていた“殻”を打ち破ることができました。

Wendy-Net


今まで普通に出来ていたことが出来なくなったということを悲観的に思うのは当然かもしれませんが、「もう一度出来るかも」というちょっとしか可能性が見えるだけでも人間は明るい方向を見て進むことが出来るのだということを教えてくれます。



今あるものにフォーカス、そして最大限発揮


足を失くして2年後にはアテネパラリンピックの走り幅跳びに出場。
もうこれだけですごい偉業ですよね!
ただ、そこで見た選手たちの姿に勇気づけられて、あることに気づかされたようです。

世界中から集まってくる選手たちは輝いていました。障がいがあることをもろともせず、自分の能力をいかに最大限発揮するか、そこに集中するのみ。足を失ったことに対する耐え難い思いに時折押しつぶされそうになっていた私には、その姿がまぶしいほどカッコよかった。

Wendy-Net


どうしても何不自由なく生きれている人にとっては、なかなか気づけない人も多いと思いますが、失ったものをハンディともせず、「自らの能力を最大限発揮させようとチャレンジする姿はどんな人にも必要なこと」だと思うと同時に、僕も含めて「人間にもそのような可能性は元々持っているんだ」ということにも気づかされます。つまり、通常は発揮させてないだけ、もしくは、そうする必要性にないだけということになります。



辛い時こそ、耐えて我慢ではなく一歩踏み出す

2011年の東日本大震災で、宮城県気仙沼市の実家が被災。津波で1階が天井まで浸水しました。幸いにも家族は無事でしたが、安否が分かるまで1週間、生きた心地がしませんでした。

それ以来、気仙沼出身のパラリンピアンとして子どもたちに元気を届けたいと、何度も気仙沼に通い、あらためてスポーツの力を感じることができました。

家、家族、友達、学校…震災でいろんなものを失ってしまった子どもたちにどんな言葉をかけたらいいか、最初は悩みました。私も義足になり、大事なものを失った喪失感は1年や2年じゃなくならないことを経験的に知っていたので、町の惨状を見るに、何を言っても心に届かないのではないかと思ったのです。

だからといって、じっと耐えてがまんするだけでは道は開けない。そういうときこそ自分がやりたいことを見つけ、勇気を持って一歩を踏み出してほしいと伝えました。

そして、一緒に縄跳びをしたり、走ったり、エクササイズをしたり。すると、子どもたちが自然と笑顔になっていったのです。お別れする時間には表情がとても明るくなっていたのが印象的でした。これは私の経験からもいえることですが、つらいときこそ笑顔でいると、気持ちが勝手に前向きになります。IOCのプレゼンテーションでは、このとき感じた「スポーツの力」について笑顔で訴えました。

Wendy-Net


辛い時、つい立ち止まって何もしなかったり、どうすることも出来ないと捉えてしまいがちかもしれません。
ですが、自分なら周りの人の為に何が出来るのか?と考え、勇気をもって行動していくことで道が開けるということ教えてくれているような気がします。



人生に何が起こっても諦めない

私の場合は、ちょっとした悩みがあっても、軽くジョギングすると、「なんだ、全然たいしたことなかったな」と、ポジティブな思考で走り終えることが多いです。さらに、身体を動かすことでお腹がすいてご飯がおいしく、ほどよく疲れて熟睡できるので、翌朝は頭もすっきり。みなさんにもおすすめです。
今は時間があれば、自分の子どもともスポーツを楽しんでいます。そのなかで、たとえ人生に何が起こっても諦めないことの大切さを伝えられたらと思っています。

Wendy-Net


僕も何か悩みや考え込んでしまうようなことがある時には運動をしています。筋トレが好きで有酸素運動と合わせて行うことで汗もよりかいてスッキリとします。同時に、頭の中がクリアになり思考の整理にも繋がるので、体と心は繋がっているということを体感しています。

どんなことがあっても決してあきらめずに一歩でも前に進むという意志があれば時間はかかったとしても最終的に明るい未来になるということを体現されている素晴らしい方だと思い、今回ご紹介させて頂きました。



この記事を詳しく見たい方は下記リンクよりご覧ください。




P.S.
今回のnote記事は毎日投稿し始めてちょうど50投稿目!

一つの節目ということもあり、この記事を書きました。これからも出来る限り、発信内容は変化させつつも記事を書いていこうとは思います。

何でも続けるということはカンタンなことですが、難しいこと。継続する力というものがどれだけ大事かの学びやキッカケにしていただきたいと同時に、少しでも前向きな気持ちで人生を歩めるキッカケになれれば幸いです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?