哲学と宗教
一時期、哲学と宗教の違いについて考えていた。
(ちなみに、ここで言う宗教は何かを信じる心のことを指す。仏教とかイスラム教の話ではない)
なぜ宗教は存在するのか、
哲学とはどう違うのか。
私なりの答えが出たので、ここに書きたい。
これを考えるキッカケとなったのは、
コロナによる自粛生活と、倫理学の本、サピエンス全史(上)の影響だったと思う。
サピエンス全史によれば、
宗教は、多くの人を同じ方向を向かせる、同じ行動をさせる為のツールとして使われた。
これはあくまで「道具としての」宗教である。
私は、「存在としての」宗教が謎だった。
人が何かを信じ、それが当たり前=価値基準になる。
それ自体が、何故起こるのかが謎だった。
これは、withコロナの生活が答えをくれた。
曖昧さが、宗教心を生むのである。
2つの軸のブレに対して、どう対応するか、の方向性の問題である。
1つは、世界の軸のブレ。
今、世界は大混乱。
昨日までの当たり前が、当たり前でなくなり、
マイノリティが、マジョリティになる。
何をどうしたらいいのか、分からない。
何が正しく、何が正しくないのかわからない。
そんな不安。
もう1つは、心の軸のブレ。
人間は、感情を持つ生き物。
日によって、ハッピーな日もあれば、全然やる気の出せない日もある。
自分でどうにかできる時もあるし、出来ない時もある。
そんな不安定さ。
この不安定な状態を、人は本能的に嫌う。
不安定なモノを安定させたいと願う。
その時、
自分の外側に安定さを求める事を、宗教。
自分の内側に安定さを求める事を、哲学。
と呼ぶのではないだろうか。(自論)
周りが作ったルールに乗っかるのが、宗教で、
自分が作ったルールを遂行するのが、哲学。
だから、マスクをしたりワクチン打ったりするのは、宗教心なのですよ。
アスリートが、試合前のルーティンを大事にしているのは、あれは哲学です。
日本は無宗教と言っておきながら、
「周りと歩幅を合わせる」という宗教の信者なのです。
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