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桜と奥山

ベルリンの壁が崩壊したとき、私はぼんやりとした高校生だった。

同級生のスゲさん(仮名)が「ベルリンの壁が崩壊したのに学校なんて来ていられません。ニュースを見続けます」といってお休みをしたことに、すごくびっくりした。
(彼女はいま、公共放送で報道関係のお仕事をしていると聞いた。さすが。)

その直後、壁の跡地に桜を植えようと、テレビ朝日が募金活動を始めた。
スゲさんに感化されたのか何なのか。私はそこにバイト代からお金を送った。

調べてみたら、ただあげっぱなしではなく、ベルリン市がきちんと引き継ぎお金をかけてメンテナンスをしてくれて、ベルリンのいろんな場所で今も花を咲かせているようだ。なんだか嬉しい。

ベルリンを訪ねたのは一度だけ。指揮者をしている友達がベルリンオペラで振るのを観るためで、そのときにその桜がどうなったかを見にいこうなどとは思いもしなかった。




そんなベルリンの桜のことを思い出したのはnoteのある投稿に出くわしたからだった。


私の文章に「スキ」くださった方のページを訪ねるようにしている。
そこから広がる発見や交流こそ、noteの魅力だと思うから。

冒頭、HTMFは「Having too much funではなくHoroka Tomamu Mountane Forestです」というユーモアのセンスにグッと来た。

グッと来たついでに文章を読み進めていくうちに、北海道の真ん中にひっそりあるその山林が、行ったこともないのになんだか身近に思えてきた。



近年、無人島だったり、水源近くの荒野だったりを外国資本がこっそり買い漁っているという報道を目にしては心を痛めてきた。

飛び出してきた日本という国だけど、やはりそこは自分のふるさと。

そして、勝手だけれど、やっぱりそこがありのままの姿で残っていてほしいという気持ちがある。



「あの店を支えなくちゃ。食べに行こう」と応援しなかったのに、レストランが閉店しますと張り紙をしたとたん「いい店だったのに残念だ」と云うなんて好きじゃない。

だからロックダウン中も行動制限が許す範囲で近所のレストランを端から食べ歩いた。

同じように、日本が買い漁られてるのはよくないと思いながら、なにもしないのはズルいんじゃないの?

そう思っていた自分に、天啓のようにこの山林が現れたような気がした。





ベルリンの壁崩壊の当時、たしか「社会主義国から民主主義に移っていく人たちの生活の足しにもならない」といった批判があったような気がする。
でも、直接的じゃないからこそ、私にはその募金がもっと長い視点で「なにか」を始めるような期待感があった。
パンでも技術でもない支援って本当に意味があるのという考えもあるが、私には、同様に敗戦国だった日本が敢えて送るのにふさわしいサポートのような気がした。



フェラーリやポルシェレベルの資金が必要な北海道の山林に、猫が健康でいてくれたおかげで今年は使わないで済んだ病院代くらいのお金を渡してなにになるのか。
そう思ったりもしたけれど。
でも、大河も一滴から始まるから。



グーグルマップで「ホロカトマム」と打って、でてきた地図の赤いポイント。

去年、会いたいからと会いに行った函館。

北海道の地図をパソコンの画面いっぱいにして、二つの点を見比べて。
そしてもう一人会いに行きたい新庄監督のことも思いつつ。
やっぱり北海道って広いなあと感心している。

そしてnoteのおかげで自分と繋がりが生まれ始めたこの北海道の奥山の存在に、ひっそりとした喜びを感じている。

いただいたサポートは、ロンドンの保護猫活動に寄付させていただきます。ときどき我が家の猫にマグロを食べさせます。