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会いたい人に会いに行こう

「函館にいきたいんだけど」

もしあなたが突然そういわれたら、なんと返しますか。

なにをこれまた?
ちょっといそがしいの。
どうして?
難しいなあ。

そんなふうに理由を訊ねることもなく、30年来の友は、私がピンポイントに指定したクリスマスの週末に二泊三日で外出できるよう、家族や仕事を調整してくれた。



50代の独りものにとって、女友達とは、鮭である。

みんな海に泳ぎ出て、
妻やら、母やら、嫁やら、仕事人やら、いろんな水温の異なる棚で暮らし、
時にはいくつかの棚を渡り歩き、
そして、
少しずつ子育てを終えた人から順番に、
もとの川に戻ってきてくれる。

そして、そんななか、ずっと生活の仕様を変えず、独りただ働くおんなを続けてきた私は、
帰省の日数は限られているからという印籠をかざし、川に戻ってきた友に、函館行きをもちかけた。

行きたい場所があったから。

それはnoteという大海で、偶然、川を上るメッセージボトルを流してくれた場所。



そうしてはるばるやってきた函館は、まったく想像と違うところだった。

雪が、ない。

雪は、ない。
でも、滑る。
道が黒いとドキドキする。

そして、雪がないゆえに、あちこちの水たまりが凍って、とにかく滑る。
普段使わない筋肉をいっぱい緊張させ、ホテルに荷物を置いた後、
私は友に告白する。

「あのね、実は、この路面電車の終点にある喫茶店にいきたくて、函館にきたの」

そんなわがままが許されるのか、
と、疑う必要すらないという、幸せ。

そして私たちの乗った市電は大きく左に曲がり、坂を下り。
そして終点についたとき、
あまりに想像とぴったりで驚いた。

なんて、すてきな終着駅。

そして私は、看板のないそのお店のドアを、
まるで、バレンタインに靴箱にチョコをいれたときの緊張感で、
そっと開けた。

店内が、あまりに想像とぴったりで、またしても驚いた。
ストーブがカンカンと燃え、ほの暗い暖かい空気がただようお店。

じっくりと日が落ちていくと共に、お店の味わいが深くなる。

そこで、
noteの中で、文字だけ、写真だけで知っていた
捨てないステンレスドリップのコーヒーと、
堅焼きのプリン、
そしてキャロットケーキをいただいた。

むかしうちのパン屋で母が作っていた、すこしカラメルが混じってしまう堅めのプリンを思い出した。

あのころはコンビニやデパ地下でホワホワつるつるのプリンが大流行だったから、こんな昔気質の堅牢なプリンはカッコ悪い、そう思っていた自分まで思い出した。



会いたい人に、会いに行こう。
だって、私達のいのちはいつ終わってしまうかわからないから。

好きだ、とか
ありがとう、とか
会いたかった、とか。

そういう気持ちは言葉にしよう。
だって、その気持ちも、相手とのあいだがらも、
いつ終わってしまうかわからないから。

会いたい人に会いに行った。

思い描いていた空気があって、会いに行ってよかったと思える素敵な人たちがいた。
それはとても嬉しいこと。

それがもし続いて、「また」があったら、
それはさらに嬉しいことだから。

これからも。
会いたい人に会いに行こう。

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