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『水産加工の現場にて、サラリーマンと職人とアルバイトと②』

  それなりに作業も、任される事も多くなり、俺としても、仕事ぶりを認められてる充実感もあった。人手が足りない日に、部活仲間をバイトに連れて行ったりもして「工場が大変なら、なんとかしなきゃ」って愛社精神?も芽生えたりしてたようです。年上ばかりの職場で、俺が1番若く、下手したら自分たちの子供でもおかしくないくらいだったので、それなりになりに可愛がってくれていて、そういうわけでも居心地良かったですね。
     それだけ皆が仲良くやっている職場だったのですが、1人だけ上手くやれていない人もいました。もう一人の社員である事務方トップの所長さん。当時の俺の立場からじゃよく分からなかったけど、まぁ、従業員皆に嫌われていました。何かやらかしたんですかね?作業中の会話にも、悪口的なもので、よく登場してましたし、職人気質の工場の社員さん達も、直接的には何も言ってたことは無かったが、名前が上がると渋い顔して頷いたりしてました。
   50代半ばくらいだったと思う。細身のメガネ、いつも折り目がしっかりついた、シャツとスラックスで身を包み、ちょっと神経質そうな見た目だった。水産加工の工場にいる人なのに、俺が出勤している時に、作業場に降りてきた姿を見たことは無かった。搬入搬出の時にドックに来て、数のチェックしたり、出入りの業者さんと、そこで話してることはあったかな。が、その時に、品物や資材を触るところも、みたこと無かった。当時の下っ端バイトからすれば、所長さんというのは、そういうもんなんだなと、疑問無しで納得。なのだが、万事が万事そうであったら、長く一緒に働いている人達が『壁』感じても仕方なかったのかなとも思った。
 長期休みの時しか出勤しないのに、出れる日は前日に言っても受け入れてくれた。世の中はバブルといわれていた時代に突入した頃、大量消費の浮かれた時代、このような作業場は常に人手不足だったようだ。そうそう『3K』って言葉もあったな「きつい」「きたない」「危険」な仕事。ローマ字にした時の頭文字からそう言われてたっけ。この加工場は、危険はなかったけど、そっちよりの仕事ではあったのかな、魚臭くならなくても稼げる仕事はほかにたくさんあったからね。ちなみに『3高』って言葉もこのころから言われ出してたっけ「高身長」「高学歴」「高収入」・・・え~~っと、どれも関係ないな・・・話それましたね。
 高2の夏休みのある日、いつものように部活上がりで加工場に行ったところ、なんか雰囲気が違った。珍しく所長さんが下の作業場に降りてきていた。作業場の職人社員の2人と、普段は加工場にはいない本部社員さんと4人で少々揉めて?いた。
「いつになるかわからないもの、待てないだろ」
「そこを何とか」
「来ればやるけど」
といった感じ。
 どうやら、着くはずの荷が届いていない様子。ここで加工してパッキングする海老と白身魚の原材料が届いていない。それどころか、届け先の加工場での作業がまだ出来ていなくて、発送すらされていない。発送元の工場で、何やらトラブルがあった様子。しかし、こちらで加工したものの納品先には明日の午前中までに届けなくてはならない。という状況らしい。所長さんと本部社員さんは職人社員の二人に平謝りで、
「夜中に到着するはずだから、その時間に来てもらえるか?」とか
「それまで仮眠して待機」等と、お願いをしている状態。
「納期を先延ばしにできないのか?」と職人の二人。
そんなやり取り。
   発送元が遅れてても、納品先へは遅れる事はできない。所長さん、本部社員さんは、ほかにも電話したりして手配しようとあちこちに試みたが、今日の今日では、埒が明かなかったらしい。
 ちなみに、そんなやりとりも職人社員さんたちは、別の作業をやりながら対応してたわけで、俺やほかのおばちゃんパートたちは、事の成り行きを横目で見ながら作業をしていた。
 小1時間ほどして、社員さん同士の話がまとまった様子。そして俺が社員さんたちの輪に呼ばれる。
「ムサシ君さぁ、明日って出勤予定いつもよりも早出になっている日だけど部活ないの?」
っん?どういうことだ?何の確認だ??
ちなみに、明日は部活が無く昼過ぎからここのバイトを入れていた。
「はい、明日は休みです。なのでここにも、いつもより早く来る予定ですけど」
「そっか、それならちょっと、お願いがあるんだけど・・・」と本部社員さんがいう。
「他のパートさんたちは、無理だから・・・お願いできないかな」と所長さんから、珍しく壁の薄い距離近めの言葉をかけられる。
「これから大磯行くんだってよ。一緒にいくか」と職人社員さんのひとりが笑いながら俺の肩を鷲つかむ。
「大磯?ですか??」
大磯ってあの芸能人の水泳大会やるとこだよな?と連想。
「お父様のほうには私からお願いしておきますから」と所長さん。
 どうやら、本部社員さん、職人社員さんのひとり、そして俺の3人で、原材料のある大磯の加工場まで出向き、向こうさんの作業を手伝ったうえで、その場を使ってこちらの加工まで行程進めて梱包までやってしまおう、という強硬手段で話がまとまったらしい。夜通しの徹夜作業、朝までには終わる算段らしい。で、もう一人の職人社員さんは、明日のここの作業場のために、今日は通常業務。パートさんたちには、そんな無理はさせられない。
ってことで、
「ちょうどいいヤツがいるじゃないか」ってことで俺ということだった。
 事務所へ行き、所長さんが電話をかける。ことのいきさつを話しながら、電話越しでぺこぺこと頭を下げている。本部社員さんにも変わり、彼も低姿勢な対応。まぁ取引先ではあるから、そういう感じもわからないではないが、父親の別な一面を垣間見た感じで、ちょっと不思議な感覚。
話がまとまったようで、
「武蔵さんOKだそうだよ」と受話器を渡される。
目の前で人身売買の成立(笑)。
「ええっと、なんかそういうことらしいので、今夜は帰りません。母さんによろしく」そう言って受話器を返す。
   準備して即出発。3人で電車で行くとのこと。意外と荷物は少なめ。2時間程の間、親父くらいの歳の職場社員さんと多分30代くらいの本部社員と海まで、なんか不思議な小旅行。
   その間色々と話をした。よくは知らなかったが、元々はウチの親父は、あの加工場の本部である、トーメン水産で働いていて、本部社員さんの上司でもあり、加工場を立ち上げた人だったとのこと。初代の所長だったようで、この2人のほか、殆どの社員、従業員が親父のことをよく知っているとのこと。で、とても良くしてくれていたとの話もされる。
   親父が食品業界、特に水産業で働いていること。俺が物心ついた頃から、自分で事業やったり、失敗して?他の会社に雇われたり、を何度かしていた人だった。
   なので小学生までの間、親父の仕事が変わるたびに、大阪→静岡→東京と3都府県にまたがり、計6回の引越しを経験もしていた。俺自身も色々と職場変わったり、引越し繰り返しているので、そのあたりの血は受け継いでいるようだ。
   そして、この年の5月頃に親父は新規で事業を起こしていた。その直前まで、この加工場で所長をしていたとの話を教えてもらう。家では仕事の話等あまりしたこともなかったし、さほど興味もなかったので、色々とオヤジの知らない一面が聞けたいい機会だった。ちなみにいまの所長さんが人気ないのは、手が足りない時は作業着に着替えて一緒に作業したりと、従業員と上手くやっていた親父とのギャップが原因のようだった。そんなふうに話が繋がっていく感じも面白く、あっという間の約2時間だった。
    大磯到着。大磯の加工場は磯の香りがするくらい海の近くにあって、東あずまの加工場とは比べ物にならないくらい広いところだった。この日は、急な欠員が多くて、人手が回らなかったという感じの事を、先方の社員さんが説明してた。
「どうせウチを軽く見て、作業を後回しにしたんだろ」と後で2人は話していましたが。
    ウチの工場に届く前の段階の作業、海老のサイズ分け等を、俺はやることになる。大雑把に3サイズに振り分けてカゴに入れていく。そこの加工場の人に教えてもらいながら3時間ほど。ウチの必要分が出来たので、そのかごの山を台車使って別の作業場に移す。
移した先の部屋にはいつもと似たような機材があり、その時点ですでに別の本部社員さんが、車で荷受元指定の資材を運んで来ていたので、後は、ほぼいつものの加工場でやっているような、手慣れた作業に。その新しく来た社員さんに、俺が作業説明しながらパッキング。この間、他のふたりは白身魚の加工を別の場所でやっていた。途中何度か休憩とりながら、朝までに予定の納品量は完成できた。手配済みのトラックに積み込んで完了。この時点で、朝7時。そこそこ高くあがった夏の朝日は眩しかったな。
    帰りは後から資材を運んできたバンに4人乗って帰還。作業終了でホッとしてか、帰りの車の中はぐっすりと寝ていて、気がついたらいつもの加工場のドックに着いていた。
   頼られて、ちょっと大人な気分を味わった高2の夏の日の話でした。
   そんなちょっと気持ち良い仕事上がりの話とは逆に、カバンの中の前日の部活ジャージがヤバいことになっているのが、頭の片隅にはあったけど。
   その後高3まで、このバイトは続けて、加工場ではないが、関連の仕事を大学の4年間もやることになり、そしてその後も・・・。
    そのあたりの話は、またいつか。

では次回は
今度こそ(笑)
『塾講師って、どうなのよ?編』
お楽しみに。

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