わたしの方が上手にできるのに!と思うとき
わたしの方がもっと上手くできるのになぁ、って思っていた。
ハンドメイドが得意なおともだちがこっそり教えてくれた。知人に対して「わたしの方が作るのは上手。そんなクオリティで販売できるものなのだろうか?」と思っていたんだと。
数年たって、その知人は大きな工場と契約している。よいクオリティのものを、たくさんのひとに届けられるようになっている。技術ではわたしの方が高かったはずなのに、、、と複雑なきもちになると教えてくれた。
わかる。わかりすぎる。わたしも相当な頻度で「まじ?そのレベルで?」というブラックを抱えることがある。そして「わたしは違うもん。もっとやってきたもん。こちらは数年温めております。」ときもちを擁護することで、心を落ち着かせようとしている。
それだけその分野に対して、なみなみならぬ想いを持ち合わせていると「わたしの方が!」って思うものかもしれない。つまりそれは、得意なことか大事なことなのだろう。
だが同時に、その「とにかくやってみちゃう」ひとたちが、いきたいところへ先に到達することも知っている。そして気持ちを、大切に大切に思うほど、身動きがとれないことも知っている。
うらやましい。でも泥臭い姿を見られたくない。バカにされたくない。とにかく恥ずかしい。傷つきたくない。それでいて、わたしの方ができるもん!って本音は、さすがに図々しいね。
どれだけ面白いYouTubeを撮っても、それを公開しなければバズることがないように、外に出してみないことには、なーんにも始まらない。始めないことには、なーんにも始まらない。そんなことはわかっている。
ひとに「いいなあ」の眼差しを向けつづけていると、「このひととわたしは何が違うんだろう?」という思考にいきつく。
すると、やっぱり何も違わないのだ。違うのは、やってるかやってないかだけ。しかもわたしの方が得意って思っているんでしょう?
でも自信がない、失敗してひとにバカにされたくない、こわい、何をしていいかわからない、と言い訳が山ほど出てくる。もっとつづけましょうか?
ただ8年前のわたしと違うことがある。「何をしていてもわたしの価値は変わらない」と思えていること。お金がなくても、失敗しても、わたしの価値は変わらない。いつも無理やりそう言い聞かせている。
まだその道を歩き始めて、3歩目くらいのビギナーだけれど、今のところ、その麻酔は効いている。夢に向かう道中ではずかしい想いをすることより、「いいなあ」を抱えて生きるほうが、よっぽど苦しいはずだ!と寄り道に見える”いま”をたのしめている。きっと「得意で大切なもの」だからこそ、キミがやらなきゃダメなんだよ。
おしらせ
お返しの愛は無限大、一緒に幸せに貪欲になりましょうね!!