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今だって、重たい。


心の中で、ずっとモヤモヤと残り続けている。
今になっては、と言うよりあの瞬間から、
取り返しのつかない後悔である。


高校2年生の時、担任の夫が亡くなった。
担任が50歳前後と思われたので、旦那さんだってまだ若かっただろう。
その1週間前には担任が突然帰った日があって、
噂で「旦那さんが倒れたらしい」と聞いていたので、
「駄目だったんだ…」という気持ちだった。

先生は、旦那さんが亡くなるまで毎日学校に来ていた。
それだけで先生の性格や人柄は充分分かることだろう。
先生はとにかく真面目で、何故だかいつも報われなかった。

訃報を聞いた時、高校生の私に出来ることは何も無かった。
担任と特別仲が良かったわけでは無いし、
『担任の旦那』という、字面では一見近しい関係に見えて
あの時の私にとって、会ったことのないだけで果てしなく遠い人物だった。


担任は気が弱くて、本当に人が良かった。
だから一生懸命授業をしていても、一番騒がしいのは担任の授業だった。

どうしてそういう人ばかり、
こういう目に遭うんだろう。

まだ若いのに、これから先生は1人で子どもを育てるんだ。
同情だったか、エールの気持ちだったか、
とにかく旦那さんへの弔いの気持ちだけは、しっかりと心に持っているつもりだった。

ところが、である。
そんな気持ちを持っていたところで何ら意味がないことを、
思い知らされる瞬間があった。

担任は暫く休みを取ったので、ホームルームの時間は別の先生が賄っていた。
その先生は私たち生徒の前で、静かに話し始めた。

「皆さんご存知の通り、担任の先生は旦那さんが亡くなって休暇を取っています。
先日お葬式がありました。貴方たち生徒は、誰1人としてお葬式に来ませんでしたね。
先生はとても残念な気持ちになりました」

衝撃だった。
私は親戚や余程仲の良い関係以外のお葬式に行くなど、1ミリと頭に無かったのである。
その教室にいる誰か1人でも、その発想はあっただろうか。
それとも皆、口にしなかっただけで考えていたのだろうか。

いやそれよりも、
どうしてそれを、全てが終わった後に説教するのか。
例えば今説教している貴方が事前に教えてくれていて、
それでも尚誰1人参列しなかった時、
「残念だった」と言っても良いと思う。
何故貴方は取り返しのつかないことを、事前に教えてくれなかったのか。
それほど前に当たり前のことを、私たちは出来なかったのだろうか。

悔しかった。
何故自分にその発想が生まれなかったのか。
確かにこれは私の至らぬところで、
だからこそ私はこの説教に、とても傷付いた訳である。
生徒が葬式に行くことで担任の傷が幾らかでも癒えるならば、
私は自ら進んで参列するくらいの気持ちはあったのに。
『先生、いつも報われなくて可哀想。』
そう思っていた私は自らまた、可哀想なことをしてしまっていたのだ。

あのクラスには気の回る学級委員も居なければ、
「是非私たちはお葬式に行きたいんですが!」と言うような生徒も居なかった。
だけどそれは先生の思うだろう『無関心』じゃ無くて、
皆気を遣っていたんじゃないかと思う。
高校生からすれば、今でも重たいのに『人の死』なんて、
どうやって触れたら良いか分からないもの。

私たちは子どもだった。
だけど大人になって失敗を活かすことは出来ても、
あの時お葬式に行けなかった事実は一生変わらない。

とにかく私は今でもずっと、
あの出来事が忘れられずに居るのである。

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