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嗚呼、字が汚い大人たちよ

比喩表現に『地雷』という言葉がある。
この人にこれを言ってはいけない、言えば怒るというピンポイントなセリフや話題である。
コンプレックスともいえるだろう。
この2つの違いといえば、前者は『他者に言われることで気にしている部分が余計深い傷になり、面に出ること』後者は『自分自身で気になっていることに気づいていること』といった感じだろうか。

最近気づいたが私の場合、どうやら字が汚いことがコンプレックスであり地雷でもあるようだ。

しょうもないと思う人もいるかもしれない。
例を挙げればコンプレックスなんて幾らでもある。鼻が低いとかもそうだ。地雷に発展しないのは「やーい、だんごっぱな〜」という悪人が周りに居ないからかもしれない。

私の持論だが、賢いことと字が綺麗なことの2つは大人になってから有り難みが分かる。

鼻が低いことは思春期の時には気づいていたが、幼少期の私は『字が綺麗か綺麗じゃないか』なんてどうでも良かったのだ。
自分で言うのもなんだが、昔から文字を人一倍書いた。作文用紙にも書きまくったし、テスト前には教科書の文章を丸写しすることで頭に叩き込んだりもしていた。
勿論習字の授業なんかでは結構最後の方まで手直しさせられていたし、
それでも心根では「こんなことして何になる」くらいのことを思っていた。

私にとって文字を書くことは、丁寧さよりもスピード重視だったのだ。

本当に危機感を覚え始めたのは社会に出た頃からで、よりにもよって私はアルバイト先に和菓子屋を選んだ。
何がダメかって、ご進物を置く店には『のし』というものが存在する。お相手の名前を筆ペンで書く必要があるのだ。筆ペンで。
どうやって乗り切ったかというと、私は『無知なフリ』と『さも当たり前のような顔』の必殺ダブルパンチで、お客様自身に名前を書いてもらっていた。今の歳では許されない所業だ。
一度だけどうしても私が書かなければいけない局面に陥り書いたことがあった。お客様の不可解な表情を一生忘れられないでいる。人は急にマイナートラブルに陥った時何も言えないのか、「おい、お前字下手すぎだろ!」とかは言われずに去ってくださった。しかしこの一件、あの表情はトラウマに値する。

その後私はよりにもよってブライダル業界に足を踏み入れた。

余談にはなるが、高級アパレル店ではビニール傘を使って出勤するだけで「店の品位が下がる」と怒られるところもあるらしい。
ともすれば、字が汚い従業員は品位に影響を与えるのでは無いだろうか。

問題がもう1つある。
私は一見『字が綺麗そうな顔』をしているのだ。
自画自賛とかでは無い。
見るからに文学部っぽいというか、喋らなければお上品というか、
そういう類である。

『字は心』と言い出した奴に石ころでもぶつけたい気持ちだ。
しかし、「石ころをぶつけたい」とか言ってる時点で、そんな奴字が汚くて当たり前である。

入社してすぐ、私は焦ってペン字練習帳を買った。
毎日ひたすら文字を書けば、いつか上手になるに違いなかった。
毎日ひたすら書けばの話である。
私の中の三日坊主が目を覚まし、すぐに辞めてしまった。
三日坊主には明白な理由があって、モチベーションをぶつける先がよく分からないのだ。

エッセイを書けば読者数で結果が分かる。
習い事は発表会がある。
文字は多分、瞬く間というより少しずつ字が上手くなっていく。
直結して結果が見えない、すぐにも分からない。
そういうのが苦手なのだ、私は。

すっかり匙を投げたが、幸い「字が汚い従業員がいる」というクレームは無く、なんなら意外と字が汚い人は他にもいて、なんとかやってこれた。
しかし『意外と字が汚い人』と私には差があって、
その人たちは字が汚いことを然程気にしてはいないようだった。
字が汚いですけど、なにか?といった「さも当たり前な」表情が出来る人ばかりだった。
私はうっすらとコンプレックスとして抱えたまま、数年働いた。

これまでのように、これからも変わらず続くなら良かったのだ。
難しい言い回しをしたが、私が再度字が汚いことを表立って気にする場面が生まれた。
デリカシーの無い後輩が会社に入ってきたのである!

その一言でまとめるとただの悪口だが、別にその後輩が嫌いとかでは無い。
デリカシーが無くてメンタルが強い。それを周りに許容してもらえるタイプ。
めちゃくちゃ偏見だし敵が増えそうな言い回しをするが、営業マンなら長く働けそうなタイプだ。

別に彼自身気にしてないので言ってしまうが、その後輩はネタにされるくらい字が汚い。
汚いにも色々種類はあるが、私の場合『読めるがバランスが悪い』タイプ。彼は名前をつけるなら『暗号型』。読み解くのに苦労するタイプだ。

その後輩に、打ち合わせの終わりに使う紙を見て言われた。

「木ノ実さんて字汚いですよね〜〜僕とそんなに変わらないでしょこれぇ〜」

彼は自分が言われても気にしないことなので、同じように私に言ったまでである。
しかし私からすればそのセリフは「や〜い、だんごっぱな〜〜」に値した。

その一言は、いとも簡単に私の心を折る。
だがしかし、それが私にとって幾ら地雷だといえ「字が汚い」でカチ切れるわけには行かなかった。
容姿の悪口ならまだ堂々と反論できただろう。

私はその場では「お、おい〜そんなこと言うなって〜」と笑い、深く項垂れながら家に帰る他なかった。
顔で笑って心で泣いて、の例文に使ってくれても差し支えはない。

しかし傷ついたと同時に、「こんなに長年気にしているなら、やっぱり直した方が良いのでは?」と再び奮起するきっかけにもなった。
モチベーションがどうとか言っていられない。
確かに地道な努力は必要だが、だんごっぱなを治すよりはまだ克服出来るのではないだろうか。

私は即座に有名なボールペン字講座を調べた。
自分1人で出来なかったのだから、誰かに添削してもらうことをモチベーションにするのは1つの手でもあろう。
金に物を言わせて強制突破だ。

なるほど、1ヶ月に大体2000円弱。それを1年続けるのがメジャーらしい。
ということは合計の値段に換算すると…

私はソッとパソコンを閉じた。
忘れかけていたが、貧乏性である。
1ヶ月で見ると安く感じるが、1年で見ると少々高い。
確かにそこにお金を掛ける価値はあるが、習い事の中でも結構博打だ。水彩画とかの方が未知な分まだ成果も分かりやすそうだが、元々一応掛ける文字にお金を掛けて、どれくらい上達するのだろう。

私はふと、以前使っていた練習帳タイプで成果を出した人を調べてみた。
同じ悩みの人はヤマといる。
そしてレポを読んでみると、おおよそ練習帳でも成果は出るようだった。

そしてその人は語る。「確かに半年くらい続ければ成果は出る。しかし練習帳を始めた頃、自分の字の汚さを思い知って普通に心が折れる」と。

その文章を読んでピンときた。なんだか既視感があったがこれはあれだ。写経に近い。
文字を綺麗に書くっていうか、メンタルだ。
文字を書いて書きまくって、一度折れた己の精神を克服することに意味があるのだ。

写経 なぜやる?

私は今、一度投げた練習帳を再度開いて文字をひたすら書き始めたところである。

『いろはにほへと』ばかり書いているし、今後も功徳を得るような文章は恐らく書かないが、仏道修行ならぬ、精神修行くらいにはなるかもしれない。

練習帳も始めたばかりで、まだ結果の話は書けない。
折角自分のモチベーションを見出したのだから、練習帳一冊分くらいやりきってみたいものである。

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