見出し画像

私はそれが、ちょうど良い。


家族とは、なんなりか。

同じ屋根の下で生活すること。
お互いが好きでいること。
1番身近な存在として、なんでも話すこと。


答えは全て否!である、
と私は思う。

『家族だから』
という言葉を聞くと心臓がキュッとなる人、
そういう人には是非読んで貰いたい。


私が生きてきて感じたことは、
『家族だけど、
それぞれに適した距離を保つべき』
ということだ。

それは、心ではなく
物理的な距離を指す。


かくいう私は家族と
少し距離を置いている身である。

仲の良さレベルを付けるとすれば、
中の下、もしくは下の上くらい。

実家には年に2、3回帰ってはいるが、
帰省して、
そのまま家族に会わず帰ることもある。

結論から言うに、
この距離感になってから、
私は前より家族を好きになったと思う。


今の距離は、私にとって丁度良い。


大学までは実家暮らしだった。

私の実家はボロボロの団地で、
今でも台所の蛇口からお湯が出ないし
現在私が住んでいるアパートよりも家賃が安い。

そんな古くて小さな部屋に、
私のパーソナルスペースを突き破って
家族でおしくらまんじゅうをしていたのだから、
知りたくない部分も気付いてしまう。
そりゃ嫌にもなる。

『家族だから』親の言うことは聞かねばならない
『家族だから』静かにしたくても、
声を掛けられた時は無視しない
『家族だから』家族のルールを守るべきだ

そして私は長年、この呪いのようなキーワードに
頭を悩ませてきたのである。

親の言うことは絶対!
な家庭で育ってきた私だが、
その絶対に疑問を持つようになったのは
高校生辺りからだった。

親に言われたことを、
正しいと思えない場面があった。
しかしながら、
どれだけ自分が正しいと思っても、
親の言うことは絶対。
何故ダメなのか、私の意見が正しいのでないか、
と聞いたところで
「ダメなものはダメ!」
で終わることもしばしばあった。

私は反抗するのを辞めた。

何故親がそう思うのか、
何故私の意見を反対するのか、
客観視した時、
それは親が子どもだった時の教えが植え付けられていて、
親は私のように疑問を持たなかったからなのだと気付いた。

それって、どれだけ子どもである私が説得しても
覆ることのない硬い根が張られているのだ。

妙に納得した私は、
それを機に家族に優しくなった。

それは多分、
『家族』という間違いの無い信頼関係から
『人間』という個体として親を見ることができるようになったからである。

説明するだけだと妙に冷たく感じるが、
それを人は『自立』と呼ぶのでは無いか。

『家族』の前に『個々』である。
そして当たり前だが、
『個々』とは1人を集めた集団のことである。


実家を離れて1人になってから、
私は家族への思いやりが
以前より深くなったと自負している。

毎日聞いていた愚痴もたまになら優しく聞いてあげれるし、
たまに会うから変化も気付く。
あと何より、分かり合えないと思っていた
親への有り難みが垣間見える。

元々静かな環境が好きだから、とか
意見を押し付けられて気疲れすることが無くなったから、とか
理由は色々あるけども、
今の距離間が丁度良いから。
これに尽きる。

仲の悪い夫婦が別居婚をして関係が安定するなら
それも正解だと思うし、
もっと言えば離婚してから
仲が戻る夫婦だっている。

『家族だから』一緒に住んでいる人は、
苦しいなら離れても良いと思う。
きっと楽になるし、もしかすると今より
家族を大切に思えるかもしれない。

勿論、家族が好きな人は
年齢に関係なく一緒に住んでいれば良い。
それも家族との距離感の1つである。

人同士である以上、
どんなに名前の付いた関係であろうと
丁度良い距離感の定義は無い。

関係は距離で測るな、心で感じろ。

つまり、心が見えない限りは
所詮他人である。

今八方塞がりで悩んでいる人がいれば、
一歩下がって感じて欲しい。

きっと、今まで見えなかった何かが
視野の隅の方でうずくまっている筈である。



この記事が参加している募集

#とは

57,772件

よろしければサポートをお願い致します!頂いたサポートに関しましては活動を続ける為の熱意と向上心に使わせて頂きます!