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無意識にへし折られる

もしも私が人生の一発逆転を狙って
御曹司とのお見合いに行ったとして、
両親の間に正座をしてお互い見つめ合って座っている時、
相手から聞かれたら口をもぐもぐさせながら黙り込むしか無いと思う。

「趣味はなんですか?」

KO負け。
その時きっと、鹿威しがカツンと鳴る音だけが、
ゴングの代わりに座敷の部屋へ響き渡ることだろう。


生活の余裕が無いと趣味がなくなるというのは、
社会人になって強く実感した。
かつて私は映画が好きで、読書が好きで、お笑いが好きだった。
社会人になって一年目の時、私は全ての趣味を消失してしまった。

『趣味』とは難しいもので、『好きなもの』とは少し違う。
あの時の私はいろんな映画が見たかったしいろんな本を読みたかった。
好奇心が付随している好きなものこそが、堂々と趣味と呼べるのでは無いだろうか。
だからこそ、時間が無ければ趣味に追求することが難しくなるのは当たり前のことである。
そんな余裕が無くなって、毎日家と会社を行き来している2年目、私は驚く程突然に病んだ。

その時にはあまり実感が湧かなかったけれど、
趣味って人生を豊かにするだけでは無くて、
つまらない人生に価値を見出すものでもあるのだと、今は思う。

前者は学生時代の私。
後者は今の私だ。

何もする余裕が無いと、家にいる時はつまらないことばかり考える。
仕事の反省、発言の反省、挙句幼少期の出来事に関しての反省。
「いやー、あの時ああいうことができて本当良かったわー!」
なんて前向きなことは、一切浮かばないから不思議なものだ。
人間の頭は損をしている。

だから私は、少し元気になったタイミングを見計らって、
文章を書くことを再開した。
私にとってはエッセイでも創作でもどちらでも良くて、
書くために頭を使っている時間、それは随分と楽になった。
その間は余計なことを考えなくて良いし、
おまけに作品としての活動した実績も残る。
私の人生を高める要素として、コスパ最高である。
それに文章を書いていると、
「こういう時プロはどうしてるんだろう」とか疑問が勝手に生まれるので、
不思議と読書の熱も生まれる。
好奇心の追求。
書きたいと思って書いている瞬間、きっと私は生き生きとしているはずである。

ところで趣味に関してもう一例挙げるとすれば、
私の恋人は仕事=趣味の典型的な仕事人間である。
そんな彼が、一時目に見えて疲れている時期があった。
「シゴトヲヤメタイ…」なんて言い出すので慌てて原因を探ってみたら、
どうやらマジで仕事しかしなかったせいで無意識に限界が来たようだった。
彼は「カメラガホシイ」と言った。
ケチで貧乏性な私だったが、この時ばかりは頷いた。
(仕事でもカメラを触っているのに趣味をカメラにするのだから彼は本物だ)
しかし本当に不思議だったのだが、
どのカメラを買うか、何のレンズが良いか選び始めてから
彼の目が生き返ったのである。
この時ほど趣味の素晴らしさを実感したことが無かった。

趣味が無くても生きてはいけるが、趣味が人生をプラスにすることは間違いない。
兎に角最近、文章を書くことが(まあ、結構苦しい時間もあるけど)
人生に幾らかの価値を見出していることは間違いなさそうだ。

これで突然お見合いの機会がやってきても、怖いもんなしってもんである。

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