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思いが大切

 結婚したら精神的に成熟するのかと思っていたら、そうでもないようだ。
 
 20代で結婚して3人の子どもを授かったのに女に逃げられた男がいる。離婚は子どものことが原因だと思い込んでいる。

 「ダメな自分を優しく諭してくれる素敵な女性だと思ったから結婚したのに、こんなひどい目にあわすなんて。」

と語る男はまるで気分は結婚当初のままに思えた。精神的に成長していない。結婚しようが子どもがいようが、成長しないやつはしないのだ。離婚されてもまだ自分の未成熟さに気づかないのだから、成熟のしようがないのだろう。

 そしてこれまた母親と同居中。

 やはり母親がネックになるのだろうか。結婚しようがしまいが母親と離れなければ精神的成長はないのだろうか。

 自分の境遇について考えると、身の処し方を模索せずにはいられない。

 “家を出なければならない。”

 このまま両親と同居していてはまるで「去勢された飼い犬」だ。私は不幸だし両親は罪深い。

 とは思うものの、結婚している人、していない人、していて子どものいない人、離婚した人、死別した人、結婚して子どももいるが単身赴任、などなど。いろんな人がいて正解がわからない。

 生き方に正解なんてない。

 したいように生きればいいじゃないかとなってしまう。

 新しい時代に入った今は、何をしているかより“どうあるか”が大切なんだそうで。

 “To be”

 いったい何のことやら。ググると、こうなりたいとか将来のビジョンが大切ということらしい。

 私の感覚では、未来を思い描きながら今どういう気持ちで生きているのかが大切に思える。

 冒頭に書いた順風満帆に生きていたのにすべてを失った人(息子に女を取られた男とも言える)から学ぶことは、

“慢心せずに先のことを考えて自己を顧みながら心を磨いて生きて”

いかないと、「ひどい目」にあってしまうということ。

  じゃあ、心を磨いて生きていたら「ひどい目」にあわずにすむのかと言うと、どうだろうか。

 イエス・キリスト。

 磔にあっているのではないか。尋常じゃなくひどい目にあわされている。殺されている。生き返ったみたいだけど。

 仏陀はどうだろうか。

 殺されてはいないけど、死ぬ直前に赤痢に苦しんだらしい。

 誰もが最期は惨めなのだ。避けようがない。

 だからこそ、“To be”が大事になる。

 未来を夢見て生きていく。

 希望を持つということ。

 その際、甘やかしてくれる人にお任せしていたらいつか捨てられる。
 思いやりの心を育てながら、助けて助けられ。与えて与えられ。
 WINーWINな関係を築いていくことが大切だ。

 そのために日々の“思い”を大切にしていきたい。

 こうありたい自分を思い描きながら。

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