見出し画像

10 結婚したい女たち 不都合な現実

 勤務先の小学校から二㎞離れた場所で田んぼの隣にあるアパートにお琴は住んでいる。学校で子どもたちと騒がしい時間を過ごしても寝室とリビングと小さなキッチンのついたこの静かな部屋がお琴の疲れをいやしてくれる。

部屋での定位置である一年中出しっぱなしの居間のコタツに座ってお琴はYoutube(ユーチューブ)を開いた。こたつの上にはお皿いっぱいの天然酵母パンが置いてある。以前なら食べながらゲームをしていた。家にいる時は大概オンラインゲームをして過ごしていたのだ。でもある時ゲーム中にリクが言った。「オレ結婚することになったから」突然の言葉にお琴は固まった。でも自分の手とは思えないほどに素早く「おめでとう」と打った。

リクとは大学生の頃に付き合っていた。卒業してお互い赴任先の学校で忙しく働き始めたら次第に会わなくなりどちらも会おうと言い出さないからもう付き合っていないのだと思ってはいた。でもオンラインゲームでは会っていて付き合っていたころと変わらずゲーム仲間のままだった。そしてあの日突然リクが結婚すると言ってきた。お琴がゲームをしながら食べるから「おまえ、くちゃくちゃうるさい」とリクに文句を言われて音声をオフってチャットで会話をしていた。顔が見えなくて声も聞こえなくてよかった。お琴はそのあと泣きながらプレイした。

リクが来なくなったらゲームはつまらなくなった。それでやっと気づいたのだ。リクと繋がっていたくてゲームをしていたのだと。傷心のお琴になんの因果か、追い打ちをかけるように一つ年下の弟も来月結婚するとLINE(ライン)が来た。男たちに先を越されてしまったお琴は何が何でも自分も結婚してやると一念発起、婚活を始めたのだ。ゲームをしていた時間はお笑いの動画を見るようになった。食べたいものを食べたいだけ食べながら。でも今は違う。一花と香と出会っておしゃれに目覚めたお琴は美容チャンネルを見るようになった。食べたいものを食べたいだけ食べながら。食べることはやめられなかった。動画を見ていればキレイになれるような気がするのだ。

そして今夜もメイク動画を見ながらパンを食べている。今日は一花と香と山に登ってきたのだけど一花の化粧は崩れなかった。(ウオータープルーフを使ってるらしいけどそれにしても崩れない。一花の顔がべたつくとこなんて見たこともない。汗もかいてなかったし。やっぱ根本的に体が違うのかな。そう言えば山頂でパンを食べた時一花も香もほとんど食べてなかった。一花は水ばかり飲んでたっけ。香がひとつくれて…香は食べたのかな)お琴は思い出そうとしたけどパンがおいしくて三つも食べたことしか思い出せない。予告なくショートカットで現れた香。髪を切ったらますます幼く見えた。香のことを考えていたらお琴はぷっと吹き出してしまった。あれを思い出したのだ。

三人が下っていた時、登って来たおじさんがすれ違いざまに香の耳元で「今日はいい天気でよかったね」とささやいた。そしたら香が「おえー」と言ったのだ。気持ち悪かったのだろう。それはわかる。でもだからって大声で言うなんて。一花は固まった。お琴は「香それはダメだって」と呆れたが「だってー」といつものように返す香に笑わずにはいられなかった。小学生の子どものように素のままでいられる香をスゴイと思いながら。そして今日はそれだけじゃなかった。もっと驚いたことがあった。秋晴れの広い空の下、山頂で景色を楽しんでいたら外国人の登山者に話しかけられた。何を言っているのか分からずどうしようと一花と顔を見合わせていたら、なんと香が答えたのだ。ビックリして一花と二人で固まった。しばらく香と話していたその外国人は「Thank you very much!▽□×○△××!」と手を振りながら去っていった。

「なになに、なんて言ってたの?ていうか香英語話せんの?!」

「うん。『トイレどこ?』って。最後は『邪魔してごめんね、景色楽しんでね』って言ってた」

香はイギリスの高校と大学へ行ってたそうだ。

「お父さんの仕事で海外へ?」

「ううん。外国に住みたくてホームステイで」

東京に一人で住んでいたことだけでも信じられないのに外国へ一人で行ってたなんて。そんな香の意外な一面を知ったお琴はある生徒のことを思い出した。小学校五年生のその女の子はいつもボーっとしている子だった。五年生にもなると多くの子どもたちは大人のように振る舞い始める。友だちの世話をしたりルールを気にしたり周りの人に合わせて行動するようになって大人の手が全くかからない。でもその子はお友だちを気にかけることもなく協調しないから目をかけて声をかけて手を焼いていた。成長が遅いのだと思っていたのだ。ところが家庭訪問で自宅へ行った時お琴は目を見張った。その子には下に弟妹(きょうだい)が三人もいて小学校の帰りに保育所へ寄って下二人を連れて帰り、両親が帰ってくるまで三歳、五歳、七歳の弟妹(きょうだい)の世話をしていたのだ。学校とは打って変(かわ)ってちゃきちゃき動き回ってまるで母親のように甲斐甲斐しく面倒をみているその子は知らない子のように思えた。まさに別人。家で大変だから学校では気を抜いていたのだとお琴はその子への見方を改めた。問題児から優等生。心配から信頼へと変わったのだ。(香のことも偏見で見てるのかも。あの可愛(かわい)い姿に惑わされてる。いけないな)と反省した途端大事なことを思い出した。


つづく


【次話】


【前話】


小説「梅すだれ」を連載中です!皆様の支えで毎日の投稿を続けられています。感謝の気持ちをパワーにして書いております!