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幸福とお金

  やけに感動するようになった。

  例えば、朝粥。これがとても美味しい。特に一口目。あまりの美味しさに口だけで味わうのは勿体なくて、目をつぶってその美味しさを全身で感じるようにしている。

 “ただのお米がこんなに美味しいなんて。”

 水を入れて炊いただけでこの美味しさだ。「主食」の位置を勝ち取ったのも納得だ。

 お粥にこれだけ感動するのは朝の運動のあと、ということもあるかもしれないけれど、日々の感謝のおかげで敏感になっているとも思っていた。感謝のパワーのおかげ(*1)だと。

 しかし、これはただの親譲りかもしれないとも思うのだ。

 ちょうど一年前。コロナ禍の世相でカフェでまったりできなくなった。そんな私はコンビニへ駆け込んだ。手に入れたのは珈琲サンドケーキ。大きな半円のスポンジに珈琲クリームが挟んである。けっこう大きかった。食べ切れない。どうしようかと思っていたら、ちょうど両親がテレビの前でくつろいでいた。日曜日の朝だった。

 コンビニのスポンジケーキだけど、扇形の三角形に切ったらおしゃれに見えた。フォークをつけて、オーガニック珈琲も淹れてケーキセットにしたら、さらに見違えた。

「ケーキだよ。」

と言って両親に出してあげた。そしたら、

「おいしい!」
「おいしい!」

と二人とも喜んで食べた。100円のケーキを3分割したから30円くらいのケーキなのに。ケーキと言えば一個400円以上するっていうのに、30円の袋入りのスポンジケーキをそこまで喜ぶなんて。

 ”切り方が正解だったな。美味しいコーヒーも淹れたし。”

 してやったり気分でいたのだけど。
 食べ物を美味しがる性質がうちの家族にはあるのかもしれない。

 よくよく思い返すと、ほかにもいろいろある。やけにおいしがるのだ。
 私が朝から少しのお米で大きな幸せを感じて喜んでいられるのは、遺伝のおかげかもしれない。

 なんてことを考えていたら、「安いモノでも大いに喜ぶ」という遺伝的性質があるのかもしれないとも思えてきた。

 例えば、美顔器。流行っているしキレイになりたいから欲しくて仕方がない。みんなが憧れるキレイ女子、田中さんも使っているという18万円するやつが欲しい。しかし値段を考えると「本当に効果があるのか」「果たして使い続けられるのか」が問題になる。

 以前スチーマーを使っていたけど、使っていたのは初めだけ。あまりの気持ちの良さと肌がもちもちになるのに感動したけど、長続きしなかった。精製水を準備しなきゃいけないとか、いろいろ面倒くさくなってしまった。

 美顔器の使い方の動画を見てみた。一般の人が丁寧に教えてくれていた。私でも使えそうだと思った。ただ、この人が「どんなに疲れていても毎日使うようにしています。」と言っていたのが気になった。効果に疑問が出た。

 田中さんもただの広告塔で実際には使ってないだろうし。

 と言うことで、買うのを諦めていたのだけど美顔器への思いは消えなかった。そんな中、小児鍼というのを知った。1500円。手のひらサイズの小ささで、持ち運びもできると言う。思わずポチった。

 どんなもんだろうと半信半疑で使い始めたのだけど、これがすごかった。顔にコロコロするとちくっとする感じがあるようなないような。充電もしなくていいし、何より小さくて軽い。なのに肌がもちもちするのだ。

 高額美顔器への思いは消えた。私にはこれで十分。朝晩コロコロしている。エッセイを書きながらコロコロしたりなんかして。とっても幸せだ。

 ”値段ってなんなんだろう。”

 「お金で買えない幸せ」って言うけれど、「少額で買える幸せ」もあるし。

 今はコロナで地方へ移り住む人たちがいるという。家庭菜園で野菜を作って食べるんだとか。それが買って食べる野菜よりもおいしいんだとか。

 ”お金は便利だけど、惑わされないようにしなきゃな。” 

 そんなことを考えた。

*1 NOTE、木花薫、「感謝のパワー」https://note.com/konohana_kaoru/n/nb2fcd3304985

小説「梅すだれ」を連載中です!皆様の支えで毎日の投稿を続けられています。感謝の気持ちをパワーにして書いております!