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15 結婚したい女たち 不都合な現実 香

しかしウキウキで行った初めての山登りだったけど人生最大の試練と思えるほどに過酷だった。

それは日本一高い山だからというよりは強風が吹いていたから。叩きつけるように全身を打つ風に吹き飛ばされると何度も思わされたのだ。

案内をしてあげると言って途中から一緒に登っていたおじさんが、
「雨が降ってないだけましだよ」
と言った時は、
(雨降りの次に大変ってことじゃん)
と心の中で毒づいた。
実家での慣れない家事生活で香の心はくさくさしていて生来の前向きで明るい心はどこへやら、何を見ても聞いても否定的にしか考えられなくなっていた。
それでもなんとか八合目の山小屋にたどり着いたのだけどその時には家に帰りたくなっていた。いいリフレッシュになるだろうと期待したからこそこんなに高いところまで登って来たというのに。家にいる時より疲れている自分に嫌気がさした。
(もう私には楽しいことなんて起こらない)
そんな気分になっていたら追い打ちをかけるように、
「晴れてたら星がきれいなんだけど今日は見えなくて残念だね」
とおじさんが言ったものだからプツッと香の堪忍袋の緒が切れた。
(このおじさんはいかにこの山登りが素晴らしくないかしか言わないじゃん)
といつまでも引っ付いてくるのが鬱陶しくなっていたら比奈ちゃんが、
「おじさん、ありがとう。ここまで来られたのおじさんのおかげだよ。久しぶりに会ったから二人で話したいんだ。ここでごめんね」
とうまいこと追い払ってくれた。

やっと二人っきりになれた香たちは昔のように話し込んだ。外では山小屋が吹き飛びそうなほどの強い風が吹いていてまるで小学生の頃にビュービュー吹く風とゴロゴロ鳴る雷に「こわいこわい」と叫びながら家の中で遊んだ時のようだった。

しかし「これ作ってきたの、あげる」と香が水引の指輪を渡すと比奈ちゃんは「香ちゃんはホントに違うよね。お金持ちだし留学するし東京で働いてたしこんなものも作れるし。私なんかとは全然違う」と言ったのだ。喜んで受け取ってくれると思っていたから卑屈な返しは予想外の反応だった。
(子どもの頃はおもちゃのアクセサリーをあげっこして遊んであんなに楽しかったのに)
と香は悲しくなった。思い返せば中学生になってから友だちの態度が変わり始めた。
「あのマンションって香ちゃんちのなの?」
とズバリ聞いてくる子もいた。香の父親は五棟のマンションを所有している。そのマンションに住んでいる同級生がいてその男の子は変な目つきで香のことを見るのだ。小学生の時はそうじゃなかった。友だちはそんなこと知らなかったし気にもしていなかった。ただ友だちのお母さんたちはあの男の子のような目つきで見てくることがあった。先生の香への態度もどこか違った。香の父親のマンションに住んでいる先生もいたけれど香にはそれがどういうことかなんてわからなかった。だって父は役所勤めをしている公務員なのだ。

おじいちゃんは早くに亡くなっておばあちゃんがマンションを所有していた。小学校二年生の時父の唯一の兄弟だった伯父さんが亡くなった。その時のお葬式で気落ちしたおばあちゃんが何か言って大人たちが大騒ぎしていたのは覚えている。でも父がいつマンションを譲り受けたのか詳しいことを香は知らない。家でマンションのことが話題になることは一度もなかった。

なんとなく学校で居心地の悪かった香は留学することにした。中学を卒業すると同時にイギリスへ行ったのだ。子どもの頃から英会話を習っていたし夏休みに外国で過ごすことも多かった香に言葉の壁はなかった。父親の知り合いの家にホームステイさせてもらって念願の外国暮らしを楽しんでいたのだけど、大学を卒業する頃にはまた日本に住みたくなっていた。でも地元に帰りたいとは思わなかった。自分の住む場所ではないと思っていたから。それでなんとなく東京で働いた。

就職活動の仕方がわからなくてとりあえず派遣会社に登録した。英語関係の仕事に強い派遣会社でTOEIC(トイック)のスコアが九百点ある香を大歓迎してくれた。そしてすぐに外資系のイベント会社へ派遣された。そこでは主に英語でのメールのやりとりを担当した。たまに通訳をすることもあったが社員さんが通訳で香が翻訳という区分けになっていた。
イベントの準備が始まると出勤してメールの連絡を英語で遣り取りしたり資料や原稿を翻訳したりした。そんな業務は仕事の早い香には容易(たやす)くて暇を持て余すことが多かった。みんなが忙しそうにしていると手伝うこともあったけど、
「香さんはいいですから」
と除け者にされることが多かった。イベントの前日や当日はさすがに香も一緒になって準備に追われたけれどイベントが始まってしまうと通訳要員としてまた別格扱いになり控室で待機していなければならなかった。バタバタ動き回るみんなを手伝おうとすると、
「香さんは座っててください」
と立っていることも許されなかった。そしてイベントが終わると出勤も許されなかった。次のイベントの準備が始まるまで香は用無しなのだ。


つづく


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