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村上春樹作品と村上龍作品、両方読んでいた時代。

村上龍さんのデビュー作「限りなく透明に近いブルー」は1976年、村上春樹さんのデビュー作「風の歌を聴け」は1979年にそれぞれ発表されています。僕は1973年生まれなのでリアルタイムではありませんが、お二人の作品はずっと読んで来ました。

どちらの作品もほぼ発表された順に読みましたが、(春樹作品は"ノルウェーの森"が初体験)今回のテーマである「時代」を語るに於いてリアルタイムの読書体験から鑑みるに、春樹さんの「ねじまき鳥クロニクル」と龍さんの「五分後の世界」がどちらも94年の発表なので、この時期について考察してみたいと思います。僕が21歳の時ですね。

1994年といえばもう27年前になりますが、40代以上の人からしたら比較的最近の様に感じられるのではないでしょうか?

この年は世界も日本もあまり明るい話題はありません。

ルワンダで大虐殺があったり、NATOがボスニア紛争で空爆したり、中国の旅客機が名古屋空港で着陸失敗したり、サンマリノでラッツェンバーガーとセナが事故死したり、松本サリン事件が起きたり、カート・コバーンが自殺したり、金日成が死亡したり…著名人も、名もなき人達も様々な形で死んでいった。明るい話題はアメリカワールドカップサッカーやリレハンメルオリンピックでしょうか。

こんな時代に「ねじまき鳥クロニクル」と「五分後の世界」は発表されました。内容やジャンルも全く異なりますが、どんな表現作品もその時代背景から完全に逃れる事は困難だと僕は考えます。従ってこの2作ももちろん時代の影響は受けていると思います。

2作品に共通しているのは「混沌」と「不条理」ではないでしょうか?「ねじまき鳥クロニクル」は妻の家出から。「五分後の世界」は暗闇での行進から。主人公は「混沌」とした世界に連れ去られ混乱する事になります。そこでは起きるはずの無い事が起き、無くなるはずの無い事が無くなります。それでも主人公はなんとか生き延びようと、問題を解決しようとします。

これらは、混沌とした94年の世界から我々は学び改善し生き延びなければならないというお二人からの隠されたメッセージではと推測します。

現代の日本を代表する文学者のお二人が同時代に共存したのは、お互いにベストセラー作家でありながらも、全く異なるスタイルの作家だったからだとは思います。文体もライフスタイルも。でも時代を読む目、世界を感じる心は共通していたのではないか?と思うのです。それが文学者の「才能」ではないかと。文才あるのなんて当たり前過ぎる話ですから。


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