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にわかIT専門家が激増中の日本

今やITは日常会話になったと言える。
大衆化されたと言うか、私たちの生活に欠かせないと言うか、どこかでITを意識した生活や仕事をする人が激増の時だと思う。
ITを時の首相がイットと呼んだという話は、もはや古い話だが、たった20年ほど前は、ITはとても新鮮だった。

その頃は、インターネットにパソコンをつないで、何かするということが流行り出した時だ。
まだ、クレジットカードの情報をWebに入力するのには、たいていの人は抵抗感があった。ITの仕事をしていた私も、ネットに大事な情報を入れるのを躊躇した時期もあった。
もっとも、私の場合は、仕事柄、実際の脆弱性や事故の事例を知っていたからではあるが・・。

ところが、今や、クレジットカードすら世の中から消えようとしている。IT業界は、随分昔から、ドッグイアーと揶揄され、科学技術の中でも特に進化が激しい分野であった訳で、今なら、なんと表現したらよいのか。

専門的な仕事をしている立場からすれば、毎日が昔の1年ぐらいの感覚で、進化や変化がある。こうなってくると、本業として関わっていても、世の中の動きや関係する情報を全てキャッチアップするのは不可能のように思えてくる。
今、専門家でない一般の生活者は、どんな分野につけても、耳年魔になりがちだ。

なぜなら、ネットで大抵の情報は入手できる。もちろん、それをするためには、それなりの検索技術や目利き力と言うものが必要になるが、例えば、医療に関して言うと、あまりにも正しそうな情報や知識が溢れている。
私もたまに、ある病気の事が気になると、色々と調べてみる。
もちろん、時には、本に頼ることがあるが、今は、ちょっと工夫すれば、病気の原因や治療法などは、ほぼ網羅的に入手できる。昔なら、家庭に一冊、家庭の医学という本の中だけの知識だったのが、ネット上に際限なく広がる。
有益なことも多いが、一つの治療法にしても複数存在する場合など、結局、迷いを助長してしまう。なんとも疲れる時代になってしまったものだ。

こんな時、ふと、お医者さんの立場になってみる。いちいち、診療が面倒くさいだろうなと思うのである。簡単に言うと、何も当該病気に前提知識がない人を診断して、結果を伝えるよりも、やたら、頭の中に病気に関する知識がある(しかも当然にわか知識)患者と話しする面倒くささ。

もちろん、プロだから、そういう感覚はおくびに出さずとも、内心を推察すると・・結構、同情してしまう。
こんな分野は他にも沢山ある。
例えば、学校の先生も似たような世界だ。子供が、やたらめったら、ネットの達人だっとしたら、何を教えてよいのか迷ってしまうだろう。しかも、自分がITに疎かったらなおらだろう。

私は、日頃様々な立場、分野の人と話しする機会があるが、最近は、ITに関する話題は必ず誰との会話でも出てくる。そんな時、少しだけ分かっている人ぐらいだと、こちらも心地よく話ができるのだが、中途半端に知っている人だと、話が面倒くさい。
いちいち、反論するのは何なので、流すことは多いが、間違えたことを本気で信じている人が多いのである。もちろん、私が、100%正しいことを知っていたり、コメントできたりするわけではないにしても、一応、専門領域なので、医療の世界で言えば、ベテランの医者の領域だと思う。

聞きかじりであったり、自分が何かの本で読んだことであったり。典型的なのは今だけの話なのである。そう。今だったら、DXやメタバースだろうか。
実際、びっくりするぐらいAIについては、短期間で、一般用語化した。まだ、実用的には、ほとんど、AIが使われている段階ではないのにもかかわらず・・。

まあ、仕事で利害がないのであれば、私も流すのだが、これが医者と患者の関係であると、とても面倒くさい話なのである。
ちまたには、ITの事が溢れている。事例も山のように入手できる。今どきは、新規ビジネスに限らず、どんなビジネスでもIT抜きには成り立たない。
だから、仕方がないところではあるが、にわかITを語る人には、仕事では近づかない方が賢明である。

以上

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