見出し画像

絵描き/ライブペインティングパフォーマーの僕の自己紹介(長すぎるので2部に分けますと思っていたらさらに長くなったので全部で3部構成。今日は第2部)

前回で生まれたところから大学まで振り返った長すぎる自己紹介前半部分

今回は大学院生から始めたいと思います。(今回も誤字脱字あったらごめんなさい)

【大学院生時代】

僕は大学3年生後半からお世話になった八木先生という人が大好きになりました。また森林のこともますます好きなったので大学卒業後は鳥取大学の大学院に進学します。

八木先生とは濃密に付き合うことになります。

相変わらずしょっちゅう大学校舎の屋上にいき「近藤くん、百合の木(チューリップツリー)の花を眺めましょー(白くて本当にチューリップみたいで綺麗)」とか「今日も美味しい日本酒を飲みまませんかー」という学問とは関係ないけれどしかし重要な時間を先生と過ごします。

その時に覚えた鳥取地酒がこちら。いずれもすごく美味しいのですが僕が一番好きだったのは鷹勇。

この鷹勇。僕が在学中に唯一一度父と母が山陰旅行に来て、その酒蔵に一緒に行きその酒蔵で買い求めた記憶に残っているお酒です。今でもよく父と「あの旅行は楽しかったね」なんて話します。


話がずれてしまったけれど大学院修士課程は2年間。あっという間に過ぎていきます。僕のテーマは人間と森林の関わり。どちらかというと社会科学と人文科学寄りの研究です。鳥取の森林に関わっている人(主に林業従事者のおじいさま)に会いに行きいろんな話を聞いていました。みんな素敵な人が多かったです。


「あそこらへんからあそこらへんは俺が若い時に植林したんだぁ」とか嬉しそうに自慢をするのを僕が「それはすごいですねぇ」とさらに嬉しそうに聞く、という日々。

今でこそ杉・檜は悪者扱いされていますが戦後の荒れた森林に一生懸命植林して、そして一生懸命世話がされた杉林や檜林はとても綺麗で神秘的でもありました。自然と人間が共に作り出した美しさの一つの模範のような。そういう杉林はもちろんん土壌も荒れていなく。

一方、政策のまずさもあって放置された林のなんてかわいそうなこと。。。

なんてことを考えたりもしながらも、ほぼ毎日海に行ったり自転車で遠くに行ったり森を歩いたりそんな風に修士課程も2年目になるともちろん進路のことも考えないといけません。

僕は最初はこのままさらに大学院博士課程に進むのもありかな??と考えたりしてもいました。八木先生が北海道大学の農学部のご出身だったこともあり、北大の大学院も憧れていたのでそちらに方に進学したいなぁと。

でも途中でやっぱり向いてないなとわかりました。というかわかるのが遅すぎるのですが僕はどうやら森林を研究の対象として見たいのではなくて、単純に歩いたり、感じたり、そういうことが喜びだったのです。

また学会などにも何度か参加する機会があったのですがこの世界も政治的なところがあり人脈とか派閥的な匂いを感じたので(これは向いてないな。。。)と思ったこともあります。


それで大学院を卒業したらどうするのか??

大学院まで進んでさらに2浪したのでその時点で既に26歳に近づこうとしているのだけど、僕がとった作戦は驚くべきことに「就職活動は一切しないでひたすら修士論文に打ち込む」でした(笑)

それは二つの理由があります。一つは八木先生がそう言ったからです。八木先生は変わった先生でした。でも僕は八木先生の言うことは大体正しいなぁと思っていたからそうしたのです(笑)

恐ろしいですよね(笑)一切潰しがきかない年齢になっているに全く就職活動しないなんて。

でも八木先生が考えていることは大体次のようなことでした。「修士論文を脇目も振らずに一生懸命やる。それをしっかりとやりきる。そのことが大切なんだ。その過程で近藤くんは何かをやり遂げたという手応えのある実感をつかむことができる」

そしてそれは一生に役立つ宝物の経験なんだ、と。たとえどんな進路に進んだとしても役に立つと。

希望通りに就職してもそれが本当に希望の会社かは入ってみないとわからない。それよりもどんな場所に行ってもいいような力を少しでも磨きなさいと。長い人生なんだから焦ることはないんだよ、と。

思えば先生は僕の性格を見抜いていたのかもしれません。前にも書いたけれど僕はかなりゆっくりとしたマイペース。「近藤くんに合うのはこの方法だ」と考えてくれたのだと思います。

あともう一つの理由はこれはちょっと突拍子もないのだけど僕は物書きになりたいと思い始めていたのです(笑)。修士課程の2年生ごろから文章を書くことが好きなっていたのです。

ある日、一人で鳥取砂丘まで行きました。時間帯は確か遅い夕方か夜で周りには誰一人いませんでした。僕はしばらくぼんやりしてしました。そして(大学院を卒業したらどうなるのかな。。。どうしたらいいのかな。。。)と考えていました。

すると、本当にまさしくそれは神の声にようにと言うと大げさなのかもしれませんが、物理的に聞こえたかなのような明確さで「表現をする道を選べばいいんだ」と言う声が聞こえました。あれも何度かある人生の忘れられない瞬間です。

目の前には砂丘が広がっていてとても気持ちのいい時間でした。僕はその瞬間から焦ることもなく修士課程に打ち込みました。

だから僕が修士課程を卒業した後に最初に目標としていたのは物書きです(笑)

こうして僕は26歳で鳥取大学大学院を卒業します。まだ絵には出会っていません。

【大学院卒業後〜会社員時代】

大学院を卒業してまずは実家に戻りました。大学院まで卒業させてくれたのに就職活動も一切せずに実家に戻ってきたら僕を見守ってくれた両親には心から感謝です。親はいつだってそうだったのですが「康平は大丈夫」と信じてくれたのです。それを思うといつも涙が出そうになります。

そして一番最初は東京にある家具屋に就職します。しかしここは10日でやめます(笑)めちゃくちゃハードな仕事環境で先輩の社員さんに「休みもらえていますか?」と聞いたら笑いながら「今30日連続勤務中だよ」と答えたのを聞いて(僕には向いていない。。。)と思ったのです。

そのあとはサンクスネイチャーという花屋さんで働き始めます。ここは半年ぐらい働いたのでしょうか。接客は超楽しくて特に僕はおばさんとかおばあさんと話すのが大好きなのでいつも楽しくお話をしていました。だけどすごく苦手なのが軽トラでの花の配達でした。僕は運転がすっごく苦手。だから配送の予定とか入ると休日には自転車で下見をするほどでした(笑)

ここでも大学時代の自転車経験が生きて往復50キロとかせっせと自転車で下見に行ったりしていました(笑)

そこまでやっているのに結局自動車をぶつけたりもしていました。。。

この間、文章も割と一生懸命書いていました。一度短編の作品がとあるコンペで佳作とかいただけたのだけど、でもあまり上手くならなかったような。

僕が書いてたのは少し不思議な話で例えば「天気がいいからビールを買ってビールを飲みながら土手で子供達が野球するのやら雲が流れていくのを眺めたていたら、いつの間にか僕は魚になって川の中にいた。泥は汚いものだと思っていたけれど魚になったら肌に随分と気持ちいいものなんだとわかった」なんていう感じの文章で、その賞を頂いた時は「なんというかこの人の文章はビールの炭酸が抜けきった内田百間というべきか」なんて評価をされました(笑)

でも僕は文章を書くのはあまり向いていないことも少しわかってきました。これはどこかのエッセイで保坂和志が書いていたと思うのですがなんていうか文章は流れの中で生まれるアートです。時間の経過が大事というか。それに対して場面というか瞬間に惹かれる性質の人もいる、と。その通りで僕の思考はワンシーンというか。画面的というか。瞬間的なことに反応する性質というか。

だから友達とか映画を観に行って感想を話すときのストーリーよりも「あのシーンのあの鳥の飛び方がよかった」とか「あの台所のシーンの光が綺麗だった」とかそんな感想になりがちです。

↑保坂和志の好きな小説。僕の大好きな「The何にも起こらない小説」



話がまたずれちゃったけれどそんなことで花屋でアルバイトをしていたのだけど、ある日僕はちょっと東京でも歩くかと東京に出かけます。東京に出かけたら何か見つかるかな??なんていう嘘みたいな「何か探しに」(笑)

そうしたら見つかったのです(笑)

それは表参道にあるクレヨンハウスと言うお店でした。そこは絵本の専門書店でした。

僕は世の中に絵本しか売っていない本屋をそれまでに知らなかったのでとてもびっくりしました。そしてこんなお店で働くことができたらいいなぁと思いながら帰りました。

思えば僕が小さい頃。僕には妹がいるのでしが僕たちが眠る前に母は(そして時々父も)僕たちが選んだ絵本を3冊ずつ読んでくれました。合計6冊!それはすごい楽しい時間でした。

今でも覚えているのが妹がいつも選ぶのがエロール・ルカインが絵を描いた「フォックスおくさまのむこえらび」そしてにしまきかなこさんの「わたしのワンピース」とか洋服がたくさん登場する絵本です。


今、妹は服のデザインの仕事をしているのですがこの時からずっと好きだったんだなぁなんて感心します。

僕が好きだったのは「ものぐさトミー」とか。

大体僕が好きだったのは怠け者とかマイペースなものが登場する絵本なのである意味僕も変わってないか。

・・・こんな風に絵本の記憶も蘇ったりしました。

絵本ってしみじみいいなぁと感じたのです。


そうしてクレヨンハウスに感動して次の日朝日新聞の求人募集欄を読んでいたらなんとそのクレヨンハウスが募集をしていたのです!!

「これはすごいタイミングだ!!」と僕は早速応募しました。

そして運よく採用されました。

僕の正社員としての生活がスタートです。


しかし絵本に触れるようになったとはいえ、僕はまだ絵に出会っていません。





この記事が参加している募集

自己紹介

サポート本当にありがとうございます。サポートしていただいた分は絵の製作の助けとさせてもらい、よりよい製作に励みますね。