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日常を分け合う−食卓について思うこと

食卓はしあわせの象徴だと思う。
家族や親しい人たちと囲むそれは、しあわせそのものだ。
何を、どう、いつ、誰と食べるか。

わたしは、一人で「食べざるを得ない」状況が苦手だ。
一人で食べることを「選んだ」のなら、問題はない。
無理に誰かに合わせるよりも、一人の方がいいときもある。

けれど、基本的には「一人で食べざるを得ない」状況に陥るくらいなら、食べない方がいいとすら思うときがある。
いつだったか、「一人の食事は、ただの作業だ」という節の言葉を目にしたことがある。半分くらいはその通りだと思う。

だから、わたしは、今まで一緒に食卓を囲んできてくれた人たちに心から感謝している。
例えば、朝ごはんの席でいつもりんごの皮をむいてくれた家族に。
例えば、馴染みのお店で一緒にパスタを食べた友人たちに。
例えば、研究室で一緒に昼食を食べた先輩や後輩たちに。

三度のごはんを一緒に食べるのは、カフェでお茶をするのとは、また違う。
前者は生活の糧として欠かせない、日常の一部だけれど、後者は、ちょっとした非日常だ。飲みに行くのもまた然り。

日常を分け合うという、当たり前のようでいて、でも実は非凡な出来事がわたしはなんだかとても気になる。

ありがとうございます。いつかの帰り道に花束かポストカードでも買って帰りたいと思います。