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東北紀行 最終日

3900kmの果てに

福井-滋賀

とうとう旅路の最終日、自宅へ帰る日となった。
帰れる嬉しさと、旅が終わる事への寂しさ、そして来月から始まる新しい環境への不安。
そんな気持ちが渦巻いて、モヤモヤした朝。
福井県は35℃、天気は快晴の予報。
散々涼しい所を走ってきたので身体が付いて行かない。

宿の朝ご飯は文句なく美味しかった。10時前までゆっくりしてから出発。
お見送りもしてもらえるのだが、もうピリピリと肌に刺さる日光、
そしてバイクは積み込み身支度と時間が掛かるので、玄関で後の見送りは辞退した。その方が気楽だ。
館内が快適過ぎたのか、準備が整う頃にはもう汗だくになる。

道は越前海岸から敦賀、京都へは何度も走った道。
滋賀、京都ナンバーを見る度に、とうとう帰ってきたのだと実感する。

滋賀 三方五湖近く

事故もケガもバイクトラブルも一切なく、ここまで来た。
すこぶる元気な愛車にも感謝。
愛車は中古で手に入れたのだが、前のオーナーは年に2000㎞程度しか乗っていなかった。
張られた販売店のステッカーは島根だったので、
冬は冬眠させていたのだろう。
オーナーが変わった瞬間、酷使されているがどう思っているのやら。
走る為に生まれて来たと思っているのなら、喜んでいると信じたい。

会社辞めて家に帰るだけなのに、なんとも壮大な旅となった。
人生には時々大きな夏休みが必要だ。
それが敗走だったとしてもだ。

関西の空

知った道だったので、珍しさも無くあっという間に抜けてしまい、
本日の写真はほぼ無し。
家路を急いでいたのかも知れない。

帰る所があるから、旅として成立する。
帰る所が無いと放浪、帰る所が分からないと徘徊だな。
そう思うと、「旅」と認識出来る事は幸せなのかもしれない。
それが家そのものであっても、ベッドだけでも、もちろん帰りを待つ人がいても、待っている所即ち、自分の在るべき処に戻れると言うことだから。


道は琵琶湖畔を通らず、山側の鯖街道を大津まで南下し、高速へ向かう。

山が関西の色

鯖街道は山間を通り、比較的涼しい。レジャーやトラックの多い湖畔沿いよりも快走できて、私はお気に入りだ。
比叡山辺りはバイパスで、ほぼ直結で京都東ICに合流。
京都東ICから地元までは一気に高速で移動。
暑いし、渋滞しかないのは分かっているので、我慢は無駄と判断。

そもそもが、2年ちょっと単身赴任だったので、関西の道は久しぶり。
この2年がどうだったのか、まだ頭の中で整理が付かない。


そして、旅の終わり

3900㎞弱

花束やゴールテープがある訳でもなく、ただ淡々と自宅に到着。
約3900㎞だった。
敢えて旅の途中ではこのTRIPメーターは見ない様にしていた。
到着の時に、初めて旅路を思えるように。
直線に直すと凡そ、北海道の北の果てから沖縄らしい。
自分も愛車も良く走った。

ドロドロ
土が堆積してる
泥は奥の方まで


人生最大の旅を終えて

12日間、約3900㎞を走った。ガソリンは200L程消費したと思われる。
お土産代などを含んでも、全部合わせて15~20万位の支出だった。
大人の夏休みの遊びとしては、かなり安いのでは?と思う。

旅の全容

長かったが、途中一度も旅に飽きる事が無かった。
毎日が楽しかった。
嫌な思いは、ほぼ無かったからだ。

どうせなら、そのまま日本海を下関まで行ってやれば良かったと、
終わってから後悔している。
その方が本気の遠回りだったかな、と。
東海道を完全否定して、一番遠回り旅と言うのも悪くなかった。
アンチ東海道 (笑)

普通に単身赴任で東京から帰るなら、
3時間3万円弱の所を12日間,、15万円で帰って来た。
相当バカな移動の仕方だが、やりたい事が出来るタイミングと言うのは、
人生にそうそうない。
印象深い旅だったからこそ、4年後の今こうやって紀行文をまだ書けるほどに濃い記憶となっている。

トラブルに見舞われる事が無かった為、直接誰かに助けてもらう事はなかった。
しかしながら、ただ通り過ぎるだけの旅行者を、東北を中心にたくさんの人たちが支えてくれていた。

宿やレストランで美味しい食事を作る人、布団を用意してくれる人、ガソリンスタンドを開けている人、コンビニの店員さんや、
その時買ったおにぎりの工場の人々。
思えば、数え上げればキリがない程に、多くの人が旅に関わっている。
実に凄い事だと思う。

心から感謝しています。

単身赴任で東京に行くまでは、正直東北に関心はほぼなかった。
家に居てもつまらなかったので、連休にふらっと思いつきで福島方面に旅行に行ったのがきっかけだ。

7年経ってもまだ震災後だった。
特に浪江町。

東京はすっかり何もなかったかのように戻っているが、
台風がちょっと近づいただけでコンビニからパンが消える。
脆弱この上ない。

そんな都会を支えているのは、関東以北の土地。電気から米や肉、
野菜などを依存している。
勿論、都内でも買い支える事は間接的にもしているのだろうけども、偽善と言われようが、東北にお金を落としに行きたいと思った。

福島に物見遊山で行くのは良くないのかも知れない。
しかし、見なければ分からない事がある。
そこに生き続ける人々を見なければいけない。
昨日食べたにんにくは、あのお婆ちゃんの畑で収穫された物かも知れないからだ。

私は2018年に青森にたどり着き、やっと47都道府県制覇を果たした。
やっと国民であるような気になった。
過疎の問題、原発の問題、それらは東北を中心に進んでいく。
見た限りでは、他の地域よりも顕在化している様に思えた。

フォロワーの中に、遠野高校の方がいらっしゃるが、
その投稿を見ていると嬉しくなる。
地元を愛し、高校生活を楽しんでいるようだ。
東京に出るなとは思わないが、地元を愛して欲しいとも思う。

各県の都市部以外で見かけた、家も人も高齢化が激しい。
実際に耕作放棄地は相当広く、数年で木が生える。
家も形を失って行く。
既に、昭和~平成にはまだ保たれていたであろう地域が、
令和になり、もう機能しなくなっていると思われた。
現在、我々が見る事が出来る光景も、少し先にはもう無いかもしれない。
道路も維持しきれないと思う。

転換期はもうとうに過ぎ、我々が生きるこれからの時代は衰退期だと、
きちんと認識した上で生きていかないといけない。
何でもあった、出来た時代は終わる。
もう、ガソリンをスタンドも維持できない地域がある事を認識すべきだ。

東北に住む人が少なくなり、記憶が途切れて行くなかでこの紀行文も一つの記録として写真と共に残ればと願い、筆を置く。

素人の紀行文で、読みづらい箇所が多かったと思いますが、
最後までお読み頂いた方に、深く感謝申し上げます。


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