見出し画像

【読書備忘録】夜間飛行から黒衣の女まで

 先日DMMブックスの初回購入限定70%OFFクーポンを利用しました。100冊まで購入可らしいので、お言葉に甘えてバスケットを満杯に。電子書籍は楽天Koboを贔屓しているのですが、瞬時にしてDMMブックスの購入数が首位に躍り出ましたね。世の中何が起こるかわからないものです。
 当方の「欲しい本リスト」の上位は電子書籍化しない(文庫化もしない)傾向にあるため、欲しい本はまだまだ山のようにあります。それでもリストをダイエットさせられたのは嬉しいですね。しばらく楽しめそうです。善き哉善き哉。今も画面の1/3程度を占める感じでアプリを開き、ダウンロード済みの本棚を眺めながら書いています。これから釣果を書評に換えていくことになると思うので、どうぞ楽しみにしてください。


*  *  *  *  *


夜間飛行

*光文社古典新訳文庫(2010)
*アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(著)
*二木麻里(訳)
 貴族の家柄に生まれながら陸軍飛行連隊の操縦士を務めるという異例の経歴を刻み、退役後は民間航空で活動するも偵察中に撃墜されて地中海に散ったサン=テグジュペリ。パイロットであるとともに小説家でもある彼は寡作ではあるものの、実体験を素材とする高精度な作品群はリアリズム文学の至宝として世界的に評価されている。いうまでもなく『夜間飛行』を始め、彼の小説は想像の産物。それは現実ではない。けれども航空郵便の黎明期を舞台に夜間飛行という斬新な、それでいて危険な事業の全貌を物語る『夜間飛行』に込められた切れば血の出るような現実感は、著者の操縦士経験がなければ表現できなかったと思う。航空会社の支配人リヴィエールの強固な姿勢(執念ともいえる)と、ブエノスアイレスに帰還中暴風雨に襲われるパタゴニア便の操縦士ファビアンの悪戦苦闘。物語の軸である二人は事業の失敗と眼前の危険という異なる脅威を相手に奮戦している。手元も見えない暗黒の夜空で、嵐に翻弄されながら操縦桿を握り続ける状況は呼吸が苦しくなるほどの緊張感に満ちている。その状況下でリヴィエールの冷徹な判断は倫理には反するかも知れない。しかし、彼もまた失敗を許さない世論に背水の陣で立ち向かっている。ここでは善悪を決めて断罪するより、二〇世紀前期の航空業に求められていたヒロイズムの功罪に注目したい。



狭き門

*新潮文庫(1954)
*アンドレ・ジッド(著)
*山内義雄(訳)
 あまりにも有名な小説なので、もはや説明は不要かも知れない。幼い頃から愛し合っていたジェロームとアリサ。ところが愛の成就に究竟を見出しているジェロームとは違い、神の境地に憧れるアリサは彼を愛しながらも受け入れようとしない。アリサは何故己を苦しめてまで彼の愛を拒むのか。ジェロームの独白である物語は、アリサの不可解な、理不尽な言動に寄り添いながら空虚な時間を刻んでいく。おなじくジェロームを愛した妹のジュリエット。ジュリエットを熱愛するジェロームの友人。ジュリエットに求愛する紳士。周囲の人々が彼らの関係に干渉することはある。けれどもアリサの強固な意志を形成するものは地上から離れた世界にあるので、ジュリエットにもジェロームにも彼女を地上にとどめておくことはできないのだ。狭き門とは救済の道を説くイエス・キリストの言葉に由来していて、まさにアリサが選択した苦難の道のりを意味する。一世紀前のフランスで書かれた小説、しかもキリスト教に対する批判精神を暗示する内容だけに、キリスト教徒ではない淡白な現代日本人である私にアリサの気持ちを理解するのは難しい。共感することはなく、信仰とは何なのだろうという素朴な疑問を覚えた。とはいえ共感できるか否かは評価の指針にはならないし、実際に相容れない理想を抱いているが故に結ばれることのない二人に痛切な哀感を抱き、その悲恋に浸ったのは紛れもない事実である。



フランス怪談集

*河出文庫(2020)
*ジェラール・ド・ネルヴァル(著)
 テオフィル・ゴーティエ(著)
 プロスペール・メリメ(著)
 ジュール・バルベー・ドールヴィイ(著)
 マルセル・シュオッブ(著)
 レミ・ド・グウルモン(著)
 アナトール・フランス(著)
 モーリス・ルヴェル(著)
 ジュリアン・グリーン(著)
 マルセル・エーメ(著)
 ピエール・ド・マンディアルグ(著)
 ミシェル・ド・ゲルドロード(著)
*日影丈吉(編訳)
 田辺貞之助(訳)
 杉捷夫(訳)
 秋山和夫(訳)
 堀口大學(訳)
 田中早苗(訳)
 山崎庸一郎(訳)
 澁澤龍彦(訳)
 酒井三喜(訳)
 巻頭からネルヴァル、ゴーティエ、メリメと名だたるフランス文学者の怪奇小説を紹介する贅沢なアンソロジー。一二編の収録作も充実している。怪奇幻想と恋愛要素を組み合わせた禍々しくも浪漫のある物語から、憑依や幽体離脱を連想させる精神の暗黒面を表現した物語まで、恐怖の中に気品を備えた近代フランス文学の味に浸ることができる。例をあげるなら、僧侶の立場でありながら死霊と相思相愛になり死の淵に立たされる『死霊の恋』、不気味なヴィーナス像を保管する富豪家の騒動を描きだした『イールのヴィーナス』は前者の怪奇的な恋愛小説に分類できる。また、ある人物が見世物小屋の曲芸師を事故に遭わせようと画策する『ある精神異常者』、真面目な超能力者が自分自身の能力に溺れていく『壁をぬける男』、博物館の蝋人形に魅了された男が奇妙な体験をする『代書人』は後者に入る。河出書房新社からは各国の怪談集が刊行されているが、本書はフランス文学と恋愛要素の相性を強調するような選定が特色で、西欧諸国と比較するとイギリスともドイツとも異なるロマンティシズムを香らせている。怪奇小説に馴染みのない人にも勧めやすいアンソロジーである。



花のノートルダム

*河出文庫(2008)
*ジャン・ジュネ(著)
*鈴木創士(訳)
 現代フランス文学の核弾頭とも呼びたくなるジャン・ジュネの処女作。少なくとも正統派ではない。それは河出文庫版『花のノートルダム』刊行当時に熟読し、動揺の波にさらわれた青春時代に痛感した。著作の不明瞭な、それでいて幻惑的な概要に感興をそそられたのを覚えている。けれどもジュネの真髄を汲み取るには読解力がたりなかった。ジュネという作家は自分自身の歴史に材を取り、自伝とは異なる自伝的小説を書き続けた。そのジュネの前半生は波乱万丈だった。生後間もなく児童擁護救済院に捨てられた彼は、成長すると脱走と窃盗を繰り返して刑務所を出入りすることになる。三二歳までに一三回も有罪判決、禁固刑・懲役刑を受けたのだから凄まじい。そして収監先の獄中で『花のノートルダム』を書きあげると、知人を介してジャン・コクトーに読ませて賞賛を得たのである。本作品は服役中に回想と空想を繰り広げるジュネの心象風景を表すような体裁で、ある女装する男娼を軸に社会の底辺で生きる無頼漢たちの人生を表現していく。特異なのは語り口である。断片的な逸話を繋ぎながら縦横無尽に修辞技法を散りばめ、ほぼ同性愛者である登場人物の男性たちを「彼女」と呼び、複数の人称を使いわけるなど、綴織のようなテクストを展開する。物語の筋に囚われると樹海に踏み込み、脱出のいとぐちを求めて彷徨することになるかも知れない。テクスト自体を楽しむ感覚を要求するところはジュネの難しさであり、同時にジュネの面白さといえるのだろう。現在河出文庫版は品切れとなっているが、光文社古典新訳文庫からも刊行されている。



九夜

*水声社(2020)
*ベルナルド・カルヴァーリョ(著)
*宮入亮(訳)
 第二次世界大戦勃発前、ヴァルガス大統領による独裁政権下のブラジルに研究調査のため派遣されたアメリカの人類学者ブエル・クエインは、調査中に部族の村で奇妙な自殺を遂げた。二〇〇〇年以降の世界で文筆業を営んでいる主人公は、クエインの自殺に興味を抱いて独自に調査を始める。ところが調査開始後も自殺の理由が明らかになるどころか、クエイン自身の像も、クエインが研究していた部族の像も、ますます深い闇に溶けていくばかりであった。人類学者変死の謎に迫るというミステリアスな体裁に、幻想文学の不可思議な趣を加えたブラジル人作家カルヴァーリョの意欲作である。本作品にメタフィクショナルな幻想味を持たせている要因には、この人類学者を筆頭にレヴィ=ストロースなどの実在人物が複数登場する点と、語り手が作者自身を思わせる点にある。主人公はクエイン自殺の真相を探るため部族の村を訪れ、当時調査団を受け入れていたエロイーザ・アルベルト・トーレスの情報を集め、自殺直前のクエインが書き残した書簡を読むものの、求めている回答は得られない。若い人類学者は何故自殺を選んだのか。突発的な狂乱なのか。部族の禁忌に触れて自殺に追い込まれたのか。金銭的な、それとも人間関係的な苦悩が爆発したのか。駆けめぐる疑念は呪術の概念まで持ち運んでくる。錯綜する情報と未知の文化。そして、冒頭から随時挿入される断章である技師マノエル・ペルナの書簡。物語は霧に包まれたままクエインの足跡に誘い込まれていく。



馬鹿たちの学校

*河出書房新社(2010)
*サーシャ・ソコロフ(著)
*東海晃久(訳)
 読み始めるなり「内容を説明するのが難しい小説」カテゴリに追加したいと思った。おおまかな仕組みを解釈すると、本作品は特殊学校に通っている人物の独白である。主人公は知的障害と精神疾患を抱えているようで、二人の人格を持ち、存在しない人間を認識する。物語は異なる人格の対話を交えながら、両親の話、教師の話、将来の夢の話などを綴っていく。けれども主人公の話は信頼に値するのだろうか。発音を間違えたり、別人格の意見を参考にしたり、登場人物の名前も年齢も変容する語りを信じられるのか。小説の読み方が自由なのはいうまでもない。それでも『馬鹿たちの学校』に関しては「信頼できない語り手」の、荒唐無稽な、断片的な空想の堆積物である点を踏まえるよう推奨してもバチはあたらないと思う。本作品のテクストは表現するための道具というより、テクスト自体表現対象として機能している節があるので、読み方次第では混乱したまま結末を迎えることになり兼ねない。同時にこの飛躍に飛躍をかさねる語り口に馴染めたら爽快である。その暴れ馬を手懐けたような達成感はたまらないものだ。ちなみにサーシャ・ソコロフは現代ロシア文学の鬼才で、処女作である本作品の後も『犬と狼のはざまで』という極めて難解な問題作を出版している。



境界なき土地

*水声社(2013)
*ホセ・ドノソ(著)
*寺尾隆吉(訳)
 葡萄畑の所有者に支配された寒村を舞台とする、異常者たちの無頼と哀愁の物語。本来は長編小説『夜のみだらな鳥』の一部として構想されていた。けれども複雑化するあまり袋小路に入り、本作品に関わる案を独立させることで停滞期を抜け出たのであった。それだけの熱量を持っている『境界なき土地』とは如何なる小説なのか。それはグロテスク故に滑稽であり、滑稽故に悲愴な群像劇である。都市近郊の小さな村は電気も通らないまま衰退の一途を辿り、娼館に務めるマヌエラというオカマのダンサーを始め、娘である娼婦も、借金返済に追われる荒くれ者も、破滅を予感して憂愁に駆られている。支配者も例外ではない。遅かれ早かれ滅びる運命にある村は閉塞感に包まれており、人々に狂態を演じさせるのだ。ここでは地の文に内的独白を盛り込むドノソの技が冴え渡っていて、人々の暗澹とした心象風景が次々に描きだされていく。そして、ドノソのテクストはマヌエラの内面に肉薄することになる。女の身体を嫌悪するとともに娘に「パパ」と呼ばれることを拒絶するマヌエラの感覚は特異であり、父親としての役割を放棄する生き方は規範を逸脱しているかも知れない。その風貌と所作は紛れもなくグロテスクである。けれども娼館のオカマと蔑まれるマヌエラの嘆きは、閉鎖的な村のヒエラルキーに握り潰されたマイノリティの悲痛な叫びでもあるのだ。



ヒナギクのお茶の場合/海に落とした名前

*講談社文芸文庫(2020)
*多和田葉子(著)
 近年、講談社文芸文庫は多和田葉子氏の初期作品を復刊している。本書に収録されている九編は二〇〇〇年と二〇〇六年に新潮社より刊行された短編小説集のもので、小説家と舞台美術家の不思議な交流を綴る『ヒナギクのお茶の場合』、飛行機事故で記憶喪失になった「わたし」がレシートを頼りに失われた過去を探す『海に落とした名前』などの表題作を始め、空想的で夢現な物語の波に浸ることができる。この空想的な雰囲気は多和田文学ではよく見られるものだ。それを醸成する要因の一つには、そこはかとなく浮世離れした主役の語り口があげられるのではないか。実際的な他者と空想的な主役を対比することで生じる奇妙な温度差。小説家は照明係を務めるラディカルなハンナを観察して、記憶喪失患者は過剰なまでに自分の世話を焼く兄妹を観察する。それをマイペースと表現するのは簡単かも知れない。しかしマイペースという設定が設けられているわけではなく、物語は躍動するし、主役は躍動する物語に否応なく突き動かされていく。ただしマイペースな性質は変わらないので、温度差が解消されることもない。哺乳瓶の乳首に変身する『雲を拾う女』然り、異常な読書欲に駆られる『所有者のパスワード』然り。こうした特色に空想的な語りが温度差を与え、温度差が空想を招くという円環構造を見出すのはおかしなことだろうか。



ゴリオ爺さん

*光文社古典新訳文庫(2016)
*オノレ・ド・バルザック(著)
*中村佳子(訳)
 バルザックの小説では、同一人物を別作品に登場させる「人物再登場」と呼ばれる技法が使われている。現代ではさまざまな創作物で活用される技法だけれど、一九世紀初頭に登場人物のリサイクルを実践したバルザックの発想には驚かされる。諸作品に関連性を与えるこの方法は、フランスにおける各社会階層の人間模様を通して社会全体を表現するというバルザックの構想を助け、二〇〇〇人を超える登場人物からなる「人間喜劇」を誕生させることとなった。後世にもたらした影響ははかり知れない。その「人物再登場」の出発点となった『ゴリオ爺さん』はバルザック文学の支柱といえる傑作である。物語の主役格は二五作品に登場しているラスティニャック。この下宿屋に住んでいる貧乏な田舎貴族は、舞踏会で惹かれた伯爵夫人に接近するも致命的な失態を演じてしまう。ラスティニャックの失敗とは、彼女の父で、今は下宿屋で暮らしているゴリオ爺さんの名前を口にしたことである。彼は後悔の念にさいなまれると、社交界に進出することを決意して叔母に助言を乞い、銀行家に嫁いだ伯爵夫人の妹を知ることになる。こうして物語はパリ社交界の奥底に踏み込んでいく。見栄、嫉妬、煩悩の蔓延する社交界の現実は凄まじい。ラスティニャックは社交界と下宿屋の双方から洗礼を受け、何度も出世欲と情愛の狭間で身悶えることになる。けれどもアクが強い人々をを見ていると、優柔不断な、それでいて義理堅くもあるラスティニャックの人間臭さ(青臭さ)には親近感を覚える。



黒衣の女 ある亡霊の物語

*ハヤカワ文庫NV(2012)
*スーザン・ヒル(著)
*河野一郎(訳)
 一九世紀の英国怪談を思わせる正統派の怪奇小説で、二〇一二年には映画公開されたことでも知られている。その古風な雰囲気はゴシック・ロマンスを基礎とする伝統的な怪奇幻想小説を愛好する人にはたまらない。語り手のアーサーは弁護士事務所を共同経営する再婚者であり、連れ子たちと平和な日常を送っていた。けれども彼の脳裏にはある陰惨極まりない光景が焼き付いていた。その忌まわしい記憶はクリスマス・イヴの夜に、怪談を語り合っていた子供たちから怖い話をせがまれた瞬間に再燃し、自分に取り憑いている怨霊を追い払わなければならないと痛感することになる。彼は弁護士事務所の見習いとして雇われて間もなく、出張先で体験した悪夢のような出来事を記述することで悪魔祓いを試みるのであった。ここから舞台は彼の見習い時代に移り変わり、死去したドラブロウ夫人の遺産を調査するため「うなぎ沼の館」に出向いたときのエピソードが語られる。ドラブロウ夫人の住居である「うなぎ沼の館」は沼沢地帯にあって、満潮時には通路がなくなり孤島同然になる。しかも突発的に海霧が沼地を包み込むので、幻想的にして不気味な様相を呈する。このあたりの洗練された自然現象の表現は印象的で、自然界の息吹に見えざる生命体を想像させられる。謎めいているドラブロウ夫人の存在。孤立した無人の館。ドラブロウ家に関わりたがらない人々。そして、葬儀に現れた黒衣の女。怪奇のお膳立ては整っている。ここから先は自身の目で確認していただきたい。ちなみに本作品ではスパイダーという犬が登場する。この小さな犬は至高の相棒として見せ場を作るので、その点にも要注目である。



【読書備忘録】とは?

 読書備忘録は筆者が読んできた書籍の中から、特に推薦したいものを精選する小さな書評集です。記事では推薦図書を10冊、各書籍500~700字程度で紹介。分野・版型に囚われないでバラエティ豊かな書籍を取りあげる方針を立てていますが、ラテンアメリカ文学を筆頭とする翻訳小説が多数を占めるなど、筆者の趣味嗜好が露骨に現れているのが現状です。
 上記の通り、若干推薦図書に偏りはありますが、よろしければ今後もお読みいただけますと幸いです。


この記事が参加している募集

推薦図書

お読みいただき、ありがとうございます。 今後も小説を始め、さまざまな読みものを公開します。もしもお気に召したらサポートしてくださると大変助かります。サポートとはいわゆる投げ銭で、アカウントをお持ちでなくてもできます。