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【読書備忘録】ラテンアメリカ民話集からグアテマラ伝説集まで

 今回はラテンアメリカの文学作品を多数とりあげています。狙ったわけではないのですが、結果的に自分の趣味をさらけだすかたちになりました。勿論愛好家の方と共有するだけではなく、不慣れな方にも興味を持っていただける記事を心がけて書いています。是非ご一読を。
 今、苦労の絶えない時代を迎えています。その中、こうした推薦図書記事を公開することで書籍に関わる方々に少しでも協力できれば幸いです。


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ラテンアメリカ民話集

*岩波文庫(2019)
*三原幸久(編訳)
 岩崎美術社版『ラテンアメリカ民話集』が刊行されたのは一九七二年。四七年もの年月を経て、岩波文庫版として復活した。ラテンアメリカ諸国の民話を集めた貴重な資料が約半世紀も放置されたのはいただけないが、今は文庫化により手軽に読めるようになったことを素直に喜ぼう。本書には三七編の民話が収録されている。アンソロジーと学術書の面を持っていて、各民話は形式(話型)に合わせて「動物譚」「本格民話」「笑話」「形式譚」に分類されている。各話の末尾にはアンティ・アアルネ=スティス・トンプソン『民話の話型』に記述されている話型番号が付けられており、編訳者による話型に関する解説が添えられている。この構成はストーリーを楽しみながら民話の理解を深める効果がある。実際たびたび「この話には覚えがある」と首を捻ることがあった。でも、ラテンアメリカの民話の発祥地はおもにスペインやポルトガルで、欧州文化の影響を多分に受けているという事情を知ると納得がいく。中には日本の昔話に通じる話もあり、国境を越えながら独自性を高めていく民話の奥深さに驚かされるばかりであった。

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隣を歩く君の足音

*granat(2020)
*館山緑(著)
 館山緑氏の電子書籍版短編小説集第二弾。収録されている小説は過去の同人誌掲載作品『埋め尽くす君の黒』『ツマベニの日』『そんな世界』『心には君のパズル』とnoteで公開した『戦えキルシュトルテ』『飼育小屋のゴミで肉』に、書きおろし『友の部屋以外』を加えた七編である。まるで八編目を示唆するような表題が美しい。これまで電子書籍出版されてきた館山氏の小説を堪能している人なら、各物語で描き込まれている青春と怪奇幻想の世界に引き込まれることだろう。登場人物は学生(学生世代)の男女で、作中では青春期ならではの繊細な感受性を垣間見せる。彼/彼女たちの淡い情緒は灯火のようにはかなく、現実と超現実の境を叙情的に飛び越えていく。こうした特徴は特にお気に入りである『埋め尽くす君の黒』や『飼育小屋のゴミで肉』でも繊細な筆致で表現されており、物悲しくも優しい余韻を残すのだ。先述したように一部は今もnoteで読むことができる。けれども理想をいうならばnote版と電子書籍版を併読して、そのかすかなニュアンスの相違も楽しんでいただきたい。

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七つのからっぽな家

*河出書房新社(2019)
*サマンタ・シュウェブリン(著)
*見田悠子(訳)
 著者はブエノスアイレス生まれの作家で、大学生の頃から文学活動を始めている。二〇一〇年には文芸誌で「三五歳以下の有望なスペイン語作家二二人」に選ばれ、二〇一四年にはフアン・ルルフォ賞を受賞、二〇一七年にはマン・ブッカー国際賞最終候補に残るなど、世界的注目を集める現代アルゼンチン文学の寵児である。二〇一五年に発表された『七つのからっぽな家』は三〇ヶ国以上で翻訳されている短編小説集。ここにおさめられた七編では奇妙な人間模様が描かれている。どの物語でもコミュニケーションの齟齬が強調されており、読者によっては恐怖を覚えるかも知れない。象徴的な作品をあげるなら認知症の老婆視点で語られる『空洞の呼吸』だろう。この物語では認識のずれを緊張感のある筆致で表現するとともに、強迫観念に突き動かされる老婆を哀れなかたちで浮き彫りにする。ほかにも母親が他人の家を掻きまわす『そんなんじゃない』、全裸で駆けまわる祖父母に振りまわされる『ぼくの両親とぼくの子どもたち』等々。サマンタ・シュウェブリン氏の小説がホラーに分類されることは間違ってもないと思う。しかし、私はこの悪夢のような短編小説集に対して、読書中も読了後も深い恐怖を抱かずにいられなかった。

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気まぐれニンフ

*水声社(2019)
*ギジェルモ・カブレラ・インファンテ(著)
*山辺弦(訳)
 ラテンアメリカ文学の世界的流行に寄与した作家をあげると、キューバのギジェルモ・カブレラ・インファンテの名前は必ず出る。カストロ革命政府に反発して亡命を余儀なくされ、イギリスを拠点に執筆活動に勤しんでいた経歴だけ見るとヨーロッパ寄りの作家と認識されそうだが、望郷の念を生涯抱き続け、小説のテーマに組み込んできたカブレラ・インファンテはまぎれもなくラテンアメリカの、キューバの大地に根を張っている。革命前のハバナで出会った不思議な少女との夏を回想する『気まぐれニンフ』も愛郷を土台としている。映画批評を書いて生計を立てている既婚者Gと、母親を憎悪する少女エステラ。海辺で見たエステラに一目惚れしたGは持ち前の口達者ぶりで誘い、やがて二人は家族を捨てて逃避行を始める。粗筋そのものは王道的なロマンスの流れを汲んでいる。けれども本作品最大の特徴は語りの手法である。複数の言語を絡めた言葉遊び、語り手と語られている人物の語りを交錯させる文体、さまざまな作品からの引用。こうしたユーモアに富む文学的・言語的遊戯は著者の得意技であり、邦訳にあたってはある程度翻訳者独自の超訳を施さなければ、翻訳が叶わないほど突出している。訳出の苦労が偲ばれるが、言葉の曲芸師たるカブレラ・インファンテの著作を日本語で読める環境を作ってくださった山辺弦氏に感謝するばかりだ。

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裸のランチ

*河出文庫(2012)
*ウィリアム・バロウズ(著)
*鮎川信夫(訳)
 一九六〇年前後のアメリカ文学界を賑わせたビート・ジェネレーション。その文学運動の代表的存在であるウィリアム・バロウズの『裸のランチ』はデヴィッド・クローネンバーグ監督が手がけた映画でも有名。それでは小説の方は如何なるものか。私自身は爽快感を覚える快作と受けとった。けれども非常に読者を選ぶ作品なのは間違いない。読者の趣味嗜好とわずかでも合わなければ、一ミリも楽しめず、読むことに苦痛以外の何も感じないであろう。それだけ特殊な小説なのだ。本作品に限っては「次に現れる文章を楽しむ」姿勢で読むことをおすすめしたい。作中に登場するウィリアム・リーの語りは麻薬を求めるものたちを捉え、幻覚と現実が入り交じる悪夢のような情景を描きだす。また、複数のエピソードで構成されている上、既製の文章を無作為に並べ替える技法「カットアップ」が使われているので、場面が突発的に変化するのも特徴である。このカットアップとより簡略化したフォールドイン(折り込み法)はバロウズの十八番であり、彼の創作活動の支柱にもなった。とはいえ原文の質と作者の運が試される偶然性の技法は博打にほかならず、まして麻薬による倒錯表現とかけ合わせるのは無謀にも等しい行為だろう。本作品はバロウズの卓越した倒錯表現とカットアップが奇跡的に調和して産み落とされた異端児である。

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アルテミオ・クルスの死

*岩波文庫(2019)
*カルロス・フエンテス(著)
*木村榮一(訳)
 ラテンアメリカ文学者と一括りにするのは簡単でも、各人の個性をつまびらかにするのは容易ではない。知識不足のまま頓珍漢な妄想を語るのは恥ずかしいのでできるだけ避けたいものである。それでも腹を決めてメキシコが誇る文豪カルロス・フエンテスに臨むのであれば「洗練された小説技法」をあげたい。一九六〇年代のラテンアメリカ文学ブームの火付け役ともなった『アルテミオ・クルスの死』は、経済界の重鎮アルテミオ・クルスの生涯に迫る物語である。大地主の私生児として生まれ、メキシコ革命を生き抜き、飛ぶ鳥を落とす勢いで出世街道を驀進したアルテミオ・クルス。彼の波乱万丈な人生自体に魅力があるのはいうまでもない。しかし『アルテミオ・クルスの死』をラテンアメリカ文学の金字塔に昇華させた要因は類まれな小説技法にある。本作品は三種類の断章で構成されている。一人称+現在形で語られる死の直前、三人称+過去形で語られる革命期、二人称+未来形で語られる不可思議な時間。人称も時制も異なるエピソードを絡ませながらアルテミオ・クルスとメキシコの歴史を浮き彫りにする仕組みである。この独創的な構成は圧巻であり、半世紀以上を経ても色褪せるどころか、新奇の香りをただよわせている。

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独裁者ティラノ・バンデラス 灼熱の地の小説

*幻戯書房(2020)
*バリェ=インクラン(著)
*大楠栄三(訳)
 ラテンアメリカ文学ブームをささえた分野といえば、まず独裁者小説があげられる。中でも三大独裁者小説と呼ばれる小説があり、その一作品を手がけたロア=バストスが着想を得た作品こそ『独裁者ティラノ・バンデラス』だった。舞台は架空の国サンタ・フェ・デ・ティエラ・フィルメ共和国。将軍サントス・バンデラス率いる共和国政府と革命派の衝突を描いており、バリェ=インクランが独自に開発した小説技法「エスペルペント」を活用することで、壮大な革命物語なのに滑稽味を帯びた喜劇が展開される。この手法は凹面鏡に映して体系的に歪めるという意味を持ち、例えば登場人物を極端にデフォルメすることで、悲劇であるが故に滑稽に見えるという逆転現象を生じさせるのである。そこに投影される映像はグロテスクであり、同時に圧制者のおかしさを暴露する逆説的な効果も現れる。全七部ながら時間通りに進むわけではなく、第一部と第七部、第二部と第六部という具合に第四部を折り目に連結する幾何学的な構成も相まって、作品の全貌を把握することにもゲームのような面白さを感じる。

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ドイツ怪談集

*河出文庫(2020)
*ハインリヒ・フォン・クライスト(著)
 エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマン(著)
 ルートヴィヒ・ティーク(著)
 ユスティーヌス・ケルナー(著)
 ヴィルヘルム・ハウフ(著)
 ヨハン・ペーター・ヘーベル(著)
 フーゴー・フォン・ホーフマンスタール(著)
 グスタフ・マイリンク(著)
 ハンス・ハインツ・エーヴェルス(著)
 カール・ハンス・シュトローブル(著)
 アルブレヒト・シェッファー(著)
 ハンス・ヘニー・ヤーン(著)
 オスカル・パニッツァ(著)
 マリー・ルイーゼ・カシュニッツ(著)
 ヘルベルト・マイヤー(著)
 フランツ・ホーラー(著)
*種村季弘(編訳)
 池内紀(訳)
 前川道介(訳)
 佐藤恵三(訳)
 小堀桂一郎(訳)
 石川實(訳)
 池田香代子(訳)
 土合文夫(訳)
 ドイツにおける怪談とは如何なるものか。古今東西の文化・芸術を知る種村季弘が厳選し、一九八八年河出文庫より刊行された『ドイツ怪談集』はドイツ文学と怪奇幻想小説の入口にふさわしいアンソロジーである。このたび新装版として復刊されたのは嬉しい限り。もしかしたらヨハン・ペーター・ヘーベル(スイス)、グスタフ・マイリンク(オーストリア)といった近隣諸国出身者が複数含まれている点を疑問視する人もいるかも知れない。でも移住した経歴や使用言語を考慮すればおかしな点はないので、あらかじめドイツ語作家の作品を収録しているものと認識することをおすすめする。また収録作品の執筆時期は約二〇〇年離れている点に着目して、怪異に対する意識や表現の変化を読みとっていくのも面白い。そこから見出だせるものが読者によりけりなのはいうまでもないが、自分の場合は眼前の現象をおぞましく強調するというより、合理的解釈を払いのけてしまう容赦のなさに恐怖の引き金を垣間見た心持ちである。因果関係を作ったり意味付けをおこなおうとする努力が退けられると、人はなすすべもなくうろたえるほかないのだ。

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襲撃

*水声社(2016)
*レイナルド・アレナス(著)
*山辺弦(訳)
 ラテンアメリカ文学に独裁者は付きもの。キューバ人作家レイナルド・アレナスのライフワーク「ペンタゴニア」五部作の最後を飾る『襲撃』では、超厳帥と呼ばれる存在がおさめる独裁国家を舞台に、徹底された監視社会が表現されている。国民は人間としての尊厳を奪われて、鉤爪を持った「けだもの」として強制労働に駆りだされるばかりか、発言も行動も、記憶までも許されていない。違反者を密告する取締員である「俺」の視点で描きだされる抑圧の光景は凄まじい。けれども「俺」に出世欲はなく、あるものは母親に対する憎悪の念だけである。嘲り、高笑いとともに消失した母親の抹殺を行動理念とする「俺」は罵詈雑言を吐き散らし、破壊の衝動に駆られるまま粛清の嵐を巻き起こす。独裁者の影響下にある監視社会と取締員の殺意。渦巻く憎しみはディストピアをいっそう陰惨に染めていく。なお、先述の通り『襲撃』は「ペンタゴニア」シリーズの最終作ではあるが、レイナルド・アレナス曰く各作品は独立しているため順番通りに読むことは重要ではないようだ。もっとも二〇二〇年四月現在、邦訳されているのは『襲撃』と第一作目『夜明け前のセレスティーノ』だけなので、原語で読めない私はどのみち中間を飛ばさざるを得なかった。

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グアテマラ伝説集

*岩波文庫(2009)
*ミゲル・アンヘル・アストゥリアス(著)
*牛島信明(訳)
 第二六回【読書備忘録】では、ラテンアメリカの文学作品ばかり紹介してしまった。せっかくなので最後もラテンアメリカ文学にスポットライトをあてて、グアテマラのノーベル文学賞作家ミゲル・アンヘル・アストゥリアスの『グアテマラ伝説集』をとりあげることにしたい。幼少期に聞かされた民間伝承と、青年期にソルボンヌで翻訳したマヤ文明の資料を源泉とするアストゥリアスの代表作である。プロローグにあたる「グアテマラ」「「金の皮膚」の回想」、「火山」「長角獣」「刺青女」「大帽子の男」「花咲く地の財宝」等の寓話郡、人間にして川であるフワン・ポジェを主役とする神話風の物語「春嵐の妖術師たち」、インディオの太陽たる守護霊長ケッツアルことククルカンと、太陽の火の鳥たるグワカマーヨの伝説を劇形式で展開する「ククルカン――羽毛に覆われた蛇」の全九編。プロローグ部分は随筆を思わせる筆致で、後続の作品群は神話的な文体で記述されており、最後は戯曲で締め括られる。随時語り口を変えるスタイルは書物に躍動感を与え、織り込まれた伝説は古来より語り継がれてきた口承文芸の趣を呈していく。まるで後世に編まれたアンソロジーのような特殊な構造であり、アストゥリアスの高度な技術を垣間見ることができる。

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 読書備忘録はお気に入りの本をピックアップし、短評を添えてご紹介するコラムです。翻訳書籍・小説の割合が多いのは国内外を問わず良書を読みたいという筆者の気持ち、物語が好きで自分自身も書いている筆者の趣味嗜好の表れです。読書家を自称できるほどの読書量ではありませんし、また、そうした肩書きにも興味はなく、とにかく「面白い本をたくさん読みたい」の一心で本探しの旅を続けています。その旅の中で出会った良書を少しでも広められたい、一人でも多くの人と共有したい、という願望をこめてマガジンを作成しました。

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