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感覚と錯覚と現実と。

とある田舎の蕎麦屋にて。


「ねぇ。さっきの値段書いてあった?」

「探したけど、なかった気がするよ」

「値段を見ずに入りづらいよねー」

「そういう場所だから仕方ないさ」


(ポチポチ&スクロールタイム)


「あ、これじゃない?さっき見てたの」

「そうだね!同じシリーズだ。じゃあ……」

「でもさ。やっぱり一生モノとして使うならさ。せっかくなら店舗で買いたいよねー」

「……そう?」


欲しいものは決まった。オンラインでもリアル店舗でも価格は同じ。そこに「一生モノとして使うなら」という魔法の枕詞。なんということだ。

「一生モノだからいいよね?」なんて言葉は、濃厚家系ラーメンの汁と土瓶蒸しの御出汁の味とを錯覚させるほどの威力を持っていると私は感じている。
(ここで伝えたいのは、第三者から見て「そんなわけないじゃん」だけど当人は「え、何が?」と思ってしまうほどのギャップ)


彼(ら)にとって低ストレスな方法、例えば、値段が見えない中で買う・買わないの選択を迫られない。希望の商品以外に目がくらむことがない。などは、オンラインでの買い物になると思われる。

会話の流れとあの空間を察するに、彼は90%以上の確率で「オンラインで買ったらいいのに」と思ったに違いない。

ただ彼女からしてみれば「対象商品を購入する」という動詞的な観点ではどちらで買っても同じだが、「一生モノを買う」という経験的な観点では「買うこと」「買う前後」あらゆる状況がオンされる。

その結果、オンラインかリアル店舗にするかで未来の思い出が全くの別物になる(こともある)のだ。


買いに行く日の天気は?(晴れるといいな。雨になったらどうしようかな)

着ていく洋服は?(晴れてたらヒールでも履いちゃう?彼と色味を揃えたりしちゃう?)

移動手段は?(歩いていく?電車に揺られる?それとも彼に運転してもらう?)

ランチやディナーは?(デートなら事前にリサーチしておこうかな)etc.


「(一生モノレベルの)商品が欲しい」というきっかけから「せっかくだし」「買いに行きたい」「その過程も思い出にしたい」のように想像が膨らむのは女性特有の感覚なのだろうか。

彼女の話をうんうんと聞いていた彼は彼女のことを大切に思っているんだなぁ。なんだかほっこりした時間でした。


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