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なぜ私たちは勉強をするのか(その1)【定義編】

はじめに

 みなさんこんにちは!私は現在高校3年生のこうめいと申します。私は普段から学校教育のことに興味・関心を持っていて、高校生活の中でも学校教育に対して思うところがたくさんありながら日々生活しています。今回は文化祭で総合探求の成果を発表するということで、その中でも特に関心を持っている、「高校生までの勉強」のことについての考えを書きたいと思います。

 (おそらくこれを読んでいる人は文化祭で私のポスターのQRコードを読み込んでくださった方が多いと思いますが、この文章は今後も保存しておきたく、また、続編も書きたいと思っているのでこのような形にさせていただきました。)


疑問

みなさんは過去にこんな疑問を持ったことはありませんか?

「なんで勉強なんてやらなきゃいけないの?」
「そもそもこんなことやって、将来なんの役に立つの?」
「こんな今の学校の勉強より、他にもっと大切なスキル勉強したほうがいいでしょ!!」

私もこの疑問は痛いほどよくわかります。私はその問いを、ふと高二の夏休みに本気で気になり、夏休みの間ずっと考えていました。今の学校の勉強は本当に何も役に立たないのでしょうか?もしそうだとしたら、なぜ私たちは高校で三年間、もっと前から数えたら、小学校〜高校までの12年間、単純な算数・数学や英語(よく言われるのは英文法)、理科や歴史、古典など、それらを勉強している意味は全くなかったのでしょうか。

私たちはなぜ勉強をするのでしょうか。

この問題を本気で考えたことがある方はごくわずかだと思います。それもそのはず、多くの方は勉強で壁に当たった時に現実逃避のために真っ先にこの疑問が思い浮かびます。そして多くの方はここで止まり、それ以上深く掘り下げることをする方はそう多くないでしょう。

しかし、この問いに対する答えはもちろん人それぞれ違っています。そこで私はこの問いに対して様々な視点で考えていきたいと思います。

まず今回は、
そもそも“勉強”とは何か
という話をしたいと思います。

最初にこの問いを考えたい理由は、これから考えていく“勉強“というものの定義を確立しておきたいと思ったからです。そして、私の中での意味が違っている“勉強”と“学び”についての違いを話していきたいと思います。

(なお、ここで断っておきますが、この意見は全て自分の経験上で考えた持論ですので、ご承知おきください。)


その1 :そもそも“勉強”とは何か

 この問題を考えるには、そもそも“勉強”とは何かを考えることが必要になってきます。それとよく意味が混ぜて使われている“学び”との違いはなんでしょうか。ここでは自分なりにその両者の定義を話していきます。

ズバリ、“学び”と“勉強”の定義は

学び:ある物事を多角的な視点からみて、解決策を模索すること。そして、その中で自分自身を成長させていくこと。

勉強:学ぶための視点を身につけるための手段。
であると考えています。
(この定義は、今後もnoteを作成していく上で共通する定義となっていきます。)


「学ぶ」と「勉強」の定義と具体例

例えば、右の図を見てください。
「平和な世界を作りたい」という問いに対して、いろいろな問いが生まれている中、「原因は何?」という問いが出たとします。この問い一つを見るだけでも、文化的、科学的、経済的になど、多角的な視点でものごとを見なければ問題は解決しません。その視点を保つために、私たちは“勉強”するのです。
また、その中で課題を解決するプロセス(多角的な視点からみて解決策を模索する)が私たちが“学び”をしているということになります。


つまり私は、
高校までやることは主に“勉強”であり、大学から先、主にやることが“学び
だと考えます。

その勉強の中に、国語や数学、理科や社会、英語などが含まれており、全てが“学び”のためにある訳です。

以上より、なぜ勉強するのかという問いに関しての答えは

人生において“学ぶ”ための視点を得るため

と言えることができました。


今回は、そもそも勉強とは何かということについて書いてきました。
次回からは、各教科
「なぜこれを勉強するのか」
ということについて書く予定なので、もしこの意見に共感してくださった方や、この意見はどうなんだという方がいましたらぜひご連絡ください。ぜひ一緒に考えていきましょう!!

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