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歌うことは、カーナビのセットから始まる。

 本日のお品書き

1、声を含む全ての楽器が歌っているということを知る
2、【カラオケうたい】じゃ自分の居場所がわからない
3、その歌の行き先は、どこですか?どんなルートですか?
4、行き先が決まったら、カーナビをセットする
5、歌うことは、カーナビのセットから始まる


1、声を含む全ての楽器が歌っているということを知る

 とてもありがたいことに、前回の記事を読んでいただいた皆さんからとても興味深く、面白い記事だったと言っていただくことができて、とても励みになっています。SNSでシェアしてくださったり、熱いメッセージをくださったり。本当に嬉しいです。ありがとうございます。また、記事を購入してくださった皆様、サポートをしてくださった方々にも心から感謝です。

 今日は、歌に関することです。ですが、ボーカリスト限定の記事ではないです。もしかしたら僕の中で、『歌』の捉え方がその言葉通りになっていないのかもしれません。歌はボーカルが歌うものという認識がないのです。

 ピアノ、ギター、ベース、ドラム、サックスetc…。この楽器たちも、僕には歌っているように聞こえます。各楽器の構造はそれぞれですが、むしろ、どれも歌っているようにしか聞こえないのです。たまたま使う楽器が違うだけで、やっていることは『歌』で共通しているんじゃないかな?と。
いいえ、私は弾いています。僕は吹いています。俺は叩いてるよ!という声が聞こえてきそうですが、それはその人が歌う為にする行動の説明であって、皆さんがそれぞれ得意な(好きな)楽器を使い、鍵盤を押す、弦を弾く、息を吹く、スティックで叩くなどの行動をすると、音が出ますよね。その音を奏でている状態こそが『歌っている』状態。そういう視点で見ると、僕にとっては全ての音楽人が歌い手であるという風に感じているのです。もちろん、指揮者も。

 ちなみに僕は、声とギターとピアノと、時にはパーカッションを奏でて歌います。そうやって楽器を持ち変えるのは、その楽器が持つ様々なバリエーションの歌が好きで、楽しんでいるからです。中でも得意なのは声ですが、実は一番好きな歌がうたえるのはピアノです。ギターは、声にもピアノにも出せない歌がうたえると感じますし、一番好きな歌い方ができるのはパーカッションです。
 ちょっとニュアンスがややこしいかもしれませんが、声という楽器でうたう時は、比較的思い通りにうたいやすく、音色や音域、タッチによって変わる感情表現が大好きだけど、自分が弾くとなったらその通りにはならないのがピアノ。(つまり練習不足。笑)この二つの楽器には出せない独特のニュアンスを持つ歌がうたえるギターも大好きですし、立体的に音の粒を散りばめながらうたい、離れて見るとモザイクアートのような美しさがあるパーカッションの歌い方が一番好みなのです。好みというか、憧れに近いかな?余計ややこしくなってたらごめんなさい(笑)
 そうそう、僕は市立船橋高校の出身なのですが、市船はスポーツのみならず吹奏楽部も名門です。その吹奏楽部を指導している顧問の高橋健一先生は、『声という楽器以上に自由な楽器は他に無い。声にはかなわない。』とおっしゃっています。僕自身は水泳部と軽音部でしたが、廊下でギターの弾き語りをしていた時に高橋先生が近寄ってきて、『お前の歌、最高!』と言っていただいたのを今でも覚えています。卒業して何年も経つのにいまだにとてもお世話になっているのですが、声も楽器であるということを教えてくださったことが、僕の音楽に対する捉え方を変えたきっかけになったことは間違いありません。


2、【カラオケうたい】じゃ自分の居場所がわからない

 皆さんは、カラオケに行ったことがありますか?行ったこと無いという人の方が少ないのではないでしょうか。僕は最近めっきり行かなくなりましたが、行くとしたら普段の歌の楽しみ方とは全然違い、ストレス発散!という気持ちに切り替えます。とりあえず気持ち良ければOK!!と思いながら歌うのも、たまには悪くないなぁと思います。
 ですがカラオケの場合うたうのは僕一人で、他の楽器は録音されたもの。そして一度走り出したら僕のことは一切関係なく駆け抜けていくので、途中どうしてもトイレに行きたくなっても次の駅まで停まってくれない電車に乗っている感覚になります(笑)もう一つカラオケの特徴として、画面に歌詞のテロップが出て、色が付いていくというものがありますよね。なのでうる覚えの曲でもそれがガイドとなってなんとなく歌えちゃったり。

 カラオケが悪いという話しではなくて、この歌い方だと行き当たりばったりになってしまうということを覚えておくと良いと思います。うたっていて、いつの間にか曲終わってたとか、終わりだと思ったらまだ続きあった!という経験はありませんか?僕はこのカラオケのシチュエーションで何度も経験しました。そりゃもちろん、自分が熟知している曲でこういうことは起こりませんよね。
 例えばちょっと歌ってみようと入れてみた曲に関して言うと、今目の前に表示されている歌詞に注目して、色が付いていくのを目で追いながらうたうことになります。ざっくりと今1番、今は2番というのは認識できますが、アウトロだと思って油断してたら実はそれが間奏で、マイクを置いたあとでまた歌詞が表示されて慌てる。とか。間奏の後サビの歌詞が表示されてるからと自信満々に大きな声で声を出したら伴奏が小さくなって実は落ちサビだった。とか。最後のサビを全力で歌ってたら、実はそのサビは繰り返しで、もう一回サビという構成になっていて力尽きる。とか。ちなみにこれ、僕は全部経験があります。

 例えばステージに立って歌をうたう時(ライブなど)、一曲ずつイントロからアウトロの終わりまでがどうなっているかって把握していますよね。次はなんだっけ?この曲間奏あったっけ?なんてことにはなっていないはずなのです。それはつまり、その曲の構成が頭の中に入っていて、今自分がどの位置にいるのかがわかっている状態ということ。当たり前の話しですが、こうやって認識できるとまた捉え方が変わっていきますよね。


3、その歌の行き先は、どこですか?どんなルートですか?
 

 さてさてそれでは、自分の居場所がわかっている状態と、そうでない状態の違いが明確になったので、行き先はどこか?ということについて考えていきましょう。歌に、行き先??と思うかもしれませんが、実はこれが、とても重要な歌の要素であり、素養になっているのです。
 例えば、車で旅行に行くとします。その場合、出発前におおよそどれくらいの時間がかかるかを調べます。目的地まで3時間かかるとして12時までに到着したい場合、途中トイレ休憩をしたりお店に立ち寄ってご飯を食べたり、渋滞の可能性も考慮して、全ての所用時間を計算してから出発時間を決めますよね。
 歌をうたう時も同じで、イントロ→Aメロ→Bメロ→サビ→間奏→Aメロ…………アウトロのように、曲の始まりから終わりまでのルートがあります。そうやって一曲を通して、どのようなことを表現するのかという目的地に向かって緩急をつけて歌うのではないでしょうか。今自然にそれができている場合も、そんなこと考えたことなかった!という場合も、改めてこのことを頭に入れておくと役に立つと思います。
(少し話しが戻りますが、僕はカラオケであまり知らない曲をうたう時は、行き先を決めずに気の向くままに途中下車の旅。という風に捉えて楽しみます。そこで出会う音や、思いも寄らない展開にハラハラドキドキすることを楽しんでいるという感じです。)


4、行き先が決まったら、カーナビをセットする

 行き先(自分が表現したいこと)が決まったら、カーナビをセットしてみましょう。この曲で伝えたいメッセージはコレ!それを伝える為には、どうやって緩急をつけようかな?といった具合に。
 カーナビは、今自分がどこにいるかと、この先どこで曲がるかと、目的地までの残りの距離や時間がわかります。そのカーナビが全てというわけでは無いので、ちょっとここで曲がってみようかな?とか、いい雰囲気のお店があるから立ち寄ってみようかな?とか、その時々でのインスピレーションを楽しむことも素敵だと思います。

 それから、いくらカーナビをセットしてその通りに行こうとしても、途中で事故渋滞にはまる場合だってありますし、行こうとしていたお店が臨時休業の場合もあります。歌に置き換えると、思いの外ブレスが吸えなかったり途中テンションが上がったり、アドリブを入れたくなったりしますよね。それでも、自分が今どの位置にいて、この先どこを経由するのかがわからなくなったりはしないはずです。


5、歌うことは、カーナビのセットから始まる

 いかがでしたでしょうか。今回の記事に出てくる【歌】は、ボーカリストのことだけを指しているわけでは無いということを冒頭に書かせていただきました。全ての楽器には、役割があります。運転席で運転する人、助手席でナビを見ながら案内する人のように、音楽もみんなで運転するということはあまり無いように思います。
 僕がバンド編成で音楽をする時には、ボーカル車、ギター車、ピアノ車、ベース車といった具合にそれぞれの車で同じ目的地に向かっているわけではなくバンド車という同じ車に乗って目的地に向かっている感覚を持つと、車内での会話のようなコミュニケーションを取りながら目的地に向かえるんじゃないかなと常日頃感じています。
 
 そこに集まった個人(各楽器)と、みんなで歌をうたいながら目的地に向かっている光景が浮かぶので、僕の中ではボーカルもピアノもギターもベースも【うたっている】と感じるのです。体型やキャラクターによって声が高い人や低い人、太い声の人や細い声の人がいるように、混ざり合った音の中にそれぞれの音の居場所があるということ。扱っている楽器が違えば、出る音も違う。でも、確かに【一緒にうたっている】という事実は変わりません。

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