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冒険と言わずして何と言う

※こちらのエッセイは、「ことばとからだとこころ」というイベントの7月の課題作品として書きました。本来は縦書きで教科書のように仕上げた作品ですが、ここでは横書きで発表しています。
テーマは「思い出の場所」。

 



実家の隣には、雑草がぼうぼうに生えた広い空き地がある。

昔、その場所には廃墟があった。廃墟になる前は、スイミングスクールと喫茶店、百人以上が入る規模の宴会場を持つ和食レストラン、赤い絨毯が敷き詰められた高級中華料理店が入った施設だった。三十五年ほど前に閉館になり、それまで何年営業をしていたのかは知らないけれど、当時にしては大きな施設でいつも人で賑わっていたと思う。

六歳の頃、施設まるごと突然閉館した。スイミングスクールに通っていたけれど、ちょうど水疱瘡かなにか二週間くらいプールを休んでいたときのこと。そのまま二度とプールに行くことなく閉まったので、なにか訳ありで急に閉館が決定したんだろうと思う。

 

施設が閉館し、駐車場は黄色と黒の工事用フェンスで囲われた。車通りの多い国道沿いの目立つ場所だったけれど、いっこうに取り壊される気配も新しいお店が入る気配もないので、駐車場は私たちのいい遊び場になった。野球をしたり、鬼ごっこをしたり自転車の練習をしたり。建物の裏側にはゲームに出てくるような錆ついた外階段と通路があり、わざと音を立てて駆け上がってみたり。敷地には半地下駐車場もあって、雨の日は友達を呼んでそこで遊んだ。営業していたときは守衛さんがいたので入れてもらえなかったけれど、閉館してからは気兼ねなく入ることができたので、屋根付きの遊び場ができて嬉しかった。

建物って不思議なもので、人がいないとガラスが割れたり室内が荒れたり、置かれていなかったはずのものが置かれていたり、閉まっていたはずの扉が開いていたりして、徐々に廃墟に姿を変えていく。この施設も例外ではなく、ある日突然正面玄関のガラスが割れていた。入り口はもちろん、外から入れそうな場所にある扉の鍵は全部しまっていたので、その何ヶ月後にはホームレスが住み着いているんじゃないかなんていう噂もあったが、外で遊んでいるぶんには実害がないので私たちはさして気にしなかった。

 

施設が閉館して三年くらい経ったころ、半地下駐車場にあった守衛室の扉のドアノブを何気なく回したら、開いた。もしかしたら前から鍵がかかっていなかったのかもしれないけれど、私たちが守衛室の扉が開くことに気がついたのはその日が初めてだった。

私と弟、近所に住む岡田兄弟二人、そしてヒロシという男子。おそるおそる扉を開けて薄暗い守衛室に入ると、置かれたままの書類やノート、そして床には何枚もの紙が散らばっていて、よくある廃墟の様子そのものだった。壁には三十センチ四方の鉄の箱がくっついていて、扉を開けると鍵がいっぱい吊り下げられていた。

弟が、「階段」と書かれた鍵を見つけた。

実は守衛室のすぐ横には上に向かって斜めの壁があって、その形状から階段だとわかっていたけれど、思い扉があってもちろん鍵は閉まっていたので入ることはできなかった。

「これ絶対この扉の鍵やん!」

そう言って、ヒロシが階段の入り口であろう扉の鍵穴に鍵をさした。

 

ガチャ…

と、映画やゲームではここで鍵が開いて扉を開けられるのだけれど、残念ながら鍵は回らなかった。錆びついているかと思って力任せに動かしてみたけれど、鍵は回らない。交代でそれぞれ思うままに鍵を回してみたけれど鍵は動かない。「階段」と書いていたのに。現実はそううまくはいかないものだ。

 

「あ、」

岡田弟が、階段の扉の前、私たちの足元を指さして言った。

「こっちにも“階段”って書いてある」

私たちの足元には、「階段」と書いた小さい紙が黄ばんだセロハンテープで貼り付けられた鍵が落ちていた。

今まで何度もこの扉の前に来ていたのに、ここに鍵なんて落ちていたっけ?ここに鍵が落ちていたら誰かが絶対に気づいていただろう。そもそも守衛室の扉だって、これだけ毎日遊んでいるのだから一度は空いているか確かめるはず。守衛室の書類が床にバラバラと散らばっているのも、閉館のときに最後に施錠をした人がわざと書類をバラバラにしない限りこんなに散らばらないはず。

 

岡田兄が足元の鍵を拾い、鍵穴に鍵をさしてみた。

ガチャン、と音が鳴り、鍵は開いた。何年も閉ざされてきた、開くはずのない扉が開いた緊張感。このとき、私たちの好奇心はMAX。

 

ヒロシが扉を手前に引く。非常階段にあるような重い鉄の扉。ズーンと静かで重い音がした。

扉の向こうは、真っ暗で、思った通り急な階段だった。おそらく上がった先にはもうひとつ扉があるのだろう。うっすらと上下の隙間から光が漏れている。人ひとり分とちょっとの幅の階段を、私、ヒロシ、岡田兄が三人くっついて上がった。そのうしろにぴったりくっついて、弟と岡田弟。

階段を上がりきり、光が漏れている扉を押す。ほこりっぽさと、少し油臭い匂いがする。階段を上がった先は施設の二階にあった和食レストランの厨房だった。台下冷蔵庫がたくさん置かれた広々とした厨房。ところどころ、紐で結ばれたままの一斗缶が置かれ、使われていたことがわかる真っ黒な中華鍋も積まれてあった。

もう少し明るい方へと進んでみると、天井までガラス窓が嵌め込まれた広い部屋に出た。バンケットルームなのか円卓がいくつもある。窓の両端には、毛羽だった素材の赤いカーテンが、大縄飛びの縄の小さいのみたいな金のロープで結ばれていた。

 

「こっちきてー!」

バンケットルームとは反対側の、厨房の奥の方から呼ばれた。声のする方に行ってみると、旅館のように廊下に赤い絨毯が敷かれていて、襖があった。襖が開け放たれていて、その奥には体育館のように広い畳敷の部屋があった。天井が少し高く、窓から明るい光が差し込んでいる。ここは今まで誰も入っていなかったのか、畳はきれいなままでほこりっぽくもない。部屋の隅には座布団が山積みに置かれていて、正面奥には音響設備やマイクスタンド、屏風が置かれたステージがあった。

靴のまま、畳の上に足を置いた。

バレたら怒られるとわかっているけれど、今は怒る大人もいない。ちょっとスリリングな気持ちで畳の上を歩いた。シャリ、シャリ、と靴で畳を踏む音が鳴った。ステージまで何歩も靴のまま畳の上を歩いた。

 

秘密基地をみつけた! それも本物の! ゲームのようだ!

私たちは靴のまま畳の上を意味もなく走り回り、隅にあった座布団に突進し、山を崩したあと座布団を思い思いに投げた。転げ回って、側転して、ジャンプして、ひとしきり暴れ回ったあと、「ステージの脇にあった」と岡田弟が消火器を見つけてきた。

岡田兄がレバーを強く握る。

煙がもくもく噴き出すと思って、ギャーー‼️と叫びながら走って逃げてみたけれど、何も起きない。ヒロシもレバーを握ってみる。けれどびくともしない。岡田弟が両手で思いっきりレバーを握ったけれど、やはりびくともしない。

 

ヒロシがもう一回、両手で思いっきりレバーを強く握ったとき、キィン‼️ と大きな音がしてカンッ! と天井に何かが当った。ブシュゥゥゥゥゥ‼️ という音ともにホースの先からピンク色の煙が吹き出し、ホースが左右に暴れたくった。あたり一面ピンク色の煙に覆われる。ヒロシは慌てて消火器を畳に放り投げた。消火器はブンブン横回転しながら煙を吹き出し続ける。

イィーーーーーーン! という高い音が響き続けている。目の前がピンク色になる。

 

「わーーーー‼️」と言いながら、私たちはもと来た道を走って戻り、階段を降りて半地下駐車場に置いてあった自転車に乗って、全速力で家まで自転車をこいだ。

確認はしていないが、五人みんなちゃんと家に帰れたと思う。

廃墟に勝手に入ったこと、畳の上を靴で歩いたこと、座布団をめちゃくちゃに散らかしたこと、消火器の煙が噴き出したことがバレないかと、その日は一晩中ドキドキがおさまらなかった。

 

後日、学校の消火器を見て気づいたが、あのとき消火器が大暴れしたのは、レバーの上についている黄色い安全栓を抜かずに力任せに握ったことで栓が抜け天井まで飛んでいったうえに、あれほど勢いよく消火剤が噴き出すことを知らずホースを握っていなかったため蛇のようにホースが暴れのたうちまわったからだった。

廃墟に勝手に入ったことによる祟りか超現象のようなもので消火器が暴れ出したのだと思って、しばらくは怖くて廃墟に近寄らなかったけれど、子供なので怖い思いも徐々に薄れる。数週間後の雨の日、遊び場がなくて廃墟の駐車場に集まりドッヂボールをしていたときに、「この間の消火器、どうなったかなあ?」と誰かが言ったのをきっかけにまた廃墟に入った。

知った道を通り、宴会場にいくと、畳一面が雪のように真っ白い粉で覆われていた。たしか噴き出した煙はピンク色をしていたはずだったのに、畳を覆っている粉は白色だった。いつもならその上に足跡をつけ、走り回ってぐちゃぐちゃにするのが私たちなのだけど、少し前の消火器の祟りの余韻が残っていたのか、白い粉が覆われていることだけを確認して、油臭い厨房の扉から階段を降りて、半地下駐車場に戻ってドッヂボールの続きをした。階段の扉は、しっかり閉めた。

 

数週間後にソニーの『プレイステーション』が発売された。友達のなかで一番に最初にプレステを買ってもらったのが弟だったので、私たちの遊び場は廃墟からうちの家に変わった。そのうちみんな塾に通い出して忙しくなったので、あまり集まって遊ぶことも無くなって、廃墟で遊ぶことは無くなった。

 

廃墟に行かなくなってだいぶ経った頃、廃墟からボヤが出たらしく、家の隣に何台も消防車が来た。火は見えなかったけれど、半地下駐車場の入り口から奥が見えないほど白い煙が充満していたし、あたり一帯、体に悪そうな匂いがしていた。

大勢の野次馬に混じって父親と一緒にその様子を眺めていると、隣にいた人が「福田のおばあちゃんが先週、正面の割れたガラス扉から出入りする人影を見たらしいよ」と言ってきた。別の人は「ホームレスが寝タバコなんかでボヤを出したのではないかって消防の人が言ってたよ」と言った。実は私も数週間前に、中学生っぽい数人の子どもが正面のガラス扉あたりをうろついているのを何度か見たので(ホントに)、聞き込みをしていた警察官に「中学生かもしれない」とチクっておいた。

 

ボヤ騒ぎのあと、わずかな期間を経て廃墟は取り壊されることになった。もうずいぶんと廃墟では遊んでいなかったから、取り壊されると聞いたときは「ふぅん」という感じだったけれど、いざ重機でバリバリと壊される音を聞いた時はちょっと寂しかったし、コンクリートの壁の中から曲がった鉄筋が露出しているのを見るとちょっと悲しい気もした。

ほんの数日のうちに、駐車場のアスファルト以外はなにもなくなった。

 

 

冒険とは、なんらかの目的のために、日常とかけ離れた状況のなかで、ときには危険に満ちた体験の中に身を置くことを指す。あるいは、その体験を通して稀有な出来事に遭遇することもある。

あの廃墟での一連のできごとは紛れもなく、いつもの遊び場で起きた、これまで経験したことのない稀有で危険をはらんだ体験だった。

これを、冒険と言わずして何という。

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