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嫌いになってしまったのは自分に合った方法に出会えなかったこともあり得るという、可能性の話。


勉強(学ぶこと)が嫌いな人、嫌いになってしまった人の中には、その人に合った方法に出会えなかったという可能性もあり得るんじゃないかという話です。

知覚の個人差ややりやすい方法はそれぞれ違うということはわかるようで実感しづらいことなんだと思います。

代わりに他人の感覚を体験することは難しいから、まずは違うんだって前提で相手を見ると相手の困っていることへの手がかりに気づきやすくなるかもしれません。

聞こえ方、見え方(視野の広さ)、集中しやすい環境、自分と他人は同じではない。

味覚だって違って。食べられないものが多い人はわがままなわけではなく、周りより味や口に触る感度が高かったりする。

私も自分の娘が味覚や聞こえ方、触覚など敏感なタイプだったから個人差の大きさを知れたけれど、それまでは周りに敏感だと思われる人と出会っても、わがままな人くらいに思ったりして、今思うと無理解で失礼だったなと反省も多く。

例えば

娘(10)はマルチタスクが得意。でも逆にこれだけに集中して!みたいなのはかえって落ちつかないらしくて。
先生の方に体を向けて真剣に見続けないと話を聞いてないとよく思われるそう。

でも、視覚、聴覚のインプット量が多い彼女は先生をずっと見ることで、視野に入る他の子の様子まで入ってきて、情報量が増えて気になってしまう。

むしろ自分の机に視線を落として、何か作業(板書というより落書きでもいいのかも)しながら、先生の話を聞いた方が楽かも。

私も前は娘に「ねぇ聞いてる?」とよく言ってしまってました。
でも、実はよく聞いてる。
テレビ観ながらでも周りの会話含め状況を把握してます。

ただ娘は、こちらが話しかけ質問してから答えるまでの間が長いため、そこもまた余計に聞いてないという誤解を招いてしまいます。返事が遅いのは聞いてないではなく、聞いたことを消化しどう話すかの思考の長さのよう…。

自分の方を向いてないと集中してないと思ってしまう人は多いかもしれない。
私もそう思ってしまいます。
自分の感覚ではそうだから。

でも、他のことをしながらでも集中できてる人もいる、集中しやすさの個人差は意外とある、ということを少しでも知ってもらえるかなと思って、今回はわが家の場合を書いてみました。

学校というシステム。集団で、同じ道具、同じ内容を同じペースで学ばなければいけないがゆえに勉強嫌いになってしまった人、少なくないんじゃないかと思うのです。

(1008字)

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