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頭を空っぽにして心と体ととのうサウナ

マイブーム、サウナのこと。




サウナはじめました

コロナ禍にサウナブームが起こった時から、ずっと気になっていました。
ととのうってどんな感じだろうと。
どうやらサウナには、ふらっと入って温まっておしまい、だけではない別の楽しみ方があるとのこと。

でも、わざわざサウナのためだけに行くのはちょっと面倒だし、わたし温泉は好きだけどサウナって苦手だったしなあ。
と好奇心に蓋をして、スルーすること数年。

ようやく時間が取れるようになったので、この春ついに念願の、サ活をはじめました。

アツアツになった体を水風呂にドボンなんて、そんなの正気の沙汰じゃないよと思っていたけど。
何回か通っているうちに、なんとなくコツと自分のペースが掴めてきて、4、5回目くらいから、なるほどサウナの魅力って、こういうことなのかと。

休憩をはさみながら、サウナと水風呂をいったりきたりしていると、最後には、頭のてっぺんから足のつま先まで、全身の凝りと疲れが吹っ飛びます。
こういうことを言うと胡散臭く聞こえてしまうからあれだけど、疲れに即効。
頭の中から目の奥からシャキッ。

そして、サウナのあとに入る水風呂の爽快感といったらないよ。
サウナと水風呂はニコイチ、このふたつセットになって、別世界への扉が開くんだと。

なんでもっと早く行かなかったのかと思うくらい。何ものにも代えがたい、サウナは癒やしのひとり時間です。


ご褒美タイム

今までスッキリしたい日に私がやっていたことといえば、すこし走るか、家でピラティスか、たまに行くプールか。思いつくのは運動です。

運動は得意じゃないのに。
だからなのか、体を動かしていると、体だけスッキリして頭の疲れが置いてきぼり。

たとえば静かな水の中で泳いでいると、まわりの音がなくなってボコボコ水の音だけが聞こえる。
体は泳ぎながらも頭の中が冴えてくるから、考えることに集中してしまって、頭が疲れる。
走るのと、ピラティスも同じ。
体は運動に集中しているのに、頭はそっちに集中できてない。

運動が得意だったら、無心になって体を動かせるのかもしれないけど。
無心になれるような運動経験がない私の暇な脳みそはむしろ、いつもより深く考えて、ひと仕事終えたあとのような疲労感だけが残る。

だから、サウナはいいのかな。
サウナに入ってしばらくすると、汗がぼたぼたと落ちて、そうなると頭の中もアツい以外のことが考えられなくなる。
体と頭がいっしょになって、サウナだけに集中する時間。この時間が好き。

サウナと水風呂のあとの外気浴は、もっと好き。
外で座っていると頭の中の考えすべて手放して、数分だけど空っぽになる。
なんにも考えず、背中にあたる風を感じる、ただそれだけ。


ととのう。調う。

サウナの「ととのう」は「調う」といって、心と体の「調和がとれている状態」になること。
確かに、そんな感じかな。
心と体がリセットされて、良い方向にまとまってゆく感じがします。

ここ最近、どうにもならないことを悶々と悩んでしまって、重たくなった頭が、肩の凝りと全身の疲労になってる。
考えても意味がないと分かっていても、私にとって無視もできないことだから、たまに考えて、へこむ。

子育ての余韻も溜まってくる。
白目をむきたくなるほど大変なことも、ドーンと花火が打ち上がるようなとびっきりの幸せも。
感情の波が揺れて、負荷がかかっているということにおいては、たぶん同じなんだと思う。

悩みも子育ても終わりが見えない。
だから、どこかで一瞬でも手放して、空っぽになる時間に、こんなにもトリコになるのかな。


凝りと悩みに効くサウナ

くたくたドロドロに疲れて、もう今週サウナはいいや、何もしたくない何もできない、と思っても、重たい体を引きずってサウナへ行くと、ああやっぱり来てよかったと思う。

子どもが寝て、やることも終えて、水をペットボトルにたっぷり詰めて、サウナに行って、帰ってそのまま布団にダイブして、子どもの寝顔を見ながら眠れたら、もう幸せ。

細々とでも辞めずに続けて、もう少しととのい上手になったら、ちょっといいサウナハット買おうかなって思ってます。


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