「時間の軌跡」(ペク・スリン)

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著書名:『2019 第10回 若い作家賞 受賞作品集』
    『2019 제10회 젊은작가상 수상작품집』

題名:「時間の軌跡」
   「시간의 궤적」

著者名: ペク・スリン(백수린)
1982年生まれ。2011年に京鄕新聞の新春文藝において短編小説「嘘の練習(거짓말 연습)」が当選し、登壇した。小説集『Falling in Paul(폴링 인 폴)』、『惨憺たる光(참담한 빛)』、長編小説『親愛し、親愛なる(친애하고, 친애하는)』がある。2015年、2017年 若い作家賞、文知文学賞、李海朝小説文学賞を受賞した。

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2019年 若い作家賞を受賞し、作品集に収録されているペク・スリン作家の「時間の軌跡(시간의 궤적)」を読みました。

<あらすじ>   *ネタバレあり
舞台はフランスのパリ。
30歳になる’私’は、もともと韓国で大学を卒業しそのまま就職。しかし、21歳のころから8年間付き合っていた彼氏との別れをきっかけに、自分の人生やりたいことをして生きようということで渡仏を決意。夢であった美術を勉強するために新天地パリでの生活を始めます。
パリで語学学校に通い始めた’私’は、ひとまわり若い学生たちと同じクラスでフランス語の勉強をします。そのクラスで出会ったのが駐在員としてパリに滞在していた同じ韓国人である'お姉さん(韓国では언니)'です。はじめは、二人とも特に言葉をかける間柄ではありませんでしたが、雨が降ったある日’お姉さん’が’私’に話しかけ、二人でお酒を飲みに行きます。この日を機に二人は意気投合。授業が終わったら二人でご飯やお酒を楽しむだけではなく、映画を観たり旅行に行ったりと仲良く過ごします。

’私’は語学学校を卒業し、フランスの大学院で修士課程に進学します。’お姉さん’と過ごした語学学校を卒業し、大学院に通い始めた’私’は、あるシンガポール出身の友人の結婚式でフランス人のブリースと出会い一目惚れします。積極的にアタックした’私’は、結局ブリースと付き合うことになります。ブリースと付き合い始め同棲まで始めた’私’は、たまに’お姉さん’と会うときにはブリースも一緒に連れて行き、3人で会うことが多くなります。

2年の修士課程も終わりに近づく頃、私はビザの延長やこれからの将来に不安を抱き始めます。ブリースと結婚するのか、それとも韓国に戻るのか。修士課程を修了したからといってフランスで簡単には就職できない現実は痛いほど’私’もよく知っています。そんな悩みを持っている’私’の肩を押してくれたのも’お姉さん’でした。結局、私はブリースとの結婚を決め、フランスに残ることになります。

円満な結婚生活を始めた’私’。しかし、このことにより少しずつ’お姉さん’と距離が生まれ始めます。”フランスにこれからも残る私”と、”駐在期間を終えれば韓国に戻るお姉さん”には共感できない部分や抱えている問題には温度差があります。また、円満に見えたブリースとの生活もお互いの文化の違いからくるストレスやそれによる倦怠期にも似た時期を迎えます。

小説の最後は、’お姉さん’が韓国に戻る前に’私’は、ブリースを含め3人でノルマンディに旅行に行きます。昔二人で旅行に行った思い出がフィードバックしたり、ブリースとも恋人同士だった昔を思い出し幸せな時間を送ります。しかし、同時に特別な存在であった’お姉さん’とも結局は理解できあえないことにも気づきます。
’お姉さん’は、韓国に戻り、’私’とブリースは、パリを離れグルノーブルに引っ越します。子供も生まれ、フランスの生活にも慣れていきます。しかし、ふとしたときにSNSなどで’お姉さん’の影を探してしまいます。それでも直接連絡する勇気はない’私’。夜になると、’お姉さん’と過ごした思い出が私の目を濡らすのでした。

<感想>
ペク・スリン作家は自分が好きな作家の一人です。今回もただ感嘆するばかりでした。特にこの作品は留学中の身でもある自分と重なる部分もあったので、共感できる部分が多々ありました。
留学というと、もちろん異国の地での生活に慣れずに苦労した思い出、また現地の外国人との新たな出会いなどの記憶が浮かぶと思います。
でも同時に、異国の地で出会った同じ国の人というのは人一倍記憶に残ると思います。外国で苦労しているという境遇を共有できるという安心感などから母国でさりげなく会う人よりも強く共感の輪ができると思います。

 小説に登場する’お姉さん’も’私’にとっては、そのような存在です。’お姉さん’にも韓国での過去があります。それでも同じ時をフランスで過ごす女性という存在は特別で、’私’を理解してくれる唯一の存在になります。
またペク・スリン作家は、この’お姉さん’を本当に魅力的に描いています(さすが!)。
’お姉さん’が’私’に語りかけた言葉のなかで印象的な部分を紹介します。

夜な夜なフランスの街中を散歩中、お酒に酔った男性に女性差別的(もしくは人種差別的)な言葉を聞くことも多かった二人。ある日、’私’は’お姉さん’に怖くないのか聞いてみたところ、

”저들은 불행한 거야. 불행한 인간들 때문에 우리가 이렇게 아름다운 밤을 포기할 수는 없잖아. ”

訳)彼らは不幸なんだよ。不幸な人たちのせいで私たちのこんなにも美しい夜を諦めるわけにはいかないでしょ。


また、ブリースとの結婚や将来の不安で悩んでいる私に’お姉さん’がかけてくれた言葉。

”우리는 전부를 걸고 낯선 나라에서 인생을 새로 시작할 만큼 용기를 내본 적 있는 사람들이니까, 걱정 마. 넌 네가 생각하는 것보다 스스로 원하는 걸 찾을 줄 아는 사람이야.”

訳)私たちは、すべてをかけて異国の地で人生を新しく始めるくらい勇気を出したことのある人たちだから、心配しないで。あなたはあなた自身が考えるよりも自分が望んでいることを見つけることのできる人よ。

このように’お姉さん’から発せられる言葉は、’私’と同じ境遇に置かれている人をあたたかく慰めてくれます。

 また、ペク・スリン作家のすごいところは時間の経過や記憶を様々な技法で描写しているところです。
たとえば、”夏の夜を思い出すとまず思い浮かぶのは湿気であった”と、夏の夜=湿気という風に描写したり、またブリースと初めて会った時のことを思い出して描写する場面では、

”브리스를 만난 것은 수업이 끝나면 노트를 보여달라 말 붙일 새도 없이 우르르 강의실을 빠져나가버리는 어린 학생들 틈에서 어떻게든 교수의 말을 놓치지 않으려고 애를 쓰던 11월이었다. ”

訳)ブリースと出会ったのは、授業が終わるとノートを見せてと話しかける隙もなくどっと教室を出て行ってしまう若い学生たちの中で、どうにか教授の言葉を聞き逃さないようにと耳を傾けていた11月であった。

 本当にさすがです(感嘆)。他にも、作中登場する”雨”もパリでの生活を想起させる重要なキーワードです。
留学経験がある人なら特に共感できると思いますが、留学しはじめたころって一日は長いようで一ヶ月は短いですよね。そして時間や季節の記憶って自分の辛かった思い出とか、その時よく聞いていた音楽、一緒に時間を過ごした人との思い出と強く結びついていますよね。
このような感覚をよく言葉に表現できるなぁと。もちろんペク・スリン作家自身がフランスに留学していた経験を持っているので、このような描写が可能なのかなと思います。

少々長くなってしまったのでこのあたりでまとめを。もともと、作家自身は、人間関係における破局を描きたかったと語っています。”偶然出会った二人が別れ、再会した時にはお互いの変わり果てた姿を目の前にし関係が決定的に終わりを迎える”、そのような小説を書きたかったけれど、このような小説になったと言っています。
人間関係の破局というテーマは、前回レビューを書いた『線の法則』(ピョン・ヘヨン) にも少し通ずるところがあります。
ペク・スリン作家は、書いてみたら破局ではなく満開の花が枯れていく過程(破局に向かう様) を自分は書きたかったのかもしれないと言ってるように、’私’と’お姉さん’の関係は少しずつ広がっていきます。それでもそのような一時の時間の軌跡をもう一度なぞり返してみること、それが破局へと向かう私たちができることだと、ペク・スリン作家はそのようなメッセージを語りかけているのかなぁと思います。

この作品は、留学や駐在などで異国の地で暮らしている人(もしくはそういった経験のある人)、国際結婚している人にオススメです。
ぜひ韓国を訪れる機会がある人、韓国での留学生活に疲れている人は手に取ってみてください。

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