二階堂達也

「もぬけの殻」になった天理教の教会(事情教会)に赴任しました。これまでの事、これからの…

二階堂達也

「もぬけの殻」になった天理教の教会(事情教会)に赴任しました。これまでの事、これからの事、日々感じる事を書いてみます。感想など頂くと励みになりありがたいです。

最近の記事

12:「教会費」「教区費」「支部費」これって何?

こんな私も人間なので(当たり前)、、、 今回は少し愚痴を言わせて頂きます。途中で「アホらしい~」って思われた方は途中でシャットダウンして頂いても構いません。勿論最後まで読んで頂きコメントなど頂ければ有難いです。 では・・・愚痴りますよ~(笑 天理教の教会では毎年教会本部に【教会費】なるものを納めています。教会の規模・大きさによって納める額が違うそうですが、私の担任するような小さな教会では、毎年一万五千円也。これって天理教組織への【会費】って感じなんですかね~?よくわかりません

    • 11:十二下りの手をどり

      正直若い頃は「長いな~」「眠いな~」「早く終わらんかな~」・・・ 天理教の大切な【おつとめ】をそんな感じで捉えてました。いやいや~お恥ずかしい限りです。でもそんな私が今では、毎日12下りの【おつとめ】を努めているお話しをします。 横浜へ布教(もぬけの殻になった教会)へ来た頃はパンフレットを持って歩くしか布教の術を知りませんでした。布教ってそう言うものだと思ってました。只々歩いて断られ、断られてまた歩いての毎日でした。知り合いが居なかったのでそう言うものだと・・・そんなある日の

      • 10:毎日参拝【日参】

        記念すべきnote10投稿目です。お題は【日参】毎日参拝で日参・・・でもなかなか毎日って難しいんですよね~参拝に限らず「ダイエット」「ランニング」「勉強」「ひのきしん」などなど…何でも毎日続けるって(汗) そんな大変な【日参】を始めたお話をします。 横浜にある「もぬけの殻」になった教会に赴任して、淋しく教会生活をしてた二十代の頃、にをいがけに歩く事しかやる事が無くて、毎日毎日よく歩いてました。もちろん結果が伴う訳でもなく勇んだり、落ち込んだり、落ち込んだり、勇んだりの繰り返し

        • 9:子供にみせられた節

          今日はちょっと胸が締め付けられる、辛い思いをした過去の話をします。 わたしは'98 '00 '02年と2年おきに3人の子供を与えて頂きました。 独りぼっちで横浜へ来ましたが、家内と結婚して子供を与えて頂き、5人家族の主に(嬉)有難い事です。 長女・次女そして長男を授かり、スクスクと育てて頂き、楽しい家族の和が出来てました。ささやかながら賑やかな教会に成ってました。 そんな中・・・忘れもしません20年前の5月15日・・・ もうすぐ2歳になる長男が2tダンプに轢かれました。 もう

        12:「教会費」「教区費」「支部費」これって何?

          8:教会のお社の扉って何で閉まってるの?

          教会の月次祭の時、献撰前に厳かにお社の扉を開けますよね。「ウゥ~ウゥ~」って声を出しながら・・・あれ警蹕(けいひつ)って言うらしいんです。【先払いが声をかけてあたりをいましめる事:広辞苑】だそうです。その警蹕をしながらお社の扉を開けたり・又祭典後は閉めたりしますよね~ でもちょっと待って・・・そもそも何で教会のお社の扉って閉まってるんですか?不思議に思ってたんです。どの教会を参拝しても祭典日以外は閉まってますよね~だって教会は「ぢば」につながり、お社の先には「ぢば」のかんろ台

          8:教会のお社の扉って何で閉まってるの?

          7:五分から産まれ五分五分と成人

          タイトルにあるのは皆さんご存じの『教典第三章 元の理』の一部です。 「五分五分と成人」ってところと「せっかく成人して来たのに皆出直してしまう」ってところがず~っと僕の心に引っ掛かってました。でもこれまでの自分の通って来た道を思案すると・・・そんなところをお話しします。 先ずは【教典第三章 元の理】 【~前略~最初に産みおろされたものは一様に五分であったが、五分五分と成人して、九十九年経って三寸になった時皆出直してしまい、父親なるいざなぎのみことも身を隠された。しかし一度教え

          7:五分から産まれ五分五分と成人

          6:節から芽が出て神殿普請が始まります。

          ここんとこ忙しくて、久し振りにPCを立ち上げました(汗) さて前回は土地の事情が治まったところまでお話しましたねえ~(笑)続きです。宜しければお読み下さい。 さてややこしい~土地の事情も治まり、(達也40歳の頃です)いよいよ夫婦揃ってコツコツ『布教生活の初まりだ!』って勇んでましたが、今度は雨・風が強い嵐の様な夜中に「バリバリ~!」「メシメシ~!」「ドカ~ン!」っと爆音と共に屋根のトタンがお隣さんの庭に飛んで行きました~(涙)しかも4枚!家内と雨の中びしょびしょに濡れながらト

          6:節から芽が出て神殿普請が始まります。

          5:独りぼっち卒業~配偶者を与えて頂き2人でお道を歩みはじめます。

          突如教会の土地の借金を抱えた僕に縁談のお話が!本人ビックリです。以前にも紹介した親的存在の青川先生(仮名)が、「会ってみないか?」と紹介して下さった。当時僕は仕事はしてない、車は持ってない、お洒落な服着てない、もちろんお金もなく、住んでる家はボロボロの教会(笑)おまけにその教会の土地の借金が・・・「彼女なんて出来るわけない!」って自分が一番わかってました。どうせダメだろ~って気持ちで青川先生(仮名)の言われる待ち合わせ場所へ行ってお会いしました。家族みんなで教会に住み込んでる

          5:独りぼっち卒業~配偶者を与えて頂き2人でお道を歩みはじめます。

          4:独りぼっちで横浜の布教生活がスタートします!

          23歳の秋・・・大教会長さんの『鶴の一声』でとうとう横浜へ来てしまいました(笑)教会へ着いたのは11月末の寒い雨の夜でした。もぬけの殻になってた教会は真っ暗で誰も居なくてシーンとしててトタンの屋根を打つ雨音だけがポツン!ポツン!と聴こえて寒かったな~淋しかったなあ~(涙)そんな横浜生活の始まりです。「仕事はするな!」っと言うボスのお言葉なので毎日毎日にをいがけに歩くしかする事がなく、ウロウロとよく横浜の街を歩きました(今でも歩き廻ってますが・笑)土地勘がない・知らない土地だっ

          4:独りぼっちで横浜の布教生活がスタートします!

          3:天理教校専修科を卒業し、詰所での青年勤めが始まりました。

          中学生の頃に我が家に神様が来て(祀られて)何となく始まった天理教の信仰もいろんな事があったが、約10年ほど経って【天理教校専修科】を卒業し詰所の青年さんを努めるように成った。不思議なものだ・・・ 専修科の同級生がみな大教会へ行ってしまって、ポツンと残された僕は淡々と与えられた御用に励んだ!詰所青年の御用は主に事務仕事です。第一に信者さんの受け入れ・掃除や部屋の片づけはもちろん雑務が多い勤めですね~信者さんの受け入れで大変だったのが、帰って来られる教会の先生や信者さん方々の教会

          3:天理教校専修科を卒業し、詰所での青年勤めが始まりました。

          2:天理教校専修科に入学し・おぢば詰所での生活が始まりました

          天理教校専修科に入学と同時に詰所での生活が始まりました。専修科に入って先ず驚いたのは入学してすぐに始まる『合宿修練』ですね~あれは軍隊(軍隊に入った事はないけど)の様に思えた。今の時代ではパワハラで訴えられ裁判沙汰でしょうねえ~(笑)学校での生活は新鮮でした・・・原典(おふでさき・みかぐらうた・おさしづ)を中心に天理教を深く学ぶ事が出来て信仰浅い僕には有難い授業でした(寝てる事が多かったけど:汗)どんどん天理教が好きになりました。学校を終えて詰所に帰ると事務所に入り青年さんの

          2:天理教校専修科に入学し・おぢば詰所での生活が始まりました

          1:【天理教校専修科】に入学するキッカケをお話しします。

          父親は大手運送会社に勤め、支店を転々とする普通のサラリーマンでした。社宅住まいでしたので引越し(大阪内)を何度もして、その度に転校、僕は3度だけでしたが兄や姉は片手では済まないほどいろんな学校へ転校してました。嫌でしたね~黒板の前に立たされての自己紹介・・・そんな我が家に中学生の頃神様が来ました。テレビの上に棚を作ってそこに神様が鎮座!テレビ台に拍子木と数取りと小さなチャンポンが並んで「こりゃなんだ~?」って感じでしたね~両親がカチカチおつとめをしていても「あ~なんかやってる

          1:【天理教校専修科】に入学するキッカケをお話しします。

          はじめまして…二階堂達也です。簡単に自己紹介します

          こんにちは、初めてnoteに投稿します。 先ずは僕の自己紹介を簡単にします。僕は大阪で生まれ青春時代をなにわの街で過ごしてました。車(機械いじりが好きで)中学校卒業と同時に近所の自動車整備工場に就職して、一人前の整備士になる夢をみてコツコツ必死に働いてました。っと同時に「高校だけは出とけ!」っと言う、当時の僕には訳の分からない大人の意見を真面目(渋々)に聴いて、電車で通える定時制の工業高校に通いました。【一人前の整備士】っと言うのは当時の僕にとっての大きな夢でしたが、現実は整

          はじめまして…二階堂達也です。簡単に自己紹介します