二階堂達也

天理教を信仰してます。これまでの事、これからの事、日々感じる事・思う事・思案する事をツ…

二階堂達也

天理教を信仰してます。これまでの事、これからの事、日々感じる事・思う事・思案する事をツラツラと書きます。時々で良いので読んで頂き感想など頂くととありがたいです。

最近の記事

5:独りぼっち卒業~配偶者を与えて頂き2人でお道を歩みはじめます。

突如教会の土地の借金を抱えた僕に縁談のお話が!本人ビックリです。以前にも紹介した親的存在の青川先生(仮名)が、「会ってみないか?」と紹介して下さった。当時僕は仕事はしてない、車は持ってない、お洒落な服着てない、もちろんお金もなく、住んでる家はボロボロの教会(笑)おまけにその教会の建物の借金が・・・「彼女なんて出来るわけない」って自分が一番わかってました。だからどうせダメだろ~って気持ちで青川先生(仮名)の言われる待ち合わせ場所へ行ってお会いしました。家族みんなで教会に住み込ん

    • 4:独りぼっちで横浜の布教生活がスタートします!

      23歳の秋・・・大教会長さんの『鶴の一声』でとうとう横浜へ来てしまいました(笑)教会へ着いたのは11月末の寒い雨の夜でした。もぬけの殻になってた教会は真っ暗で誰も居なくてシーンとしててトタンの屋根を打つ雨音だけがポツン!ポツン!と聴こえて寒かったな~淋しかったなあ~(涙)そんな横浜生活の始まりです。「仕事はするな!」っと言うボスのお言葉なので毎日毎日にをいがけに歩くしかする事がなく、ウロウロとよく横浜の街を歩きました(今でも歩き廻ってますが・笑)土地勘がない・知らない土地だっ

      • 3:天理教校専修科を卒業し、詰所での青年勤めが始まりました。

        中学生の頃に我が家に神様が来て(祀られて)何となく始まった天理教の信仰もいろんな事があったが、約10年ほど経って【天理教校専修科】を卒業し詰所の青年さんを努めるように成った。不思議なものだ・・・ 専修科の同級生がみな大教会へ行ってしまって、ポツンと残された僕は淡々と与えられた御用に励んだ!詰所青年の御用は主に事務仕事です。第一に信者さんの受け入れ・掃除や部屋の片づけはもちろん雑務が多い勤めですね~信者さんの受け入れで大変だったのが、帰って来られる教会の先生や信者さん方々の教会

        • 2:天理教校専修科に入学し・おぢば詰所での生活が始まりました

          天理教校専修科に入学と同時に詰所での生活が始まりました。専修科に入って先ず驚いたのは入学してすぐに始まる『合宿修練』ですね~あれは軍隊(軍隊に入った事はないけど)の様に思えた。今の時代ではパワハラで訴えられ裁判沙汰でしょうねえ~(笑)学校での生活は新鮮でした・・・原典(おふでさき・みかぐらうた・おさしづ)を中心に天理教を深く学ぶ事が出来て信仰浅い僕には有難い授業でした(寝てる事が多かったけど:汗)どんどん天理教が好きになりました。学校を終えて詰所に帰ると事務所に入り青年さんの

        5:独りぼっち卒業~配偶者を与えて頂き2人でお道を歩みはじめます。

          1:【天理教校専修科】に入学するキッカケをお話しします。

          父親は大手運送会社に勤め、支店を転々とする普通のサラリーマンでした。社宅住まいでしたので引越し(大阪内)を何度もして、その度に転校、僕は3度だけでしたが兄や姉は片手では済まないほどいろんな学校へ転校してました。嫌でしたね~黒板の前に立たされての自己紹介・・・そんな我が家に中学生の頃神様が来ました。テレビの上に棚を作ってそこに神様が鎮座!テレビ台に拍子木と数取りと小さなチャンポンが並んで「こりゃなんだ~?」って感じでしたね~両親がカチカチおつとめをしていても「あ~なんかやってる

          1:【天理教校専修科】に入学するキッカケをお話しします。

          はじめまして…二階堂達也です。簡単に自己紹介します

          こんにちは、初めてnoteに投稿します。 先ずは僕の自己紹介を簡単にします。僕は大阪で生まれ青春時代をなにわの街で過ごしてました。車(機械いじりが好きで)中学校卒業と同時に近所の自動車整備工場に就職して、一人前の整備士になる夢をみてコツコツ必死に働いてました。っと同時に「高校だけは出とけ!」っと言う、当時の僕には訳の分からない大人の意見を真面目(渋々)に聴いて、電車で通える定時制の工業高校に通いました。【一人前の整備士】っと言うのは当時の僕にとっての大きな夢でしたが、現実は整

          はじめまして…二階堂達也です。簡単に自己紹介します